第200話 防衛依頼

 この世界において、人類の生活圏は狭い。それは魔物の存在によるものだ。


 魔物という化け物たちが蔓延る魔境は、およそ人の住める場所ではない。人々は魔境を避けて都市を作ってきた。


 そして、自らの居場所を守るために壁を築き、周りの魔物を狩ることで安全を確保している。


 貿易都市でも、周囲一帯の魔物の討伐を定期的に行っている。巨大な魔物であるほどに、当然ながら必要とするエサは多い。魔物のエサは基本的に別な魔物だ。

 都市と魔境の間に、魔物の数が少ない空白地帯を作ることで、人々は強大な魔物が魔境から出てこないようにしている。


 魔物の行動原理は、基本的に食欲だ。自分のエサが少ない場所には、わざわざ移動はしない。


 それでも、その空白地帯を抜けて魔物が押し寄せる場合がある。その理由は様々だ。


 強力なリーダーが生まれたことで群れが増え、食料がなくなった場合。虫系の魔物による巣分けの場合。縄張り争いに敗れた種族が新天地を探している場合、などの原因がある。


 いずれにしても、魔境の奥までは人の手は届かない。その原因を除去することは不可能だ。


 故に人に出来るのは、魔物の襲来に備えること、そして、自らの生活を守るために戦うことだけである。






 水田から少し離れた場所、森の手前。目の前には息を整えるグレンさん。知らされたのは最低なバッドニュース。


 気が付けば拳を握り締めていた。像を結ぶ前の嫌な予感が胸を騒がせる。


「……グレンさん、向かってくるのはどんな魔物ですか?」


 答えを聞きたくないと、頭のどこかで思った。


アリだ。暴食蟻の群れだった。遠目にしか見えなかったけどよ、女王蟻もいたぜ」


 ……さらに最悪だ。


「……どれくらいでここまで来ますか?」


「たぶん昼過ぎには着くな」


 鳥対策を早朝から行い、今はまだ朝と呼んでいい時間だ。グレンさんの見立てが確かなら、あと数時間しかない。


 ……余裕がなさすぎる。


 暴食蟻は、その名前が表している通り、非常に食欲が旺盛な魔物だ。群れで移動し、進む先の全てを食べて移動する。当然のように雑食だ。体長は2メートル近くある。人にとっては生きた災害だ。女王がいたということは、新しい巣を作る場所を探しているのだろう。


 今すぐ都市運営に知らせて、討伐隊を組んでもらう必要がある。都市を采配するあの4人なら、適切に兵士を派遣してくれるはずだ。被害は最小限に抑えられるだろう。


 ……それで、オレはどうするべきか。


 都市のトップは優秀だ。被害も最小限に抑えられると思う。だけど、その被害に遭う最小限に、オレ達の水田が含まれる可能性は高い。


 オレ達が作った水田は、都市周辺の土地では最も外側にある。グレンさんが来た方向から考えても、最初に被害を受けるのはこの水田だ。


 暴食蟻は悪食。何でも食べるのだ。ここまで侵入を許した時点で、大切に育てて来た稲は全滅だろう。


 オレにとって、背後にある稲たちは大切だ。何をしても失いたくはない。だが、貿易都市にとっては、新規で始めた事業の一つに過ぎない。優先度は、きっと高くはない。


 だから、守りたいのならば、自分で動く必要がある。オレ自身で行動する必要が。


 ……今のオレなら、暴食蟻の群れと戦っても、十分に勝算はあると思う。オレは強い。強くなった。潤沢な魔力と、最上位の魔術適性。魔力への干渉もできる。戦うための魔道具も身に着けている。


