第218話 屋敷の地下
レズリーさんの屋敷へと到着したオレとロゼは、さっそく宝玉が入っていた金庫を見せてもらうことにした。リーゼも一緒だ。ロゼに抱かれながら、初めて見る広い屋敷にキョロキョロと視線を動かしている。
タローは屋敷の厩舎番のところだ。さっき見たときには馬の横で暇そうに寝そべっていたな。
秘書のカーツさんに案内されて屋敷の中を進むと、地下へと降りることになった。屋敷の地下はかなり広いらしい。照明の魔道具で照らされた通路を進めば、重そうな両開きの扉へと行き当たる。
その扉の前で、カーツさんが立ち止まった。
「こちらが当屋敷の宝物庫でございます」
カーツさんの言葉に周囲に視線を走らせる。扉には鍵穴は見えない。そして地下通路には人影もなかった。
「特に警備とかはいないんですね」
「はい。元々この街では、盗みなどの犯罪はほとんど起こらなかったのです。そのため、屋敷内に警備などは置いておりません」
「なるほど」
まあ確かに、ほとんど起こらない事象に対策するのは、コスト的に無駄かな。今となっては不用心だったと思うけど。
オレが黙ったのを見て、カーツさんが案内を再開する。
「それでは、宝物庫の中へご案内いたします」
そう言って、カーツさんは扉へと手を掛ける。低く軋む音と共に、ゆっくりと扉が開かれた。照明の点いていない中は暗闇だ。
宝物庫の中へとカーツさんが先に入る。そして、数秒後には部屋の中が明るくなった。魔道具を操作したようだ。
「どうぞ中へお入りください」
カーツさんの言葉に、オレ達も宝物庫の扉を潜る。
広い室内には絵画や像などの美術品が並んでいた。オレに審美眼はないが、どれも高そうな雰囲気だ。
カーツさんはその美術品たちを一度見渡して、オレ達へ説明してくれた。
「ここにある品々は、この街が販路を広げた際に、親交の証として取引先からいただいたものです。遠くは帝国の貴族様からいただいたものもあります」
「それは、すごいですね」
オレの言葉に、カーツさんは控えめに笑った。
「ありがとうございます。では、宝玉を保管していた金庫へとご案内いたします」
カーツさんの背中を追って、宝物庫内を移動する。
この街の取引先は予想外に多いらしい。貴族とも取引をしているともなれば、お酒を売れないのは信用に関わる。下手をすれば、二度と買い付けてもらえなくなるだろう。
悪いのは圧倒的に宝玉を盗んだ犯人ではあるが、責任があるのは、犯罪を防止できなかったこの街だ。
うん、ヤバい状況だな。そりゃカーツさんの顔色も悪くなるわ。
そしてその顔色の悪いカーツさんはと言えば、壁の一角を前にして立ち止まった。
「こちらが金庫となります」
カーツさんが体を避けると、そこには壁に埋まった金庫があった。小型の金庫だ。扉の大きさは50センチメートル四方くらいか。小さな鍵穴が見える。
カーツさんが、その鍵穴へと鍵を差し込んだ。鍵を捻るとカチリと音が鳴る。鍵だけで開く単純な金庫のようだ。
「鍵さえ持っていれば、誰でも開けられるんですね」
「はい。そうなります」
カーツさんが少し疲れたように言いながら、金庫の扉を開いた。当然のように中は空っぽだ。薄暗い金属の壁だけが見える。
「鍵自体は盗まれていないんですよね?」
「はい。宝玉が盗まれた後も、鍵は変わらずにありました」
「なるほど……」
犯人はレズリーさんの机から鍵を取り出して、金庫を開けて宝玉を盗み、それから鍵を元の場所に戻した訳か……。事件の発覚を遅らせたかったのだろうか。
……いや、そもそも。
「カーツさん、金庫の鍵を見せてもらってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
カーツさんから金庫の鍵を受け取る。近くで見ると、鍵は簡単な構造だ。これなら、ピッキングとかでも金庫を開けられるんじゃないだろうか。盗賊が犯人だとしたら、そこら辺の技能も持っていそうだ。
う~ん、犯人像が絞れないな。他の人の話も聞くことにしよう。今はとりあえず、
「カーツさん、この鍵と金庫の記録を取ってもいいですか?」
「記録、ですか? ええ、どうぞ」
