第229話 忙しい日々は終わらない
貿易都市に帰って来て早2日。一週間放って置いた家の掃除をしたり、旅の間に溜まった洗濯物を片付けたり、報酬でもらったお酒を家に運び込んだりと、色々とバタバタしている内に、あっという間に時間は過ぎた。
いつもより楽だった気がするのは、ケイトさんがその間リーゼの面倒を見ていてくれたおかげだろう。
もちろんタローも手伝ってくれたが、さすがにタローは絵本の読み聞かせとかできないからな。人手があるのはありがたいことだ。
さて、そのケイトさんについてだが、しばらく家に滞在してもらうことになった。
本人は宿屋に部屋でも取って仕事を探すつもりだったようだが、オレとロゼで反対した。理由はいくつかあるが、大きいのはケイトさんの生活力のなさだ。薄々気が付いてはいたが、ケイトさんはまったく世間慣れしていない。
まずは物の価値に関する知識が薄い。自身の体質がバレないように、半ば引きこもりのような生活をしていたことが原因のようだ。必要な物はカーツさんに頼めば手に入ったらしい。
食事も屋敷の料理人が準備していたらしく、料理の経験もほとんどない上に、食材を買いに行ったこともないとのことだ。
立派に世間知らずのお嬢様だな。つまり箱入り娘状態だ。レズリーさんはケイトさんのことを甘やかし過ぎだろう。結婚でもして家を出たらどうするつもりだったんだ。
貿易都市は治安が良いが、それでも商人達が鎬を削る激戦区だ。なりふり構わずに詐欺まがいの行為をする商人も存在はするし、商品への知識がなければふっかけられることもある。
そんなところに世間知らずの若い女性を放り出したらどうなるか。まあ、大抵はロクなことにはならないだろう。
そんな訳で、ケイトさんには普通に生活できるくらいになるまで家で色々と教えることにした。その間はオレ達の仕事の手伝いをしてもらうつもりだ。
幸いなことに、ケイトさんは町長一家の娘として十分な教育を受けて来たようだ。後は経験しながら覚えれば何とかなるだろう。
さて、ケイトさんに教えたい内容はたくさんあるが、オレにもやることはある。今回の件の報告やら頼み事やらだ。
そのために、まずはリリーナさんのいるリューリック商会に来ている。
いつものように執務室に通されれば、そこにいるのは部屋の主。最近ますます美貌に磨きがかかったリリーナさんは、佇むだけで場を支配しているようだ。プレッシャーがすごい。
「こんにちは、コーサクさん。いえ、おかえりなさい、と言うべきかしらね。ご家族での旅は楽しかった?」
「こんにちは、リリーナさん。楽しいと言うよりは、刺激的な旅でしたよ」
まさか職人を探しに行って、探偵の真似をするとは思わなかった。まあ、実際はほとんどタロー頼みのゴリ押しだったけど。
「ふふふ、色々とあったみたいね。目的は果たせたのかしら?」
「ええ。無事にお米を使ってお酒を造ってもらえることになりましたよ。これで一安心です」
「そう。良かったわね」
結果的に言えば、オレにとってかなり良い展開になったと思っている。町長であるレズリーさんに協力を確約してもらえたのだ。日本酒造りの観点から見れば、最上と言ってもいいだろう。
……その最上の結果を掴めたきっかけは、目の前のリリーナさんの言葉なんだが……実際どれくらい事情を把握していたんだろうか。
「そういえば、向こうに着いたらちょっと騒ぎが起きていたんですが、リリーナさんは知ってました?」
「ええ。街ではお酒が飲めなくなっていたのよね。つい最近知ったわ」
白々しい、と言うべきだろうか。リリーナさんの態度からは読み切れないが、これはたぶん嘘だろう。リューリック商会の情報網で、あの街の状況を掴んでなかったとは思えない。
「でも、それも元に戻ったようね。取引に行った部下から昨日聞いたわ。コーサクさんは何があったのか知っているのかしら?」
