第188話 成長と人材

 季節は秋へと入り、陽が沈むのも早くなった。水田予定地の開拓も、温室での稲の育成も順調に進んでいる。


 あとは、リーゼの首が座ったのが最近の大きなニュースだ。その成長が嬉しいとともに、抱きやすくなったのが非常にありがたい。少し前までのグラグラと揺れる頭は、見ていてとても不安だった。


 今はリーゼをお風呂に入れているところだが、前よりも格段に楽になったことを実感している。


 お風呂と言っても、リーゼがすっぽりと入る大きさのタライにお湯を入れただけのものだ。それを風呂場の床に置いている。


 片手でリーゼを抱えつつ、もう片方の手で体を優しく体を洗っていく。最近大きくなってきた小さな体は、とても手触りがいい。赤ちゃん肌とはこういうことか。


「リーゼの肌はすべすべだねー」


 話し掛けながら手を動かしていく。当然だが、言葉が返ってくることはない。リーゼはお湯を叩いて、その感触を楽しんでいるようだ。


 リーゼがパシャパシャと楽しそうに手足を動かしている間に、手際よく体を洗い終える。


「よし、おしまい」


 リーゼをタライから出して、タオルで優しく素早く拭いていく。最近は涼しくなって来たからな。風邪をひかないように早くしないと。


「リーゼ、ちょっとじっとしてくれー」


 元気に動き続けるリーゼに、苦労して服を着せる。これでよし。


「よーし、リーゼ。ママのところに戻るぞー」


「あー」


 うおっ! 返事した?


 驚いてリーゼを観察するが、部屋の照明を見ながら、短い手足を振るだけだ。たまたまタイミングが合っただけらしい。まあ、まだ言葉を理解するには早いよな。


 勘違いに少し笑いつつ、リーゼを抱きかかえる。


「リーゼが喋れるようになるのはいつかな?」


 当然ながら、オレの問いにリーゼは答えない。


 まあ、慌てなくても、そのうち元気に話してくれるようになるだろう。そう思いながら、オレの腕の中で暴れるリーゼを連れて、居間へと向かった。





 翌日。オレは農場の温室に来ている。お米の育成状況の確認だ。


 複数ある鉢植えの中で、稲が順調に育っている。鉢植えによって稲の高さは異なるが、青々とした長い葉はどれも元気そうだ。


 隣で一緒に観察していたエイドルが口を開く。


「最も発育が良いのは、こちらの肥料を入れたときですな。記録もどうぞ」


「ああ、ありがとう」


 エイドルから記録の書かれた紙を受け取る。それには、肥料の種類や量を変えた育成結果が記載されていた。

 オレにとっては、何よりも貴重な情報だ。


「ありがとう、エイドル。助かるよ」


「いえいえ、礼には及びません。普段は自由に行動させていただいておりますからな。雇い主のご用命とあれば、全力で応える所存です」


 エイドルは、そう言って大仰に礼をする。優秀だけど、相変わらずの変人だ。


 そして、その声に別な若い声が続いた。


「コーサクさん! 俺も手伝ったんだぜ!」


 視線を向ければ、良く日焼けした青年が元気にアピールしている。


「アルドもありがとう。助かってるよ」


「へへへっ」


 アルドは、アンドリューさんの末の息子だ。アンドリューさん曰く、兄弟で一番頭の良い問題児らしい。今年で18歳。


 新しいことに挑戦するのを好んでいて、たまにアンドリューさんと育てる野菜で喧嘩している。


 最近は、エイドルの助手のような立場で温室に入り浸っている。アンドリューさんは苦笑いしていたが、まあ、オレは助かっているので文句はない。実際、関心がある分野の記憶力は素晴らしいの一言だ。

