第234話 夏の飲み会:後

 カルロスさんの笑いも落ち着き、和やかな雰囲気が戻って来た。話の続きのように、ギルバートさんが口を開く。


「カルロスは結婚しないのか?」


 ギルバートさんの問いに、カルロスさんは軽く笑う。黒い眼帯を着けた顔は迫力があるが、カルロスさんは中々のイケメンだ。しかも都市でトップレベルの商会長の地位に就いている。結婚相手は選り取り見取りだろう。


「結婚ねえ……。今のところはするつもりはないな」


「伴侶がいるというのはいいもんだぞ。子供がいればさらにいい」


 カルロスさんのコップにビールを注ぎながらギルバートさんが言う。その言葉には大いに同意したいと思う。


 しかしながら、カルロスさんは笑いながら肩をすくめるのみだ。


「錨を下ろしたままじゃあ、船は遠くに行けないもんだ。俺にはまだまだ見たい景色がたくさんあるからな。帰る場所が出来たら無茶はできない。そうだろう、コーサク?」


「……そうですね」


 カルロスさんがオレに振ったのは、昔と今のオレの違いを知っているからだ。失うものが何一つなかった昔は怖いものなどなかったが、今は自分の命も守る対象となった。帰りの保証がない場所にはもう行けない。


「帰らなきゃならない場所が出来ましたからね。結婚する前みたいな無茶はもう出来ませんよ」


 ロゼとも無茶をしないって約束したし。


 オレの言葉に、カルロスさんは「そうだろう」と頷いてビールを口に運んだ。


「俺はこれからも無茶をするつもりだからな。なんせ相手は馬鹿みたい広い海だ。一夜の遊びならともかく、永遠の愛を誓うにはまだ早い」


 そう言い切ったカルロスさんに寂しさは見えない。ひたすらに夢を追い掛ける少年のような、楽しそうな笑顔だけがそこにはあった。


 その表情に、オレは何だか触れてはいけないような気分になったが、同格のギルバートさんは気にしなかったようだ。


「お前のところの副商会長は、きっと早く身を固めて欲しいだろうがな」


「はははっ、その通りだ。毎日会うたびに言われるな」


 ウェイブ商会の副商会長さんは、命懸けの航海に出ようとするカルロスさんを毎回必死に止める苦労人だ。とても優秀な人だが、本人はカルロスさんの補佐でいるのが好きらしい。

 独身だが最近は自分の結婚よりも、カルロスさんにお見合いをさせるのに力を入れているとの噂だ。


「そういえばグルガー。お前は結婚しないのか? 村の長が独身じゃあ恰好がつかないだろう?」


 カルロスさんの視線と質問を、グルガーさんは微動だにせず受け止めた。


「……この身は未だに修行の中にある。嫁取りは長と認められてからになるだろう」


 向こうの習慣は良く知らないが、グルガーさんはグルガーさんで守るべき仕来りがあるのだろう。生き方も硬そうな返答だった。


「そりゃあ、真面目で健全なことだな。息抜きがしたくなったら言えよ?」


 カルロスさんの言葉に、グルガーさんは肯定の言葉もなくビールを口に運んだ。譲るつもりのないその態度に、カルロスさんは楽しそうに笑う。


 グルガーさんらしいと思いながらテーブルの上を見渡せば、料理は粗方なくなっていた。そろそろ持って来たあれ・・を出そうか。お酒だけじゃなく、ガッツリ食べたい気分だ。




 数分後。オレ達4人の前には、大皿に盛られた白と茶色の食べ物があった。けっこうお腹はいっぱいだったが、その状態でも食欲をそそる香りに、ついつい頬が緩んだ。


「初めて見る料理だな……。何て言う名前だ?」


 珍しいものを見るような視線で皿の中身を観察しながら、ギルバートさんが聞いてくる。それに答えるオレの顔は、きっと満面の笑みだろう。


「カレーライスって名前です。オレの故郷の家庭料理なんですよ。カルロスさんとグルガーさんのおかげで最近作れるようになりました」


「ふうむ……また不思議な響きの料理だな……」


 けっこう長い間挑戦していたカレー作りだが、手に入る香辛料を総当たりしても納得のいく味を再現することができなかった。だが、もう諦めようかと思ったときに、カルロスさんが新しい香辛料をくれたのだ。

 グルガーさんの故郷で採れたその香辛料を調合することで、ようやくオレはカレーライスを作ることができた。お2人には感謝だ。


「ははは、俺も渡した香辛料がこんな料理になるとは思わなかったがな」


 そう笑いながら、カルロスさんは木製のスプーンを手に取った。物怖じしないのはさすがだ。


 さて、オレも食べるとしよう。試作の段階から何回か食べてはいるが、何年も食べていなかったカレーだ。しばらく食べ飽きることはないと思う。


「では、いただきます」


 スプーンでご飯とカレーを多めに掬い、そのまま一口。


 肉と野菜の旨味が凝縮されたとろみのあるカレーを、ご飯がしっかりと受け止めている。複数のスパイスを混ぜた味は言い表せないほどに複雑で、何より懐かし過ぎて泣きそうだった。