「すみません。一応、問題の解決には協力しましが、詳しくは言えないです。そういう約束なので」
事件の真相を知っているのは、オレを含めた6人だけだ。“山水の精霊”の存在自体が秘密のため、街の住民にも具体的な内容は知らされていない。
これは街の弱点を公にしないための情報規制だが、同時にケイトさんを守ることにも繋がっている。世間一般の認識では、今回の事件に犯人なんていないのだ。
という訳で、リリーナさん相手でも詳しい内容を話すつもりはない。
「そう。ふふ、それは残念ね」
オレの断りの言葉に、リリーナさんは楽し気に微笑んだ。全然残念そうじゃないな。どこまで真実を知っているのやら。
リリーナさんの胸の内は分からないが、オレに感情を見せる程度には機嫌が良いようだ。まあ、今回は貴重な助言をもらったし、リリーナさんが楽しそうなら言うことはない。
その後もいくつか雑談をし、そろそろお暇することにした。他にも回る場所はあるし、リリーナさんも多忙な身だ。仕事の邪魔をするのも悪いだろう。
「では、そろそろ帰ります。今回は情報ありがとうございました」
「ふふふ、どういたしまして。いつか、あの街での出来事を聞かせてくれると嬉しいわ。またね、コーサクさん」
機嫌の良いリリーナさんに見送られ、部屋を後にする。さて、次に行こうか。
次にやって来たのはグラスト商会。こっちはこれからの依頼についてだ。
商会に着くと、商会長であるギルバートさんは併設された倉庫で慌ただしく指示を出しているところだった。
邪魔をしないように、一段落するまで壁際で待つことにする。
荷物の積み下ろしの音や、掛け声、馬の鳴き声などで倉庫内は騒がしいが、その中でもギルバートさんの太い声は良く響いていた。
大声であちこちに指示を出す姿は、ギルバートの厳つい人相も相まって、戦場のただ中のようだ。
まあここも、色々なものが懸かった戦場であるのは間違いではないけど。
今出て行った馬車なんかは大量の塩を積み込んでいたし、行き先はたぶんどこかの村だろう。この場から始まる流通は、様々な人の生活を支えているはずだ。
馬車の積み荷を眺めながらどこまで運ぶのかを想像している内に、ある程度の波は過ぎたようだ。
ギルバートさんは部下に声を掛けて、オレのいる場所へ歩いて来る。
「おう、コーサク。ちょうどいいところに来たな。リックに呼びに行かせようかと思ってたところだ」
ちょうどいいところ? なんだろう。
ギルバートさんに引っ張られて、一番に近くにあった応接室に入る。お互いに用事はあるようだが、オレの話から聞いてもらえることになった。
「この間はどうもありがとうございました。わざわざ帝国の僻地まで荷物を運んでもらって。ああ、これ、お土産です」
言いながら、布で包んだ酒瓶をギルバートさんに渡す。依頼の報酬でもらったお酒だ。ロゼに聞いたところ、かなり希少なものらしい。
お礼を言ったのはルヴィへの荷物の配送の件だ。この前来たルヴィからの手紙について、返信と共に役立ちそうな荷物を送っている。それを頼んだのはグラスト商会だ。
陸上で荷物を安全に届けることにおいては、ここの商会が一番安心できる。
「気にするな。こっちも孤児院では世話になっているからな。それに依頼料もきっちりもらった」
傷のある頬を笑みの形に歪めながら、ギルバートさんはオレから酒瓶を受け取った。
「おおっ。こいつは随分といい酒だな。ありがとよ。大事に飲ませてもらう」
ギルバートさんが酒瓶を持って笑うと迫力がすごいな。喜んでくれたのは嬉しいけど、ちょっと危なく見える。
「それで、また依頼があるんだろう? 今度は何をやらかした?」
やらかした、とは、オレがいつも問題を起こしているような言い草だ。問題を起こしたことなんてそんなに……。いや、お米が絡んだときは色々とやってるな……。反論はしないでおこう。
