第142話 説得

 巨木が立ち並ぶ森の一画で、ルヴィに向かって地面を蹴る。


 強化され、いつもより鮮明な視界が、弓が引き絞られる光景を捉えた。キリキリという弦の音が耳に届く。


 弾道予測。狙いはオレの足。オレの攻撃よりも早く矢が届く。


 ならば防ぐのみ。


「『防壁』展開!」


 前方に半透明の壁。魔力を籠めた盾は、1本の矢程度では壊せない。


 矢が放たれる。風切り音と衝突音が連続する。第一矢は防いだ。ルヴィが後退しつつ、次の矢を番えようとする。


 だけど、次の矢は撃たせない。胸の奥から魔力を汲み出す。より多く。より早く。暴れ回る魔力の手綱を握る。


「身体強化『強』……!!」


 世界が遅くなる。空気が重い。ルヴィの手の動きもゆっくりだ。その遅い視界の中で、踏み出した足を地面に叩きつける。


 盛大に土を抉りながら、体を前に弾き飛ばす。急な加速に、ルヴィが目を見開いたのが見えた。


 二歩目を踏む。さらに加速。彼我の距離が急速に縮まる。勢いのままに肉薄する。ルヴィに手が届く。


 構えかけた弓を払いのけ、そのまま体をぶつけた。不格好なタックルだ。そのまま2人でゴロゴロと転がる。

 逃げようとするルヴィを掴み、引き寄せ、力任せに上を取った。


 ルヴィに馬乗りになり、その痩せた体を抑え込む。雨の帝都の再現だ。今回は逃がさない。


「はあ……オレの勝ち」


 本当の勝利はルヴィを心変わりさせることだ。だけど、こうして無傷で確保できた。後は、オレの言葉が届くことを信じるのみだ。


「……」


 ルヴィは何も話さない。ただ、諦めたようにオレを見上げるだけだ。


「ルヴィ、一緒にご飯を食べよう。それで、いっぱい話そう。君の話を聞くから、オレの話も聞いてくれ。復讐は、その後でオレがやるから」


 心のままに言葉を吐き出す。ああ、そうだ。体が弱れば心も弱る。こんな痩せた体で、1人で、君を放っておいたりはしない。


「いっぱい美味しいものを作るから。たくさん話したいことがあるから。だから、また一緒に笑ってご飯を食べようよ」


 自分でも何を言っているのか分からない。それでも伝われと、想いを吐き出す。


「ルヴィのおかげでここまで来れたんだ。強くなったんだ。やっと居場所もできた。それなのに、君がそんな顔でいるなんて……そんなのは嫌だ……!」


 自分のエゴをぶつける。君が傷付くことを、ただ見ていることはできない。


 オレの言葉に、ルヴィが口を開く。力の抜けた声で話し出す。


「……なあ、コーサク。俺は貴族が許せないんだ」


「うん。分かるよ」


 だからオレがやる。


「村の皆の仇を取りたい」


「当然の気持ちだ」


 その復讐心は、誰にも否定させない。


「……でもなあ、コーサク。俺は、お前にはやって欲しくないんだ」


 久しぶりに、目が合った気がした。


「コーサク。お前は、変り者で、真面目で、食べるのが好きな優しい奴だった。そんなお前に……貴族を殺すなんて、言って欲しくない」


 ルヴィの体の力が抜けて行く。細く息が吐き出される。


「……そうだよな。同じ、だよな。誰だって、親しい人間が手を汚すのは見たくないよな」


 ルヴィが目を閉じる。


「……俺が貴族を殺そうとしたら、コーサクは止めるんだろ?」


「うん。何回だって止めるよ」


 オレがそうしたいから。君には笑っていて欲しいから。


「はは……なら、無理そうだ」


 ルヴィが笑う。それは自嘲の笑みだったけど、暗い響きはなかった。


「魔力……すげえ増えたんだな。これは勝てねえよ」


「うん……」


 ルヴィが目を開ける。


「…………飯、楽しみにしてる」


「っ!……うん……!うん!何でも作るよ……!」


 ほっとした。気の抜けた涙腺が緩む。ルヴィに届いた。その心を守ることができる。ああ、よかった……。


「ははは。酷い顔だな」


「ルヴィに言われたくないよ」


 久しぶりに、本当に久しぶりに、オレはルヴィと笑い合った。





 ルヴィと2人で巨木の森を歩く。向かう先はレックスの元だ。幸い、『白の蛇』にも、翼竜にも、オレたちの戦闘は察知されなかった。

 速攻で終わらせたおかげだろう。


 久しぶりに見たが、相変わらずルヴィは森を歩くのが上手い。するすると移動していく。そのおかげで、レックスのいる巨木の影にはすぐに着いた。