 アンドリューさんによる教えもあって、どんな作業も丁寧に行ってくれる。優秀な人材である。


 さて、優秀な人達が助けてくれる幸運を噛み締めつつ、ちょっと記録を整理しようか。具体的にはグラフ化したい。


 エイドルが作ってくれた記録は数値とスケッチだけで構成されている。今のままでも見やすいと思うが、効果が薄かった肥料の記録は今後使うこともないだろう。グラフにして、一枚にまとめてしまおう。その方が、後で見返すときも楽だ。


「エイドル、他の記録もまとめて見せてくれ。ちょっとまとめるから」


「ええ、どうぞ」


「俺も手伝う!」


 横軸を日数、縦軸を稲の高さにして、折れ線グラフでまとめておけば良いだろう。すぐに終わるな。




 アルドと協力してグラフも書き終わった。稲を横目にエイドルと雑談をする。


「エイドル、何か必要なものはありそうか?」


「ふむ、そうですな……」


 エイドルが顎に手を当てて考える仕草をする。


「肥料を作るための材料は、つい先日発注したばかりなので問題ないですな。他も、今のところは思いつきませんな」


 なるほど。


「それならいい。一応、金は置いていくから、必要になったら好きに使ってくれ。ああ、ちゃんと帳簿には残してくれよ」


 オレの言葉に、エイドルが大袈裟に両手を広げる。


「おお、さすがはコーサク殿でありますな。こうも懐の深い雇い主は、そうそう出会えるものではありませんぞ」


 言い終わって、何かを思い出したのか、その顔が少し苦くなる。


「……前の雇い主殿は、何もない場所から麦が生えて来ると思っていたようでしたからな」


 エイドルの脳裏に浮かんでいるのは、前に雇われていた王国の貴族だろう。


「……馬鹿な貴族と比べないでくれよ」


 酷いところは、本当に酷いからな。


「ええ、申し訳ありません。さすがに比べる相手が悪すぎましたな」


 2人で苦笑いだ。この都市に住んでいて、心から貴族が好きな者はそういないだろう。


「貴族って、そんなに酷いのか?」


 アルドが、不思議そうに聞いてきた。


 そうか。この都市には貴族がいないから、アルドは貴族を見たこともないのか。


「まあ、いい貴族も悪い貴族もいるけど。悪い方が圧倒的に多いかな」


 超ドロドロしてるしな。魔境と同じくらい弱肉強食だ。


「あまり良いとは言えない方が多いですな。コーサク殿に拾っていただいた我々は幸運でずぞ」


 まあ、下手な貴族に拾われるよりは良い待遇だろうな。


「ふうん。なあ、コーサクさん。俺のこと、このまま雇ってくれよ」


 うん?


「オコメ育てるの楽しそうだし。今のところ、エイドルさんの次に俺が詳しいぜ」


「ふん? なんで急に?」


 父親似のアルドの顔を見つめて聞いてみる。何かあった?


「う~ん、新しい穀物を流行らせるって言うのが面白そうなのと、なんか上の兄貴が結婚しそうだから?」


 いや、聞かれても困るけど。


「ええと、とりあえず、おめでとう?」


「うん、ありがとう。まだだけどな。で、兄貴が結婚すると、俺は家を出ないとないんだよ。うちは狭いから。それに、俺は三男だからどのみち畑も継げないし」


「うん、なるほど」


 よくある話だ。


「だから、そろそろ働き先を探そうと思ってたんだけど、コーサクさんが面白そうなこと始めたじゃん?」


「うん」


 お米を普及させるのは、最高に楽しそうだよね。


「俺も珍しい植物を育てるのは好きだし、一緒にやってみてえって思った」


「なるほど……」


 ふわっとしてるな。


 ……まあ、いいけどな。人手が増える分は大歓迎だ。


「うん、いいよ。オレも助かる」


「おお!」


 アルドが喜びの声を上げる。


「ただし、ちゃんとアンドリューさんの許可はもらってこいよ」


「もちろん! 親父に嫌とは言わせねえぜ! 行ってくる!」


 行ってくる、を言い終わる前に、アルドは走り出していた。速いなあ。


 まあ、とりあえず、優秀な人材を1人確保だ。

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