カーツさんは良く分かっていない表情だが、許可はもらえたのでいいだろう。持ってきたカメラを取り出して、鍵と金庫の写真を撮る。あとで気になることがあったら見返そう。
金庫を施錠し、全員で宝物庫を出る。収穫があったかは微妙なところだけど、まあ、現場を確認するのは大切だろう。
再びカーツさんを先頭に地下の通路を歩いていると、前方に人影が見えた。あれは、
「ケイトさん?」
通路の先にいたのはケイトさんだ。あまり明るくない地下の照明の下でも、赤らんだ顔が良く見える。
「あら?」
向こうもこちらに気が付いたらしい。軽く手を振って来た。近づいて来るオレ達を見ながら、ふわふわと笑っている。
「もう調べ始めるなんて、とても真面目なのね」
「はあ、まあ」
むしろケイトさんは、もっと危機感を持った方が良いのでは? そう思ったオレの顔を見て、ケイトさんは楽しそうに笑う。やっぱり酔っ払いか。
笑っているケイトさんの視線が、ロゼと、ロゼに抱かれたリーゼへと向かう。
「うふふ。奥様ははじめまして。私はケイトよ。とても可愛らしい娘さんね」
リーゼが可愛いのは当然だけど、それを一目で把握して褒めてくれたケイトさんは良い人なのではなかろうか。
「はじめまして、ケイト殿。妻のロゼッタだ。こちらは娘のリーゼロッタ。ほらリーゼ、ご挨拶だ」
ロゼの言葉に、リーゼはケイトさんの顔を見て、その顔の赤さを不思議そうに見つめつつも手を振った。可愛いけど、ちゃんと挨拶出来るようになるのはもう少し先だな。
ケイトさんはリーゼの様子を見て笑みを深める。
「うふふふふ、良い子ね」
ですよね。
内心で同意したオレへと、ケイトさんの視線が移る。
「金庫は調べて来たのよね。何か分かったのかしら?」
「いえ、残念ながら。金庫の状態から犯人の特定は難しいですね」
鍵開けの知識があれば、誰でも開けられそうな金庫だ。犯人は誰でもあり得る。
「そう……。でもそれはそうよね。簡単に犯人が分かるのなら、兄さんが見つけているはずだもの」
軽く目を伏せて、ケイトさんは残念そうに呟く。レズリーさんへの評価は高いらしい。個別の聞き取りの際には、他の人の評価も聞いてみようか。何かヒントがあるかもしれない。
さて、それはそれとして、何でケイトさんは地下にいるのだろうか。ちょっと聞いてみよう。
「ケイトさんは、この地下通路に何か用事があったんですか?」
オレの質問に、ケイトさんは微笑みながら答える。
「ええ、この地下にはお酒の保存庫もあるのよ。ちょうどお酒が切れてしまったから取りに行こうと思って。良かったらご一緒にどうかしら? 貴重なワインも保管しているわよ」
……事件には関係なさそうだけど、一応見ておくか。横のロゼも「貴重なワイン」のところでピクリと反応したからな。貴重な体験ではあるだろう。
「そうですね。見せてもらえるなら嬉しいです」
「うふふ。ではこちらへどうぞ」
そう言って、ケイトさんはふらりと歩き始めた。オレ達はその後ろをついて行く。ワインも保管しているということは、ワインセラーみたいなものだろうか。けっこう楽しみだ。
お酒の保存庫は予想以上に広く、そして静かだった。壁際には大型のタルが並び、中央に備え付けられた棚には、ズラリと酒瓶が横たわっている。
深く息を吸えば、木の匂いに様々な香りが混じっているように感じた。ここにあるお酒のものだろうか。
少し肌寒いくらいの室温だが、冬というのもあって厚着をしているので気になるほどでもない。リーゼも大丈夫そうだけど……寒がるようなら連れて出よう。
酒瓶をじっと見ているリーゼから視線を戻せば、ケイトさんが楽しそうに笑っていた。
「ここは家の数少ない自慢なのよ。お酒は売りに出すときの揺れで味が変わってしまうのだけど、ここにあるものは出来てすぐに保管されているの。だから、お酒の本当の味が一番楽しめるのはここなのよ」
「それはすごいですね」
ケイトさんは饒舌だ。お酒が本当に好きなのだろう。オレがもう少し酒好きだったら、気の利いた返しができたかもしれないな。