「この都市の近くに、お酒造りで有名なサリトアの街ってあるじゃないですか。そこで、お米を使ったお酒を造ってもらえることになったんですよ。なので、原料になるお米を運んでもらいたいんです」
「ほう。もう酒造りに挑戦するのか。早いもんだな。サリトアの街なら問題ないぞ。あそこからはうちの商会でも酒を買っている。仕入れに行く馬車に積み込んで行けばいいだけだ。安くしておこう」
値引きしてくれるらしい。ありがたい。
「上手く出来たら俺にも飲ませてくれ。どんな酒になるのか楽しみにしている。それで、どこの酒蔵に届ければいいんだ?」
あ~、と……。
「とりあえず町長宛てでお願いします」
ギルバートさんが不思議そうに方眉を上げた。
「構わないが、どうして町長宛てなんだ?」
「……町長さん主導でお酒を造ってくれることになったから、ですかね?」
ギルバートさんが呆れたような表情を浮かべる。
「結局、また何かやらかして来たのか。何をどうしたら、町長主導なんてことになるんだ?」
「いや、オレがやらかした訳じゃないですよ。約束なので詳細は言えませんが、ちょっと問題に首を突っ込んだだけです」
「“ちょっと”で町長が出て来る訳がないだろう……。まあいい。依頼は受けた。後でリックを行かせるから、載せる荷物を用意しておけ」
「ええ、はい。ありがとうございます」
これで日本酒造りもスタートだ。どんなものが出来るのか楽しみだな。
「さて、コーサクの話が終わりなら、今度はこちらの番だな」
ああ、そういえば、ギルバートさんも用事があるんだったか。なんだろう。
「コーサク宛てに大量の荷物が届いていてな。家に運び込むには多いから、どうするか相談したかったところだ。まあまずは、一緒に来た手紙を読んだ方がいいだろう」
家に運び込めない程の届け物……? なんだ? 心当たりがないぞ。
疑問に思いつつも、ギルバートさんが差し出して来た手紙を受け取る。かなり良い品質の封筒だ。いったい誰から、と思いつつ差し出し人を探してみる。
「……デュークさんから?」
ロゼの父親。つまり義父であるデュークさんからだ。とりあえずオレ宛てであることは間違いないようなので、手紙を開けて読んでみる。
公式な手紙のようで、冒頭は長ったらしい挨拶が続いていた。それを読み飛ばして、内容を確認する。
まず、悪龍が復活した山の封印は完了したらしい。そして、周囲の魔境もある程度攻略できたようだ。これは良いニュースだな。帝都の脅威が一つ減った。
そして、ここからが本題のようだ。魔境の攻略が進んだことで、同時に調査範囲も広がり。いくつかの希少な素材の採集にも成功したらしい。
その中には群生地が発見された、ある植物も含まれている、と記載されている。
緊張感を覚えながらも先を読み進める。その先の文章には、こう書かれていた。
『悪龍討伐の報酬を、ここに贈る』
顔が笑みの形に変わっていくのが分かる。
オレが悪龍討伐の報酬として依頼したのは、帝国の魔境に生えていたはずのお米だ。魔物の熾烈な縄張り争いによって遅れていたその捜索が、ようやく終わったらしい。
つまり、オレに届いた大量の荷物は……魔境育ちのお米だ!
「ギルバートさん! 荷物! 見に行ってもいいですか!?」
「おう。コーサク宛てだからな。どの道確認はしてもらうつもりだ」
ギルバートさんが仕方のない奴を見るような顔をしているが、どうにも精神の高揚を抑えられない。抑える気もないけど。新種のお米なのだ。じっとしていられる訳がない。
どんなお米だろうか。味はどんなだろう。今あるのは日本米に近いから、次は長粒系だったりするのだろうか。それならパエリア? それはそれで悪くないな。
ああ。やることがいっぱいだ。楽しい忙しさがまだまだ続くな。
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