第175話 走竜の討伐
湿地はオレの予想を超えて広大だった。周りを見渡せば、背の高い草がずっと続いている。草の青い匂いが濃い。天気が良いせいか、余計に鼻についた。
オレが今いるのは、適当に倒木を敷いた足場の上だ。湿地はどこもぬかるみが酷い。足元は柔らかな泥ばかり。
浅いところは靴が埋まる程度だが、腰まで浸かりそうな水溜まりもある。移動は非常に困難。人がまともに活動できる場所ではなさそうだ。
だが、その悪い足場の上を、カルロスさんの率いる船員たちは何事もないように駆けていく。
進む船員たちの足元には、魔力の煌めきがある。水上歩行の魔術だ。その魔術によって泥濘を蹴り立て、屈強な肉体を以って邪魔な草を掻き分けて突き進む。
10人ずつの班を作った船員たちが、湿地を切り裂くように進む度に、潜んでいた走竜の断末魔の叫びが響く。
船員たちの動きはとても滑らかだ。効率良く走竜を排除していく。その機能的な様子は、空から地上を俯瞰する者が、船員たちを操っているようだった。
「……ええと、ここに3。こっちに2、と……」
このボードゲーム染みた効率を叩き出すために、3人の人間が動いている。
1人はオレだ。脳を部分的に強化し、ひたすらに索敵役として働いている。走竜の魔力を察知して、その場所を地図に書き込む。ずっとその作業中だ。
増えた走竜に食べられたのか、はたまた縄張り争いに負けて逃げたのか、湿地にいるのは走竜ばかりだ。魔物サイズの魔力を探れば走竜に行き当たる。
オレにしかできない人力魔力レーダーだ。倒木の上に載せた簡易なテーブルが、ガタガタと落ち着かないのがちょっと気になる。
2人目はカルロスさん。オレが書き込んだ地図を隻眼で睨み、船員たちの行き先を指示していく。
その思考の速さには脱帽だ。将棋とかで戦ったら勝てる気がしない。この世界にはないけどな、将棋。あるのは人間VS魔物のボードゲームだ。
魔物という人類共通の脅威のおかげで、この世界では人同士の大規模な争いがほとんどない。だから人対人のボードゲームは生まれていない。この先も生まれなければいいと思う。
思考がズレたが3人目だ。チラリと視線を上げれば、急遽作った櫓の上で、空に向かって鮮やかな煙を操る人がいる。
伝令役のビリーさんだ。船員たちの中では珍しい華奢な人物である。
ビリーさんはカルロスさんからの指示を、湿地のそこかしこにいる船員たちに伝達している。
その方法は狼煙だ。魔術で出した煙を、自由自在に空に打ち上げている。色を変え、形を変え、何本もの煙が櫓から立ち昇る。
その細長い腕が指揮者のように振られる度に、色付いた煙が姿を変える。
ビリーさんは伝令に特化した職人だ。操船にも戦闘にも係わらない。声を掻き消す波と風や、視界を遮る雨を越えて情報を届けるのが仕事だ。
狼煙以外にも、旗を振ったり、笛を吹いたり、光を出したりして伝令を行う。その伝達方法の多様さと正確さは、厳しい航海でとても重要なものだった。
今の走竜討伐でも、とても重要な役割を果たしている。
そんな訳で、索敵、指揮、伝令の中核と、現場で動く船員たちによって、速やかな討伐が実行されている。
「んー……。カルロスさん。オレが察知できる範囲の走竜はこれで狩り終わりましたよ。奥に進みますか?」
戦果は上々だ。既にかなりの数の走竜が討伐されている。とはいえ、湿地は広い。奥に行けば、まだまだ走竜はいることだろう。
場所を変えて、あと何回か同じことをする必要がありそうだ。
「いや、そろそろ休憩だな。昼食にしよう。ビリー! 休憩だ! 全員集合!」
「了解です!」
ビリーさんの狼煙が勢いよく空へ昇っていく。そのまま太陽の位置を確認すれば、確かに真上だ。昼時だな。
集まってくる船員たちの魔力を感じつつ、身体強化を解除する。拡張された感覚が元に戻る。ついでに疲労も襲ってきた。
足りない糖分を摂取するために、小物入れからいつものドライフルーツを取り出す。適当に選んで口に入れた。
「う~ん。じんわり甘い」
糖分が脳に吸収されていくように感じる。うん。美味い。
ドライフルーツを噛み締めつつ、足場の隅にいる少年に近付く。
「ジャス君も食べる?」
「……いえ、今はいいです」
オレ付きになったジャス君は、今のところ雑用しかしていない。その顔には、もっと活躍したいという気持ちが出ている。
それでも、それを口に出さないだけ賢明だな。
ジャス君にあげるつもりだったドライフルーツを小物入れに戻していると、オレ達の働きをじっと監視していたグルガーさんに、カルロスさんが近づいていくのが見えた。
「さて、グルガー殿。俺達の働きは、信頼に足るものになりそうかな」
「……それを決めるのは長だ。俺ではない。俺はただ、ありのままを伝えるだけだ」
う~ん。取り付く島もない。その風貌と同様に、グルガーさんの態度は固い。どうなるんだろうか。
地龍の試練を受けさせてもらえないと困るんだけど。
内心不安を抱いていると、走竜を狩りに行った船員たちが戻ってきた。昼食の準備を始めるようだ。オレも手伝うとしよう。
湿地で、しかも狩りの途中で食べる昼食は、そう上等なものではない。固いパンと干し肉、水で割ったワインだ。オレとジャス君で配るのを手伝った。
まあ、ちゃんとした料理を作っても多分食欲は出なかったと思う。
「……血の匂いがすごいな」
湿った鉄錆の匂いが肺に入ってくる。その原因は船員たちと、回収してきた走竜の死体だ。
返り血を浴びた船員たちと、まだ血を流す新鮮な走竜の死体が湿地を汚している。
船員たちは水の魔術で軽く汚れを落としているが、染み込んだ血の匂いが漂ってくる。
あまりにも酷かったので、カルロスさんが風の魔術を使って匂いを飛ばしたほどだ。
少し呼吸のしやすくなった空間で、自分で持ってきた干し肉をちびちびと食べていると、急にぞわりと背中が泡立った。
「っ……!?」
慌てて魔力に集中する。大きな魔力を感じる。湿地の奥から向かってくる。目指す先は、明らかにオレ達だ。敵意を含んだ不快な魔力がここまで届く。
正体は分からないが緊急事態だ。立ち上がり、カルロスさんに向かって叫ぶ。
「カルロスさん! 上級の魔物が来ます!」
一瞬、全員が止まる。それからは速かった。
オレの言葉にカルロスさん以外も動く。全員が戦闘のために動き出し、身軽な者が櫓に登った。
櫓に登った船員が叫ぶ。
「でかい走竜だ!! 速い!!」
「戦闘準備!! 出会い頭に魔術をぶつけるぞ!! 合わせろ!!」
「「「「おうっ!!」」」」
カルロスさんが細かい指示を出さずとも、船員たちが動いていく。詠唱の声が響く。そして、その声を遮るように、盛大な水音が近づいてきた。
その姿が見える。
背の高い草を薙ぎ払って現れたのは、確かに走竜だった。ただしデカい。10メートルを超える巨体だ。
その目は怒りに燃えている。鋭い牙がギラリと太陽光を反射した。
走竜たちの親かボスかは知らないが、戦う以外の選択肢はなさそうだ。
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