第235話 食いしん坊

「ふむ……コウが寝坊をするとは珍しい」


「パパおねぼうさーん」


 覚めかけた夢と現実の境目で、そんな声が聞こえた気がした。


「ふふ。ああ、そうだなリーゼ。パパはお寝坊さんだ。リーゼが起こしてあげてくれ」


「は~い! いくよ~タロー」


 ドスッ!


「ぐほおっ!?」


 腹部に突然の衝撃。くぐもった悲鳴と一緒に、夢も酸素も体から飛び出した。無意識に空気を吸い込む体の動きで、自分が数瞬前まで眠っていたことを理解する。


「パパおはよー!」


 すぐ近くから聞こえた元気の良い声に、眩しさを我慢しながら無理矢理目を開けた。視界に映るのは、オレの腹に馬乗りになって満面の笑みの愛娘。


「……おはよう、リーゼ」


 まだ寝ぼけた頭で、次の言葉を考える。


「起こしてくれてありがとう……でも、飛び乗るのは危ないから止めようね……」


「うん!」


 元気の良い返事だが、これはたぶん分かってないな。今はまだ耐えられるけど、リーゼが成長したら怪我をしそうだ。そう思いながら、リーゼを抱き上げて身を起こす。ついでにその柔らかい首元をくすぐっておいた。


「きゃははっ」


 笑うリーゼを胡坐をかいた足の上に乗せ、部屋の入り口に立つロゼに起床の挨拶をする。


「ロゼ、おはよう」


「ああ、おはよう。朝食は出来ているぞ。早く顔を洗ってくるといい」


「うん、ありがとう」


 オレが頷いたのを確認して、ロゼは楽しそうに笑いながら部屋を出て行った。眩しい夏の朝にぴったりな笑顔だった。オレの奥さんは美人だよなあ、としみじみ思う。


 ロゼを見送って、ベッドの横にある白い毛玉へと目を向ける。円らな黒い瞳と目が合った。


「おはよう、タロー……リーゼにこの起こし方させるの禁止な?」


 最近運動能力が上がって来たリーゼは、タローとジャンプ攻撃なる協力技を生み出した。タローの首元にリーゼが乗り、タローが首を跳ね上げるのに合わせてリーゼが飛ぶのだ。リーゼは浮遊感が楽しいらしく、最近ソファーに向かってやっているのをよく見かける。


 リーゼ本人の体重の軽さと体の柔らかさ、大人顔負けの魔力量のおかげで痛くはないようだが、それで起こされてはオレの内臓がもたない。


「ヴォフ」


 タローの返事は肯定か否定か。オレの言っていることは理解しているだろうが、タローはリーゼに甘いから、頼まれたらまたやる可能性があるな。

 ……タローの飼い主はオレだったはずだが、そこら辺はどうなったのか。ちょっとおかしくない?


 まったく、狼すら魅了するとは、リーゼの可愛らしさは凄まじい。そう思っていると、腕の中にいたリーゼが身じろぎした。


「パパ~。ごはん~」


 オレを見上げながら、眉を寄せて少し怒った表情だ。たくさん体を動かすせいか、リーゼは小さい割によく食べる。今はまだ女の子らしい事よりも食い気が優先だ。


「ごめん、ごめん。ママのところに行こうか。今日の朝ごはんは何だろうね」


「けーき!」


「朝からケーキは出ないんじゃないかなー?」


 ロゼにケイトさん、アリスさんまで巻き込んで、リーゼ用の誕生日ケーキを作ったのはついこの間だ。オレが思い浮かべる普通のケーキよりも簡素なものだったが、初めて食べるリーゼには衝撃的だったらしい。


 以来、思い出したようにケーキが食べたいと口にするようになったが、良い子にしていたら食べられるよ、と言って誤魔化している。


 オレとロゼどちらに似たのかリーゼは食べるのが好きなので、ケーキの話題を出せば我儘を言うことも減って助かっている。ちなみに特別感を出すために、次のケーキは冬くらいに作るつもりだ。

 この世界にクリスマスはないので、年越しのときでいいだろう。名目は無事に年を越えたお祝いだ。


 まだ半年近く先のことだが、日々成長するリーゼを見ていれば、きっとあっという間だ。半年後には、腕の中のリーゼもさらに大きくなっていることだろう。


 その重さを想像して笑いながら、オレはロゼの待つ居間へと足を向けた。





 朝食はロゼお手製のパンケーキだった。蒸し鶏と目玉焼き、それに野菜入りのスープが付いている。


 オレはお米が好きだが、毎日3食全てお米を食べている訳ではない。パン類だって普通に食べる。ロゼにとってはパンの方が馴染み深いし、たまに気分転換するのも悪くはない。

 まあ、毎日最低一食はお米を炊いているけれど。


 何だかんだ言っても、炊き立てのご飯と、それに合うおかずが一番の好みなのだ。


 もちろん。ロゼの作る料理も美味しいので不満がない。というか、毎日ちゃんと食べられるというのは、それだけで幸せなことだ。


 という訳で、ちゃんと感想を言おうと思う。


「ロゼ、今日も美味しいよ」


「ふふふ、どういたしまして」


 テーブルの対面に座るロゼは嬉しそうに微笑んだ。日々の感謝を伝えるのは大切なことだ。



 まだまだ食器の使い方が下手なリーゼの世話をしながら、穏やかに朝食は進む。


「そういえばコウ、昨日は珍しく遅くまで飲んでいたのだな」


 ロゼの言葉に、昨日の飲み会を思い出す。カルロスさんの罠に見事に掛かってしまった後は、かなり盛り上がった覚えがある。何がどうなったのか、ギルバートさんとグルガーさんの飲み比べ勝負が行われたはずだ。なんでだ?


