第153話 精霊の祝福

 家に帰ってきた翌日。朝食を摂り終わり、ロゼと2人で少しゆっくりしている。もう少ししたら、帰還の挨拶回りに出るつもりだ。


「ロゼ、ちょっとお腹触ってもいい?」


「いいぞ?」


 ソファで隣に座るロゼの腹部へと手を伸ばす。触れた掌には温かい感触がある。なんだか不思議な感じだ。

 少し現実味がないような気分というか、足元がふわふわしている感じがする。それでも、確かにオレ達の子供がここにはいる。その小さな魔力を感じる。


「ふふっ」


 急にロゼが笑った。その動きも手から伝わった。


「どうかした?」


「ふふふ。今、とても変な顔をしていたぞ?」


「そう?」


 どんな顔だろうか。変な顔をした自覚はなかったけど。


 首を傾げるオレを見て、ロゼはおかしそうに笑っている。まあ、いいか。


 ロゼの笑う顔を見つつ、感じる魔力に少し集中する。ロゼにもお腹の子にも、魔力に変な乱れはない。少なくとも、魔力面で言えば問題はなさそうだ。


 あの悪魔からは子供が無事に産まれると宣言されたが、それでも気を付けるべきだろう。幸福は、気を抜けばあっという間に崩れてしまう砂の城だ。準備と努力を怠ってはいけない。


 守るために備えよう。そして……脅威を全て打ち払えるように力を付けよう。


『それなら、僕は君に力を貸そう』


「うおっ!?」


 急に聞こえてきたロゼ以外の声に、つい驚きの声が漏れてしまった。


「どうした?」


 ロゼが不思議そうにオレを見ている。落ち着けば分かる。ボムの声だ。頭の中に響く声の主はボムしかいない。

 ボムの宿主になって少し経ったが、急に話し掛けられるのにはまだ慣れないな。


「ええと、オレの精霊が起きたみたい」


「そうか」


 そう言って、ロゼは口を噤む。ボムとの会話の邪魔をしないための気遣いだ。オレが精霊の宿主になった件は、昨日伝えてある。

 ボムの声はロゼに聞こえないので、紹介はできなかったが。それよりも。


 ――ボム。急に話し掛けるのは止めてくれよ。


『ははは。ごめんね』


 ふわりとボムが姿を現す。オレにしか見えない魔力が歪んだ人型だ。せめて、姿を見せてから口を開いて欲しい。


『いやあ、ついね。君の強い想いを感じたから』


 ――それで出て来たのか。


 ボムは普段、オレの魔核の中で眠っている。意思を持つ精霊は強力だが、その分燃費が悪いらしい。特に生まれたてのボムは貯めている力も少ない


 そのため、普段はオレの感情の余剰分を吸収して力を溜めているらしい。

 感情を吸収すると聞くと少し怖いが、普通であれば世界に放出される分を集めているのだとか。

 そこら辺の感覚はよく分からないが、オレに悪影響はないというボムの言葉を信じている。


『この子が、僕の宿主の子供なんだね』


 ボムが空中で呟く。顔はないが、その視線がロゼの腹部に向いているのは、なんとなく分かった。

 精霊であるボムには、どんな景色が見えているのだろうか。


 一瞬、ボムの視線がオレに向いた。


『君の守りたいという強い想いは心地いいよ。だから、僕も力を貸そう』


 ボムの腕が伸びる。安定しないその魔力の体が、ロゼに腹部に触れた。何をするのかと止める間もない。魔力が揺らめく。

 ボムの力の行使に、繋がっているオレの魔核が脈動したのが分かった。


「なっ……!」


「む……?」


 オレとロゼが同時に声を上げる。オレはボムの行動に。ロゼは、自分の身に何かを感じたように声を上げた。


 ――ボム!何をした!?


 心の中でボムに聞く。何が起こったのか分からないことに気持ちが焦る。


『うん……?ああ、先に言えば良かったかな。この子に僕の加護をあげたんだよ』


 ――加護……?


『精霊の加護さ。僕からの祝福だよ。これで、この子は丈夫に育つようになる』


 精霊の祝福。極まれにある、精霊たちの気まぐれ。生誕の祝い。昔読んだ本を思い出す。デメリットは……別になかったはずだ。


 ――そうか……分かった。ありがとう。でも、急にやらないでくれ。心臓が止まるかと思った。


『ごめんね。次からは気を付けるよ。じゃあ、疲れたから僕は眠るね』


 ――ああ、おやすみ……。


 ボムの声が聞こえなくなる。その気配はオレの中へと戻った。


 精霊に人の常識は通用しない。会話はできても、根本的には違うモノだ。特にボムは生まれたばかり。精霊としての知識はあれど、人の営みを理解している訳ではない。


 ……オレの方でも気を付けよう。


 ボムに悪意はないが、何かあったら困る。


「コウ?」


 オレの隣で、ロゼが不思議そうにオレの名前を呼ぶ。そうだ。ロゼにちゃんと説明しないと。


「ああ、ごめん。ロゼ」


 ええと。


「オレに憑いている精霊が、お腹の子に加護を与えたみたいだ。丈夫に育つようになるって」


「本当に……?」


 ロゼが驚いたように目を見開く。その両手が腹部に伸びて、慈しむように撫でる。

 そして、その表情がほころんだ。


「そうか……それは、嬉しいな」


 安心したように、ロゼが微笑む。その顔に、オレの気も抜けた。驚きと焦りに強張っていた体から力が抜ける。


 そんなオレを見て、ロゼが口を開く。


「ふふふ。コウ。精霊の祝福は、とても貴重なことだ。祝福を得た子は強く育つ。病気や怪我も、そうそうしない。精霊に守られていると言われるほどだ」


 ロゼが自分のお腹を撫でる。


「ふふっ。悪魔と精霊の両方から祝福をもらったのは、きっと私達の子が初めてだろう。コウ、私は、この子が無事にこの世界に産まれるだけで嬉しいよ」


 ロゼが微笑む。いつもより更に柔らかい。それは母親の表情だった。


「うん……。オレもそう思うよ、ロゼ」


 ロゼの言葉が、じわじわとオレの中に染み込んでくる。そうだ。オレ達の子供が無事に産まれてくるなら、それ以上の望みはない。

 ただ、それだけで十分だ。


 祝福をくれたボムには、後でもう一度お礼を言っておこう。

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