「ん~~。カレーだ……!」


 日本式の白いご飯に合うカレー。何杯でも食べられそうだ。


「ほお……見事なもんだな」


 ギルバートさんも驚きの表情だ。


「ああ。一口目は驚いたが、慣れると美味いな。コーサクの地元だと、こんなのが普通の家で食えるのか?」


 カルロスさんも感心したように感想を言ってくれた。グルガーさんは無言だが、食べるペースが速いので気に入ってくれたのだろう。


「さすがに今食べてるのはけっこう手間をかけて作ってますけど、どの家でも普通に食べる料理ですよ」


「へえ。そりゃすごい」


 そう言って、カルロスさんはカレーに戻った。大振りの肉を掬い上げて驚いている。


 今回作ったカレーは、カルロスさんに言った通りかなりの手間をかけて作ったものだ。


 みじん切りにした玉ねぎを飴色になるまで炒めたり、牛肉をとろけるまで煮込んだり、自作のトマトケチャップやウスターソースなんかも少し入っている。何だかんだと丸一日かかったが、その分濃厚でとても美味しい

 大き目に切ったゴロゴロのジャガイモはホクホクで、同じ大きさのニンジンも甘くていい感じだ。


 時間をかけて煮込んだ牛肉は、軽く噛むだけで繊維が解けていく。濃い牛肉とカレーがご飯と合わされば最強だ。食べる手が止まらなくなってくる。


「ああ、そうだ。漬物も作ってきたので良かったらどうぞ」


 テーブルに載せたのはキュウリのキューちゃん漬け。本来ならカレーライスには福神漬け派だが、あいにく福神漬けを自作したことはなかった。不覚だ。一回くらい試しておけば良かった。


 仕方ないので、箸休めの役割はキューちゃん漬けで代用する。カレーを食べる合間にパクリと口に入れてみれば、中々悪くはなかった。


 コリコリという歯に嬉しい食感に、さっぱりとした醤油の風味。重めのカレーにはこれはこれで合うと思う。


 キューちゃん漬けのおかげもあって、飽きることなくお代わりまでしてしまった。他の3人にも高評だったようで、多めに作ってきたつもりのカレーはあっという間に売り切れとなった。


 うん。これでまた一つ、長年の夢を叶えることができた。満足、満足。




 重いお腹を抱えながら、のんびりと会話に参加する。時間的に見ても、もう少ししたら飲み会も終わりだろう。今日は気分よく眠れそうな気がする。


「ふう~、今日は食ったなあ。コーサク、料理美味かったぞ」


 カルロスさんも機嫌が良さそうだ。


「どういたしまして。カレーはカルロスさんのおかげで作れましたからね。食べてもらう機会があって良かったです」


「ははは。気にするな。俺も狙いがあっての行動だ」


 ん?


「いや、本当に美味かったな。リリーナが経営する店で出してもおかしくない味だった」


 何か気になる台詞があったが、聞き返すタイミングを逃してしまった。


「そこまで言ってくれると嬉しいですよ。作るの大変でしたからね。リリーナさんには、そのうちレシピの販売を相談してみるつもりです」


 自分で作るカレーもいいが、他人が作ったカレーを食べるのもいい。多様性はカレーの特徴だ。色々なカレーが生まれていく様子を見るのはきっと楽しいだろう。


 カレー専門店とか、いつかできるだろうか。そんなことを酔った頭で考えていると、カルロスさんが急に話を変えた。


「ところでコーサク。これからしばらく余裕はあるか?」


 余裕? 魔道具作りの依頼だろうか。


「え~と、なくはないですね。お米関係や普段の仕事もありますが、大きな案件はないので、ある程度は余裕があります」


「そうか、なら良かった。実は協力して欲しいことがあってな」


 ……カルロスさんの顔が仕事用に変わった。何か面倒事の予感がする。


「また新しい船でも造るんですか?」


 オレの質問に、カルロスさんは首を横に振った。困った。それ以外だと心当たりがない。


 疑問符が浮かんでいるだろうオレに、カルロスさんは笑顔で話し出す。


「実は、向こうに冒険者ギルドの支部を作りたくてな」


 言いながらカルロスさんが視線を向けた先はグルガーさんだ。それはつまり……。


「海の向こうに、ってことですか?」


 まさかだろう。未だに年に数回しか行き来をしていないような場所だ。冒険者ギルドだって、そう簡単に支部を作ったりしないはずだ。


 だが、カルロスさんは何てことないように首を縦に振った。


「ああ、その通りだ。俺とグルガー、どちらにとっても益のある計画だ。もちろん、新しい素材を取り仕切ることのできるギルド側にもいい話だと思っている」


 カルロスさんの言葉に、沈黙していたグルガーさんも語り出す。


「我々は強い。だが、この地のような特別な道具は持ち合わせていない。新たな知識を持ち帰ることができれば、より一層の繁栄を迎えることができるだろう」


 グルガーさんの言う道具。そして冒険者ギルド。それなら2人の狙いは。


「魔道具の知識……それと、材料になる魔石の加工技術ですか……」


「その通りだ。さすが魔道具職人。話が早いな」


 魔道具を作るためには魔石が必要だ。そして、魔石は生物が持つ魔核を加工したものだ。


 少なくともこの大陸では、魔核を魔石へと加工する技術を冒険者ギルドが独占している。というか、その技術と利益を独占することで、冒険者ギルドはこの大陸での発言権と、冒険者を守る力を確保しているのだ。


