第141話 追跡

 帝都を出発して3日。ようやく魔境に到着した。巨大な木々が立ち並ぶ、魔境特有の環境が見える。


「やっと着いた……」


「はっ。本番はここからだろ?」


 走り疲れたオレを見ながらレックスが言う。その通りだけど、疲れたものは疲れたよ。


 レックスに疲労は見えない。いつも通りの姿で立っている。さすがだ。道中の魔物は全てレックスに対処してもらったのに。


「ふう……。よし、行こうか。ここからはオレの魔力察知の精度が下がるから、レックスも気を付けて」


「おう。任せろ」


 魔境が魔境たる所以は、魔物の住む領域であることと、その高い魔力濃度だ。


 その濃い魔力により弱い生き物は生息できず、その環境に適応したものは独自の能力を持つ。巨大化はその基本だ。


 そして、魔力が濃すぎるせいでオレの魔力察知はあまり役に立たない。感じる魔力が多すぎるのだ。

 ぐるぐる回る方位磁石みたいな状況だ。反応する対象が多すぎて使えない。


 翼竜レベルの魔力なら察知できるが、そもそもあいつらはデカいので視認する方が早い。


 なので、今は魔力の感覚よりも五感の方に意識を向ける。特に聞こえる音に耳を澄ませながら、威圧感のある巨木の間を歩む。


 当然ながら、闇雲に進む訳ではない。先行した者の痕跡を追う。


 湿った地面に付いた足跡。払われた藪。木の根から剥がれた苔。その他諸々から、『白の蛇』の後を追う。


「……足跡の残り方から、たぶん1日前くらいだと思う。十分間に合うはず」


「良く分かるな」


 オレの呟きをレックスが拾う。その声はいつもより小さい。


「まあね」


 言葉少なく返して、歩みを再開する。


 力のなかったオレにとって、魔物の痕跡を見つけるのは必須技能だった。元はルヴィに教えてもらった知識だ。

 危険の回避にどれだけ役立っただろうか。できなければ、オレはとっくに死んでいただろう。


 ルヴィに習い、冒険者時代に実践で磨いた技能なのだ。強化した感覚で使用する今、その精度はかなりのものだと自負している。


「やっぱり、山の方に向かってるみたいだね。行こう」


「おう」


 地図と見比べても、『白の蛇』の痕跡が悪龍山へ向かっているのは確かなようだ。

 ルヴィは近い。慎重に急ごう。




 まるで自分が小人になったような景色の中を進む。スケールが違い過ぎて、頭が混乱しそうだ。


 今も目の前には、オレの背より高い木の根がある。デカい。そして邪魔だ。

 魔力で強化した体で、その根を飛び越える。森の中は障害物だらけ。真っすぐ進むこともできない。


 ここまで、魔物との戦闘は極力避けてきた。特に翼竜とは戦っていない。この先なにがあるか分からない以上、体力の消耗は抑えたい。

 そして、『白の蛇』に気付かれる前にルヴィと接触したい。


 ここで戦うことになれば、争いの気配に周囲の魔物も寄って来て乱戦になる。それはあまりにも危険だ。翼竜に襲われながら、ルヴィの説得なんてできないだろう。


 もしも戦うのなら、奇襲するのが望ましい。騒がれる間もなく潰すべきだ。


 そのためにも、今は足音を抑えながら走る。森の奥に来たためか、翼竜の姿も増えてきた。今も頭上を大きな影が飛んでいる。

 旋回する翼竜に見つからないように、巨木の影に隠れながら進む。この森に比べ、こちらはとても小さい。

 騒がなければ、簡単には見つからないはずだ。


 影から影へ移動しながら、風の音に紛れる程度の音量でレックスと情報共有する。


「かなり近づいてる。もう少しで追いつくよ」


「随分とゆっくりだったみてえだな」


「こっちにはありがたい。行こう」


「おう」


 魔力を回す。力の漲る肉体を制御する。静かに早く森を踏破する。


 足跡から、『白の蛇』は5人のはず。そして、その荒い痕跡から森に慣れていないことが分かる。

 気を付けて歩いているのは1人だけ。たぶんルヴィだろう。


 それ以外は素人だ。まあ、都市の中に潜む奴らに、冒険者並みの技能がないのは当然だろう。

 使わない技術が培われることはない。


 新しい足跡を追い越しながら走る。ルヴィに近付いていることが分かる。


