第198話 夏は過ぎ去る

 春が過ぎ、あっという間に夏になった。夏の強い日差しの下では、稲が伸びやかに揺れている。水田に広がる一面の緑は壮観だ。


 そんな長閑な風景の中で、子供の元気な笑い声が響いている。オレ達の娘、リーゼの声だ。


 田んぼの脇で、リーゼが小さな足で走り回っている。その視線の先には、ひらひらと蝶々が飛んでいた。

 蝶を追い掛けるだけで楽しいらしく、リーゼは機嫌の良い声を上げながら走って行く。


 その後ろを、ロゼが微笑みを浮かべながらついて行く。


「リーゼ、あまり急ぐと転んでしまうぞ」


 柔らかな声とは裏腹に、その体にはいつでも動けるように魔力が滾っていた。リーゼが危なくなったら、すぐに動けるようにしているらしい。さすがロゼだ。


 2人の様子はとても愛おしく、いつまでも見ていたいものだが、オレにもやることがある。


「コーサクさん、準備できたぜ!」


 振り返れば、日に焼けたアルドが立っていた。夏場でも元気だ。さすが、若いね。


「了解。始めようか」


「おう! これで厄介な虫ともおさらばだぜ!」


 そう、虫だ。これから何をするのかと言えば、虫除け剤の散布だ。


 順調に伸びているオレ達の稲に、葉を食べていく不届き者が現れたのだ。虫どもめ、許せねえ。光合成のための大切な葉っぱを穴だらけにしやがって。

 大事な稲を荒らす虫は、すべからく害虫である。除去あるのみだ。


 稲に害をなす虫は、判明している時点で数種類いる。見つけしだい全員で潰しているが、虫らしく、まさに湧いてくるレベルだ。人力ではキリがない。


 そこで、エイドルに虫除け剤を調合してもらった。稲に害を与えないために、殺虫するほどの毒性はないが、定期的に散布すれば効果は出て来るだろう。



 アルドと一緒に、他のみんなの元へ行く。稲作を一緒に行っている若者たちは、夏場の除草作業や虫への対応で綺麗に日焼けしていた。なんかすごく健康的に見えるな。


 そんなみんなの前で、同じくらい日焼けしたアルドが声を張り上げる。


「よーし! 始めるぞー! ちゃんと満遍なく撒けよー!」


「はいよー」

「おう!」

「お前もなー」


 口々に返事が上がる。年が近いのもあって、みんなけっこう仲が良い。


 アルドの声によって、みんなはゾロゾロと移動していく。オレも行くとしよう。


「アルド、オレは田んぼの真ん中部分をやるから」


「おう! 助かるぜ!」


 アルドに声を掛けて、虫除け剤の入った壺を背負う。ちゃぽりと、背中で液体が揺れる音がした。それと足元に置かれていたホースを手に持って、田んぼの中央へと移動する。


「さて、足場だな。『防壁』展開」


 眩しく輝く水面の上に防壁で足場を作る。その足場の上へ乗り、ホースの端を壺へと差し込んだ。


 ホースは魔道具だ。ホースの先端には金属製の筒が付けられ、そこには小さな穴がいくつも空いている。まあ、ジョウロみたいなものだな。

 持ち手の部分にある魔石に魔力を供給すれば、液体を吸い上げて放出する。ちなみにホース本体は魔物の腸だ。加工されて、ある程度形状を保つようになっている。


「散布開始っと。害虫ども、どっかいけー」


 魔道具を起動すると、ホースが軽く振動して虫除け剤を放出し始めた。霧のようになった液剤が、田んぼへと降り注いでいく。

 手で撒くよりかなり楽だな。作った甲斐があった。


 そう思いながら作業していると、少し離れた場所から詠唱の声が聞こえた。


「――――、――――」


 稲作仲間の1人が魔術を発動するようだ。詠唱に合わせて魔力が揺れている。


 遠いので詠唱は聞き取れなかったが、魔術が発動したのは見えた。壺に入った液剤が宙へと浮かび上がる。


 球体となった液剤が、そのまま田んぼの中頃まで移動する。そして、パアンッと破裂した。


 液剤が周囲一帯に降り注ぐ。そのエリアは散布終了だ。すげえ早え。畑とかで水遣りのときに使う魔術らしい。

 この世界では農家の人もハイレベルだ。


 他のみんなも順調に虫除け剤を散布している。この分ならすぐに終わりそうだな。





 昼休憩に入った。昼食の時間である。今は夏場だ。この世界の人は体が強いとは言え、ちゃんと食べないと倒れるだろう。


 昼食は、オレが一足早く作業から抜けて作った。メニューは冷やしうどんだ。トッピングは、茹でた豚肉と素揚げした夏野菜。

 今年もまたアンドリューさんから大量の野菜をもらっている。ありがたく、ここで消費させてもらおう。


 素揚げした野菜は食感も良く、野菜の甘さも感じられる出来だ。うどんの麺と良く合う。美味いな。


「コーサクさん、うめえよ!」


 自分の家で採れた野菜を口に頬張りながらアルドが叫んだ。


「ははは、ありがとう」


 再び食べることに集中し始めたアルドから視線を逸らす。前を向けば、ロゼが小さく切ったうどんをリーゼに食べさせていた。


 一歳を迎えた現在、リーゼは良く食べる。離乳食を始めた当初も嫌がるそぶりは見せなかったし、食べることが好きなようだ。


 オレとロゼ、どっちに似たのか……両方かな?


「うん? リーゼ、もうお腹いっぱいか?」


 ロゼがリーゼに聞く。うどんから興味が外れたので、リーゼの食事は終わりのようだ。


「ロゼ、今度はオレがリーゼを見るよ。ロゼも昼ご飯を食べて」


「ああ、ありがとう」


 ロゼと場所を交代する。リーゼはオレの膝の上だ。元気に走り回ったせいか、それとも満腹になったせいか、既に眠そうな顔をしている。


 大きくなって来たリーゼは、とても活動的だ。2人だけだと、面倒を見るのもやっぱり大変だな。


「ロザリーさんとミザさんも、今頃はお昼を食べてるかな?」


「ふふ、どうだろうか。お母様は裁縫が好きだからな。まだ布を見ている最中かもしれない」


 なるほど。


 ロザリーさんとミザさんは、今日は買い物に出かけている。リーゼの夏服や帽子を準備したいらしい。張り切っていたので、ロゼの言う通り、まだ店で品定めをしているかもしれない。


 それとタローも不在だ。今日は『赤い牙』のグレンさんと一緒に狩りに連れて行ってもらっている。

 柔和で賢いとは言え、タローは狼だ。本能のままに動く日も必要だろう。残念ながら、オレもロゼも遠出する暇がないので、知り合いの冒険者に頼んで依頼に連れて行ってもらっている。


 まあ、最近タローは、『赤い牙』にいる灰色狼グリーズと仲が良いみたいだ。グレンさんによると、狩りも楽しんでいるようである。タローにも友達ができたのは良いことだ。




 ロゼと会話をしていると、腕に軽い衝撃が走った。目線を落とせば、腕の中には、すっかり眠ってしまったリーゼがいる。衝撃の正体は、ぶつかったリーゼの頭のようだ。


「ふふふ、すっかり眠ってしまったな」


「そうだね。元気に走り回ったからね」


 リーゼを起こさないように、首が辛くなさそうな姿勢へと抱き替える。


 これから大きくなっていくリーゼにも、ちゃんと白いご飯を食べさせてあげたいところだ。


 まだまだ頑張ろう。

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