 かつて国や貴族同士の戦で大陸が荒れた時代。民衆を守るべき兵士たちは戦争へと駆り出された。そして、狩られることのなくなった魔物たちは数を増やし、無辜の民へと襲い掛かった。


 そのときに立ち上がったのが、冒険者ギルドの創設者となった人々だ。自らの家族を守るために戦った人達と、民を顧みない王や貴族を見放した知識層が、権力者の都合の左右されることなく魔物と戦えるように作った組織。それが冒険者ギルドの始まりだ。


 そんな冒険者ギルドだが、国にとっては重要な技術を独占する目の上のたんこぶ的な組織でもある。魔石の加工技術を巡っては、日夜各国の間諜と攻防が繰り広げられているのだとか。

 魔石の秘密を探ろうとした者は人知れず消されていく、というのは、まことしやかに囁かれる噂話の一つだ。


「あの島に冒険者ギルドの支部を建てることができれば、グルガー達は魔道具を作るための魔石を手に入れることができる。そして島が発展すれば、島を航海の中継点としている俺の商会も補給やらが楽になる。ついでにギルドは珍しい素材を独占だ。誰にとっても悪くないだろう?」


 いい話だ。特に粗は見つからない。カルロスさんもこの場で嘘を言ったりはしないだろう。問題は、オレがその案件に首を突っ込むことだ。


「……そこまで考えているなら、オレの協力はいらないんじゃないですか?」


 ウェイブ商会だけでも、十分に冒険者ギルドを動かすことはできるだろう。


 その意味を込めた言葉に、カルロスさんは隻眼を細めて笑う。夢だけを見つめた、自分の命さえも投げ捨てそうなほどに純粋な笑みだった。


「コーサク。俺もそろそろ40が見えて来た。これから先、無茶な航海に挑めるのは一度か二度だろう。人生は短く。戦える時間はもっと短い。風が吹いたときに動けないんじゃあ、俺は死んでも死にきれない」


 自分を使った脅しのような言葉に、隣に座るギルバートさんはやれやれと肩をすくめている。そして、グルガーさんは目を閉じて聞いていた。


「この件はガルガン工房にも話を通している。あとは、ガルガン工房に次ぐ魔石の取引先であるコーサクが俺についてくれれば、冒険者ギルドの動きも早いだろう。もっとも、急かした分の見返りは要求されるだろうが、それは俺の商会が受け持つつもりだ。ああ、それとコーサク」


 言葉を切り、カルロスさんはまるで悪戯に成功した子供のような目でオレを見た。


「カレーライスに使われた香辛料なんだがな。あれはグルガーのところでは薬扱いされている植物で、しかも険しい山の中でしか自生していないものらしい。今の状況で普通に買おうとすれば、コーサクに渡した分で並みの魔道具が5台ほど手に入る値段になる」


「……はい?」


 急に出て来たカレーの香辛料に、上手く頭が追い付かなかった。


 ええと、オレがカルロスさんからもらった香辛料は、両手で包める程度の革袋に入っていた。グラムにすると300くらいだろうか。


 そして、魔道具というのは基本的に高価だ。魔物の討伐、魔核の採取、魔石への加工、魔道具への加工、と必要な段階が多いから当然だ。普通の魔道具でも、この都市の平均的な家族なら1台分の金額で1ヶ月くらいは暮らせると思う。


 それが、300グラム程度で5台分? ええ? めちゃくちゃ高くない? さっき食べたカレーは一杯いくらになんの? 超高級品じゃない?


 ちょっと嫌な汗が出てきたオレに、カルロスさんが畳み掛けるように言葉を続けた。


「あの島に冒険者ギルドが出来れば、希少な植物の採取も頻度が上がるだろう。栽培にも手を付けられるかもしれない。どちらにせよ、今のままじゃあ気軽にカレーライスを食べるのは無理だろうな」


 やられた。そしてさすがだ、と思った。オレの行動原理を良く知っている。


「さて、もう一度相談だがコーサク。冒険者ギルドの支部を建てるために、俺に協力してくれないか?」


 そう言ったカルロスさんは、とてもいい笑顔だった。


 カレーライスを自由に食べられる生活と、少し面倒な仕事。それを天秤にかけて、オレが選んだ答えは言うまでもないだろう。

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