「ちょっと記憶があやふやだけど、他の3人も気を抜く機会が少ないせいか、かなり盛り上がったからね。オレもちょっと飲み過ぎた。そっちは楽しかった?」


 女子会。あのメンバーなら華やかだろう。


「うむ。普段は集まる機会などあまりないからな。こちらも楽しく過ごせた。アリシア殿からもためになる話を聞くことができて満足だ」


 何の話かは分からないが、ロゼが楽しそうで何よりだ。


「それは良かった。リーゼも大きくなってきたし、たまにはこういう機会も作ろうか。次はオレがリーゼを見ておくよ」


 ロゼは昨日も早目に帰ってきたようだし、たまには少しはめを外してもいいだろう。


「ふふふ、コウ。ありがとう」


「どういたしまして?」


 まだお礼を言うには早くないかな? ロゼが嬉しそうだからいいけど。


 まあ、次の飲み会を開く前に、カルロスさんとの仕事を終わらせる必要があると思うけど。ああ、ロゼにも伝えておかないとな。


「そういえば、昨日カルロスさんから頼まれて、ちょっと仕事をすることになったよ」


「魔道具作りの依頼か?」


 ロゼの顔に驚きはない。うちに魔道具の注文が急に入るのはそこまで珍しいことではないからだ。


「ううん。カルロスさんが、海の向こうの島に冒険者ギルドの支部を建てたいんだって。そのための交渉に協力して欲しいって頼まれた」


 今度の言葉には、さすがのロゼも思案顔だ。難しい顔で少し黙り込んだ。


「……航海の拠点の強化が目的か?」


「うん。良く分かったね」


「ああ。魔物への備えで砦を建てるにしても、遠方から資材を運ぶのと、近場で工面できるのでは難易度が大幅に違うものだ。必要な資材は近場で集められるに越したことはない」


 ロゼの答えは正解だ。カルロスさんはより広範囲の海を探索するために、あの島に拠点を作っている。だけど大規模な航海を行うのなら、大量の物資が必要になるものだ。そのためには拠点周辺を開発しなければならない。


 そしてその開発は、現地の人間に行ってもらうのが手っ取り早い。


「冒険者ギルドが出来れば、島の人達は魔物の素材や植物の換金が簡単になって、新しく魔石を手に入れることができるようになる。元々、魔道具なしで生活していたみたいだからね。島で魔道具が作れるようになれば、生活にも余裕ができるようになるはずだよ」


 魔道具作りを目指す人は、ガルガン工房で面倒を見るらしい。その人達が独り立ちするまでは、こちらから魔道具を輸出する計画だそうだ。


 魔道具のおかげで生活に余裕ができて人員が浮けば、日々の生活以外の活動に労力が使えるようになる。その使い道は様々だろう。島の未開の場所を拓いてもいいし、ウェイブ商会が行う拠点作りの事業に出稼ぎに行ってもいい。


 その働きに対してウェイブ商会が渡す報酬は、この都市から送り出す魔道具だ。


「島の人達は魔道具を手にすることで生活が豊かになり、冒険者ギルドは島の魔物や植物なんかの素材をこっちに持ち帰って独占販売する。そしてウェイブ商会はその流れの中で、拠点作りのための働き手や、必要な資材を入手することができる、っていう狙いらしいよ」


 年単位の計画だ。その日数を少しでも削ろうと言うのが、今回カルロスさんがオレに声をかけて来た理由となる。


「ふむ……一大事業だな。ちなみにこちらへの見返りはなんだ?」


 ロゼがオレを見る。うちの帳簿は最近ロゼが管理するようになったので、当然の疑問ではあるだろう。


「あ~……向こうの島が発展することが、そのままオレへの報酬かな?」


 ロゼの眉が少し寄った。オレの背中にも少し汗が滲む。


「ええと、まずは、この都市から魔道具を輸出するようになれば、オレの魔道具も今より売れるようになるから、その分うちにもお金が入る」


「ふむ……」


 ロゼの目は、それは当然だろう、と語っている。まあ、これでは依頼の報酬でもなんでもない。


「あ~、あとはねえ……この前カレーライスって作ったよね?」


「む? ああ。とても複雑なのに洗練されているような、不思議な料理だったな。コウが頑張って作っただけあって、とても美味しかった」


 味を思い出したのか、ロゼは満足顔だ。気に入ってもらったのは知っている。ロゼは4杯くらい食べたからな。


「そのカレーを作るのに必要な香辛料が、あの島じゃないと採れなくてね。もう少し島が開発されないと、気軽にカレーライスを食べるのは無理そうなんだよ」


 オレの言葉に、ロゼは軽く目を閉じた。数秒後に再び目を開けたロゼは、仕方のない奴を見るような少し困った表情だった。


「それは今回も、新しい食材のために仕事を請けた、とうことだな?」


「……そうなりますね」


 思わず敬語で答えた。オレにとっては価値があるが、外から見れば、今回の仕事の報酬はゼロと変わらない。そして、この手の仕事は度々ある。


「まったく、コウは食べ物のことばかりだな」


 仕方ない、と軽く息を吐くロゼを見て、黙々と食事を続けていたリーゼが声を上げる。


「パパ、くいしんぼうさんなの~?」


 その言葉に、ロゼが笑顔でリーゼの頭を撫でた。


「うむ。そうだぞリーゼ。パパは家族の中で一番の食いしん坊さんだ」


 大いに異論のある言葉だが、今のやり取りから反論の声を上げることは出来そうになかった。


 まあ、ロゼの雰囲気から今ので許してくれたらしい。頑張って稼いで、後で美味しいカレーを作ることにしよう。


 そう決めたオレの足元では、タローが呑気に鶏の軟骨を楽しんでいた。

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