「よお、上手くいったみてえだな」


「うん。なんとかね」


 小声で会話をする。レックスに向かって、ルヴィが声を掛けた。


「ルヴィだ。迷惑を掛けてすまない」


「はっ、レックスだ。気にすんなよ。俺はただの護衛だ」


 いつも通りにレックスは笑う。さて、これからどうしようか。オレとしては、このまま帰ってもいいんだけど。


「コーサク。バイサーに話を付けて来る。一応は身を寄せた組織だ。筋は通す」


 んん~……。


「よし。オレも行く」


「俺も行くぜ。楽しそうだ」


 楽しくない方が嬉しいけどな。


「……そうか。ありがとう」


 本音を言えば、まったく必要性は感じない。それでも、今はルヴィの考えを尊重することにした。


 3人で巨木の影を出る。急に現れたオレ達に、バイサーともう1人はすぐに気が付いた。

 バイサーは両手を広げて、大袈裟に驚いた真似をする。もう1人はよく分からない。深くフードを被り、顔も見えない。


「何だよ、何だよー。ルヴィ、復讐ごっこはもう終わりか?」


 ……今すぐ撃ち殺そうか。


「ああ、終わりだ。バイサー。俺は『白の蛇』を抜ける。今まで世話になった」


 ルヴィは冷静に返す。


「……ああ、そう。つまんねえの。こっからが本番だったのによー」


 心底つまらなそうに、バイサーが首を振る。その軽薄な態度にイライラする。


「まあ、いいぜ。ほとんど用は済んだからな。うちは入るのも出るのも自由だ。そのために、大事なことは伝えてないんだからな。じゃあな、ルヴィ」


 あっさりと、ルヴィの脱退は認められた。これでルヴィの用事は終わりだ。オレの目的も達成した。


 さて、じゃあコイツ等の目的を聞いておこうか。せっかくだ。ロクでもないものだったら、ここで潰そう。


「バイサーだったか?ここで何をするつもりなのか聞いていいか?」


「はあー。そうだよなあ。『爆弾魔』と『斬鬼』が揃って、俺らを見逃したりしないよなー」


 魔道具に魔力を回す。制圧する準備は完了。視界の端で、レックスが笑っているのが見えた。

 抵抗させるつもりはない。


「目的、目的かー。説明が面倒なんだよなあ。まあ、あれだよ。貴族様の依頼ってヤツだよ」


 やっぱり貴族が絡むか。ロクでもないことが確定したな。


「今、次の皇帝を誰にするーって、盛り上がってるだろ?それでさあ、手柄が欲しいお貴族様がいるんだよなー」


 嫌な予感しかしない。


「でも、皇帝になるほどの手柄って、ほとんどないだろ?だから、ちょっと騒ぎを起こしてこいって言われたわけよ」


 最低なマッチポンプだ。


「さーて、ここで問題。この国で最も神聖視されている生き物はなんでしょうーか?」


 ……神聖視。この国で特別扱いされているのは1つだ。


「……龍だろ」


 龍は強大だ。だからこそ、その力を得ようとする。権力のために、その威光を利用する。翼竜を調教して、竜騎士だと宣伝するのもそのためだ。

 氷龍も、その考えによって狙われた。


「正~解!さすがだなあ」


 質問の意図が読めない。ここに龍はいない。氷龍は飛び去った。


「それがどうかしたのか?今、手を出せる範囲に龍はいない。そもそも、人じゃ龍に届かない」


「真っ当な意見をありがとうー」


 馬鹿にしたようにバイサーが笑う。


「むかーし、むかし。悪い龍がいました。その龍は、なんやかんやで倒されました。その亡骸は、龍の呪いによって、誰も触ることができませんでした。結果、悪龍の遺体は、今もかつての住処に眠っていまーす」


 それは知らなかった。確かに、龍は魔力の塊みたいなものだ。魔力の影響を受けるこの世界の人々は、簡単には近づけないかもしれない。それが呪いの正体だろうか。


 だけど。


「だからなんだ。死んだ龍には何もできない」


 当然のことだ。


「はっはっはー。その通り。そうだよなあ。俺もそう思う」


 バイサーが笑う。その赤い目を愉悦に曲げて、白い体を揺らして笑う。その口が再び開く。


「なあ、『爆弾魔』。天秤の悪魔って知ってるか?」


 その言葉に、オレの背筋を悪寒が走った。

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