 説得する言葉は決まっていない。オレのエゴに正当性はない。それでも、ルヴィが望んでいないとしても、オレはやる。力尽くでも止めてみせる。


 その決意を胸に、巨木の根を蹴った。





 走って、走って。ついに追い付いた。


 巨木の影で深呼吸する。息を整えてから顔を出すと、森に空いた空間に、5つの人影が立ち止まっているのが見えた。座っている者もいる。休憩中のようだ。


 その中にルヴィがいる。ようやく見つけた。


 顔を戻し、レックスと会話する。


「見つけた。様子を見る。少し待機で」


「おう」


 レックスと2人で巨木に背を預ける。そして、緩やかに呼吸をしながら考える。


 選択肢は2つだ。このまま奇襲するか、ルヴィが離れる機会を待つか、そのどちらか。


 奇襲はデメリットが大きい。戦闘音を立てた場合には、もれなく翼竜が寄ってくる。ルヴィは狩人としての腕はいいが、直接戦闘が強い訳ではない。

 ルヴィを守りながら戦うのは難しい。翼竜相手では、オレもそんな余裕はない。


 もう1つの選択肢。ルヴィが1人で離れるかどうかについては、可能性は高いと思う。『白の蛇』の5人の中で一番森を歩くのに慣れているのはルヴィだ。

 周囲の安全を確認するために、ルヴィが単独で動くことはあり得ると思う。


 だから……もう少し待とう。


 ルヴィが離れたら話し掛ける。駄目だった場合は背後から襲う。最悪、魔力腕でルヴィを確保して、全力で魔境から離脱しよう。


 そう決めて、目の前の集団の監視を始めた。




 集団の中の1人。相変わらず白いバイサーが何やら指示を出している。向こうも小声なのでよく聞こえない。


 だが、指示を受けた2人が動いたのは見えた。以前に会った氷使いと水使いの2人のようだ。荷物を持って先に進んで行った。


 理由は分からないが好都合だ。これで向こうは3人。隙は大きくなった。


 さらに幸運なことに、ルヴィも動き出した。1人でだ。弓は背負っているが、他の荷物は持っていない。周囲の確認だろう。チャンスが来た。


「レックス。オレは行ってくる。ヤバそうだったら、自由に動いてくれ」


「おう。気を付けろよ」


 音を立てずに移動する。巨木の影に隠れながら、ルヴィの進行方向に回り込む。


 緊張に心拍数が上がる。オレの登場に、ルヴィはどんな顔をするだろうか。オレの言葉に、どんな答えを返すだろうか。聞き入れてくれるだろうか。

 恩人であるルヴィに拒絶されるのは辛い。それでも、オレはやると決めた。



 だから、覚悟を決めてルヴィの前に飛び出した。



「……っ!?コーサク!?」


 急に出てきた人影にルヴィが構える。そして、オレだと気づいて驚愕した。


「やあ、ルヴィ」


「……どうしてこんな場所にいる?」


 疲れた目をしたルヴィが聞いてくる。そんなものは決まってる。


「君を止めに来た」


「……」


 オレの言葉にルヴィは何も言わない。ただ、感情を押し殺した顔をして、オレを見つめるだけだ。頑なな決意がそこにあった。


 だけど、オレも諦めるつもりはない。


「ルヴィ。『白の蛇』はまともな組織じゃないよ。元は人攫いの集団だ。今もただの強盗団でしかない。君のいるべき場所じゃない。君が復讐を望むなら、オレが協力する。だから、オレと一緒に来てくれ」


 陽の当たらない薄闇に、君にいて欲しくないんだ。


「……コーサク。俺も決めたんだ。自分の手で、皆の仇を取るって。だから、ここで止まるつもりはない。邪魔をしないでくれ」


 ルヴィが背中の弓に手を伸ばす。滑らかに、その弓が構えられる。矢がオレを狙う。


「邪魔をするのなら、お前にだって容赦はしない」


 初めて感じるルヴィの敵意に体が強張る。優しい狩人を復讐者に仕立てた理不尽に、怒りが募る。

 その感情を押し込めて、魔力を回す。体に熱を広げる。手足に力を籠める。


 熱い吐息を共に宣言する。


「分かった。力尽くでも君を止めるよ。一緒に帰ろう、ルヴィ」


 君を1人で堕ちさせはしない。


「……やってみろ」


 その言葉を合図に、オレはルヴィに向かった突進した。

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