だけど残念ながら、オレはお酒を飲むよりも、お腹いっぱいご飯を食べる方に幸せを感じるのだ。たぶん、こっちに来てからの空腹に苦しんだ経験からだな。ひもじい思い、というのはあれのことを言うのだろう。
さて、オレと違ってお酒が好きなロゼはどう感じているだろうか。チラリと視線を向けてみる。
「……50年ものだとっ……! 市場に流れればどれ程の値が付くのか……。む、リーゼ、触っては駄目だぞ。めっ、だ」
ラベルの文字を見て驚愕しながらも、リーゼへの教育を忘れないとはさすがロゼだ。
そして、ロゼが驚くほどには、ここにあるお酒は貴重なものらしい。事件を解決できたら、報酬として1本くらいもらえないだろうか。
もらえたら、もうすぐ結婚記念日だし、そのときにロゼと2人で開けてみたい。
……これは捕らぬ狸の皮算用と言うものか。まずは捜査に力を入れないといけないな。
そう考えて視線を戻すと、目の前にケイトさんがいなかった。
「あれ?」
思わず声を上げながら周囲を見渡すと、少し離れた棚の前にケイトさんがいた。踏み台に乗って酒瓶を取ろうとしている。酔っ払いで自由人か……。視界の端ではカーツさんが申し訳なさそうにしているのが見えた。大変っすね、カーツさん。
カーツさんに同情しながらケイトさんを見ていると、酔っているせいなのか、踏み台の上で細い体がふらりと揺れた。体勢を整えようとした足が、踏み台の天板を踏み外す――
「あら?」
あら? じゃねえよ!
急いで身体強化を発動。石畳の床を勢い良く踏み込み、ケイトさんを受け止める位置へと滑りこむ。
一瞬あとに、広げた両手の中にケイトさんが倒れ込んできた。セーフだ。ヒヤッとしたな。
「あらコーサクさん、ありがとう」
「どういたしまして……」
軽い感謝の言葉に体の力が抜ける。気を取り直して呼吸をすると、甘い香りが鼻を突いた。ケイトさんの香水だろうか。甘い香りがするケイトさんの体は軽くて柔らかだ。
ロゼとは違う感触だな。ロゼはもっとこう、しっかりしていると言うか、柔らかな中にもしなやかさがある。筋肉量の違いだろうか。
そういえば、ロゼは香水とか使わないな。元騎士で冒険者もやってたからか、あまり着飾らないというか……。プレゼントしたら使ってくれるだろうか。
「……」
おお? 奥さんからのジト目の視線を感じる。邪な気持ちは一切ないけど、何か不味い気がする。とりあえず、ケイトさんはさっさと下ろそう。
ゆっくりとケイトさんを下ろすと、ケイトさんは相変わらずふらつきながらも笑っている。
「コーサクさんは心配性なのね。あれくらいだと怪我なんてしないわよ? 私は転ぶのには慣れているの」
確かに、この世界の人は基本的に頑丈だ。ケイトさんも、放っておいても何事もなかったかもしれない。
だけどまあ、体が動いたのだから仕方ないだろう。誰かが傷付きそうなら手を伸ばすのが、オレの生き方だ。
とりあえず、こっちの人でも急所をぶつけるのはマズイので、ケイトさんには注意しておこう。
「頭を打ったりしたら危ないですからね。気を付けた方がいいですよ」
オレの言葉に、ケイトさんは軽く目を見開いて、それから楽しそうに笑った。
「うふふふ。ええ、そうね。次からは気を付けるわ。私が無事でも、転んだらお酒が割れてしまうかもしれないわよね」
……自分の身よりお酒優先ですか。
内心呆れるオレの前で、ケイトさんは楽しそうに酒瓶を抱き締める。抱き締めるのが花束だったら絵になったかもしれないな。
「そろそろ出ましょうか。あまり長居をすると、体が冷えてしまうわ」
「そうですね」
再びケイトさんを先頭に、オレ達は出口へと向かう。その途中、隣を歩くロゼに聞いてみた。
「ねえロゼ」
「……なんだ?」
あれ、ちょっと機嫌悪い……?
「ええと、オレが香水をプレゼントしたら使ってくれる?」
「む……? それはもちろん使うが、急にどうした?」
「いや、ふと思っただけ」
オレの言葉に、ロゼは数秒ほど沈黙して息を吐いた。
「……まったく。コウはいつでもコウだな」
……それはどういう意味なんだろうか?
良く分からないが、ロゼが微笑んでいるので良しとしよう。
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