 このまま森を進めば暴食蟻を止められる。オレの力で守りたいものを守れる。


 ――ああ、だけど。


「……それは、駄目だな」


 今のオレには帰るべき家がある。帰りを待ってくれる人のために、自分自身を守る必要がある。


 もう、無茶はしないと決めたのだ。帰ることができない可能性がある場所へは行けない。


 だから……。


「……ふう。うしっ、助けてもらおう」


 困ったときは、素直に人に頼るべし。ここは貿易都市。オレの活動拠点だ。一人じゃ無理なら、誰かを頼ろう。いつだって、オレは一人では出来ないことだらけだ。


 そうと決まれば行動開始だな。


「グレンさん、まだ走れますか?」


「おう、まだまだ行けるぜ」


 グレンさんは、疲労を滲ませながらもニヤリと笑った。


「じゃあ、一緒に都市まで走りましょう。グレンさんは都市運営に行ってください。オレは冒険者ギルドに伝えます」


「おう、助かるぜ」


 顔を見合わせて、すぐに走り出す。オレとグレンさんを挟むように、白と灰の狼が並走した。


 水田まで戻って来ると、まだアルド達が残っていた。良かった。


「アルド!」


「うおっ、コーサクさん、どうした?」


 全力で走ってくるオレ達に、アルドは驚いた顔を見せる。


「魔境から暴食蟻の群れが来る! 昼過ぎには到着だ! 周りの農家にも伝えて避難しろ!」


 急な言葉にアルドは目を白黒させる。


「お、おお? おお、わ、分かった!」


 それでもアルドは状況を飲み込んだ。魔物のいるこの世界で生きる人々は、危機への対応が素早い。上手くやってくれるだろう。


「任せた!」


 すれ違いざまにアルドの肩を叩く。何よりも、人命を守るのが最優先だ。




 走る、走る。爆発するように土を蹴る。邪魔な風圧は、『風除け』の魔道具で切り裂いていく。


 貿易都市まではあと少しだ。魔力を燃やし、体を前へと弾き続ける。


 都市の入り口が見えたところで、隣を走るタローがピクリと反応した。


「バウッ!」


 オレに向かってひと吠えし、タローは進行方向を変えた。疾走する勢いはそのままに、オレから離れていく。


「タロー!」


 オレの声にも振り向くことはない。何かを目指して、全力で駆けていく。


 その後ろ姿に、横を走るグレンさんも声を上げた。


「タローはどうしたんだ!?」


 それはオレが知りたい。


「分かりません! でも、何か訳があるはずです!」


 タローは賢い。この行動には、きっと何か理由があるはずだ。




 貿易都市に入り、グレンさんと別れる。


「グレンさん、そちらはお願いします!」


「おう、そっちも気を付けろよ!」


 オレは冒険者ギルドへと向かって走る。防壁を足場に、人波を越えて駆けた。


 その途中、都市の街並みの中で、見知った顔を見つけた。『黄金の鐘』の3人が歩いている。グレイとジーンがオレに気づく。一拍遅れて、エリザの視線がオレに向いた。


 いいところで会った!


「グレイ! エリザ! ジーン! ちょっと助けてくれ!」


 いや、ちょっとじゃないかも!


 オレの言葉に、3人は驚いた顔をした。だが、すぐに返事が返ってくる。


「いいですよ」

「もちろんです!」

「うん、いいよ」


 よし! 助かる!


「詳しくはギルドで話すから!」


 そう声を掛けて、3人を追い越して走る。背後から、3人が追い掛けてくるのが魔力の感覚で分かった。



 冒険者ギルドの近くまで来た。建物への入り口も見える。


 そして、そこに見覚えのある後ろ姿がある。建築資材のような迫力の大剣を背負った、筋肉の塊のような背中だ。


 その背中に呼び掛ける。


「ゴルドン!」


 オレの声に、巨体がゆっくりと振り向いた。オレと目が合ったゴルドンが、いつのも大声で話し出す。


「おお!! 坊主!! 久しぶりだな!! 今日は依頼か!!」


 珍しいことに依頼だよ!


「ゴルドン! オレに力を貸してくれ!」


 ゴルドンが、ピクリと肩眉を上げた。そして、すぐに破顔する。


「がっはっは!! いいぞ!! 任せろ!!」


 その大き過ぎる笑い声も、今は頼もしい。


「内容はギルドの中で説明するから!」


 ゴルドンに声を掛けながら、ギルドの中へと突入した。


 騒がしいギルド内を駆け足で進み、受付へと向かう。いつも利用するトールさんの受付が空いていた。ありがたい。


「トールさん、緊急依頼です!」


 受付に勢い良く両手をつく。周囲の騒めきが少し収まった。


「お伺いいたします」


 いつも通りの冷静な対応が頼もしい。


「まずは情報連絡から。魔境から暴食蟻の群れが向かって来ています。『赤い牙』のグレンさんからの情報です。女王蟻も確認済み。最近できた水田の方角です。昼過ぎには到着すると思われます」


 早口で情報を伝える。


「はい、了解いたしました」


 魔物の襲来を伝える情報に、トールさんは表情一つ変えない。


 受付の向こうで、トールさんの手が高速で動いた。何かを書いているようだ。すぐに書き終わったトールさんが、他のギルド員を呼ぶ。


「……これをギルド長へ」


 即席の報告書が、別なギルド員の手に渡った。トールさんが再びオレを見る。


「ご依頼をお伺いいたします」


 対応の速さがありがたい。


「内容は暴食蟻の討伐。目標は水田の防衛。人数の上限なし。報酬は依頼への貢献に応じた後払いで!」


 人手を募集します!


「かしこまりました。緊急時のため、私の権限で即時依頼を発行いたします」


 さすがトールさん、話が早い! これで、すぐに依頼が貼られるはずだ。


「ありがとうございます!」


 トールさんにお礼を言って、受付を離れる。


「行ってらっしゃいませ。お気を付けて」


 背後から聞こえる声を受けて歩く。向かう先は『黄金の鐘』の3人の元だ。ゴルドンもいる。


 グレイがオレに向かって手を挙げる。


「コーサクさん、依頼内容は聞こえていましたよ」


「ありがとう。それなら3人は他の冒険者にも声を掛けてくれ。人手は多い方がいい」


「分かりました」


 グレイ、エリザ、ジーンの3人が離れていく。頼んだ。


「ゴルドン、オレ達は先に向かおう。よろしく頼む」


「おお!! 任せておけ!!」


 ゴルドンと一緒にギルドの出口へと向かう。速足で歩いていると、ギルドから出る直前で特徴的な人物と出会った。


「あァ? 『爆弾魔』じゃねえか」


 ガラの悪い声。腰には2本の直剣。『切裂き男』スライだ。その後ろには、元貴族のストーム少年の姿もある。

 ナイスタイミングだ!


「スライ、手を貸せ!」


「あァ? イキなりなんだってんだ?」


 スライは嫌そうな顔をする。


「暴食蟻の群れが来る。放って置くと、他の魔物は全滅するぞ」


 スライは重度の内臓好きだ。魔物の内臓を美味しく食べるためだけに剣技を磨いた変人である。

 当然ながら、他の魔物も暴食蟻たちにとってはエサだ。暴食蟻を見逃せば、新鮮な内臓にはありつけなくなるだろう。


 オレの言葉を聞いたスライが眉間に皺を寄せる。


「たった今、オレが討伐依頼を出した。協力してくれ」


「……」


 無言のスライを、ストーム君が見上げた。


「師匠……?」


 スライが、ガリガリと自分の頭を掻く。


「はあ、いいぜぇ。協力してやろうじゃねえか」


「よし! 助かる!」


 綽名持ちの冒険者を確保!


「じゃあ、行こうか。よろしく頼む!」


 さあ、オレ達の水田を守りに行こう。

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