第75話

 メイリーが振り下ろした帆柱によって、天空艇全体が激しく揺れた。

 甲板に大きな亀裂が走り、破損した装甲が地上へと落ちていく。

 メイリーと対峙していたタイタンは武器の棍棒を手落とし、茫然とその場で這い蹲っていた。


「夢……これは夢だ……こんな……」


 角のある厳つい顔を真っ蒼にし、ぶつぶつと小さな声で、自身へ言い聞かせるようにそう繰り返していた。


「メイリー、馬鹿か! 帆柱折ってどうする! 飛ばなくなったら、こいつら逆に逃げなくなるぞ!」


「別に、他にも柱あるから大丈夫だと思うけど……」


 メイリーは文句を零しながら、再び帆柱を大きく持ち上げ、勢いよく突き立てた。

 甲板に帆柱がめり込み、再び垂直に立った。

 代わりにまた天空艇が激しく揺れ、船の亀裂が大きくなっていく。


「これでいい?」


「お前わざとやってるのか!?」


『さすがメイリー様! 圧倒的な御力! このクリスティアル、重ね重ね感服いたしました』


 《龍珠》が興奮したようにチカチカと発光する。

 アルマは溜め息を吐いた。


「……クリスお前、普段俺には散々言うクセに、本当にメイリーには甘いんだな」


 天空艇の上には《ノアの箱舟》の乗員達の叫び声が飛び交っていた。


「なんだぁー! 何が起こっている! シャドウ様、指示を指示を!」

「指示を待ってる場合か! 天空艇が壊れる! ここに冒険者が乗り込んできたら終わりだ! まず船を飛ばせ! 状況確認はその後だ!」


 天空艇が浮力を帯び、浮かび上がり始めた。

 ドマールの館から離れる。


「これでひとまず、目的は果たせたな……」


 アルマはドマールの館を眺めながら口にした。


 《ノアの箱舟》にとって最悪なのは、移動の要と活動拠点である天空艇を失うことにある。

 天空艇の保護が最優先となるのだ。

 天空艇が破損させられた状態で都市と戦いになるとまずいと判断し、パシティアからの逃走を始めたようだった。


「とりあえず敵が増える最悪な事態を避けて、乗り込んだ俺達は、飛び立ってからゆっくり排除すればいいって考え方か。ま……こっちも、逃げてくれるならさっさと自分から降りるけどな」


 マドールの館を占拠していた空賊達がテラスに押し寄せ、大慌てで天空艇に飛び乗っていた。

 何人かが失敗し、そのまま地上へと落ちていく。


「ま、待ってくれ! 俺達はまだ乗っていない! 乗っていないぞ!」

「どうしろって言うんだ! 爆音が響いたと思ったら、何があった! 早く戻ってこい!」


 機を逃した空賊達は、茫然とした顔で天空艇を見つめていた。

 非難するように天空艇を指で示し、大口を開けて叫んでいる。


「……可哀想に。ああなったら、さすがに大人しく都市で拘束されるしかないだろうな」


 アルマがそう口にしたのとほとんど同時に、メイリーと正面からぶつかった《巨鬼のタイタン》が、天空艇よりマドールの館のテラスへと飛び降りていった。

 アルマはその様子を、ぽかんと口を開けて眺めていた。


「タッ、タイタン様!? 何故!」


「あんな化け物のいる天空艇にいたくない! 飛んだら逃げ場がないんだぞ!」


 タイタンは完全にメイリーがトラウマになっていた。

 アルマは船の手摺に手を乗せ、館のテラスで叫ぶタイタンを見下ろしていた。


「何やってるんだあいつ?」


「どったの、主様?」


 メイリーがアルマへと歩いて寄ってくる。

 最早、走ってさえいない。


「いや、何でもない。目標は果たしたから、とっとと地上に戻るぞメイリー」


「ボク一人で簡単に制圧できそうだけど、いいの?」


「俺だって惜しいが、引き際は肝心だ。そもそも最初から警戒していたのは、錬金術師のアイテムと、天空艇自体の戦闘能力だけだ。敵の兵なんざ、百人いたってメイリーの敵じゃないのはわかりきってる。ここは素直に逃げた方がいい」


 アルマとメイリーが話していると、大きな駆動音が聞こえてきた。

 アルマは音の鳴る方へと顔を上げ、目を見開いた。


「う、嘘だろ、こっちも船の上にいるんだぞ」


 設置されている中でも格段に大きな砲台が、アルマとメイリーへ向けられていた。


「お、おい! それはシャドウ様の許可がないと、撃っちゃならないことになってる! あの方が、万が一強大な魔物とぶつかった際に備え、半ば研究目的で製造したものだ! それを、至近距離どころか、船内の相手に向ける? 何考えてやがる!」


「非常時だろうが! 見てなかったのか! あいつらが乗ってる限り、この天空艇は終わりなんだよ!」


 空賊達も揉めていたようだが、強引に大砲に点火された。

 轟音と共に、巨大な球形弾が放たれる。


 全長三メートルはあろうかという巨大な金属球体が迫ってくる。

 金属は、豪火のような派手な赤色に輝いていた。

 甲板を削り飛ばしながら一直線に飛来する。


 メイリーはアルマの前に出て、球形弾を受け止めた。

 メイリーはその場で踏ん張ろうとしたが、足場の甲板が容易く削れ、身体が宙に浮いた。

 背の翼を大きく伸ばして羽搏かせて、球形弾の勢いを殺す。


 メイリーは球形弾を抱えながら、甲板に着地した。


「びっくりした。思ったより重かった。何使ってるの、これ?」


「ナイスだメイリー、よく止めた。ローブが守ってくれるとはいえ、吹っ飛ばされてこの高さから地面に打ち付けられちゃ、耐久力ががっつり削られちまう」


 メイリーは球形弾に齧りつく。

 表面が彼女の牙の形に抉れる。


「んん……? 《オーガ鉛》?」


「へえ、溶かして売ればそれなりの金になるぞ。その量を気軽に撃ち出せるなんて、随分儲けてるんだな」


 しんと、天空艇の上が静まり返る。

 空賊達は皆、目前の光景が信じられずにいた。

 誰かの悲鳴に連鎖して悲鳴が起こり、一瞬にして阿鼻叫喚に包まれる。


「お、おい、あの弾、もう一個ないのか!」

「あるわけないだろ! 第一、効いてなかったのにどうするんだよ!」

「あれが駄目だったのに他のでどうにかなるわけないだろ!」

「シャドウ様、シャドウ様を呼べぇ!」


 メイリーはふと、自身の指へと目を落とす。

 爪が割れ、血が滲んでいる。メイリーは眉を顰めた。


「メイリー、手、怪我してるじゃないか。大丈夫か? 戻ったら治療してやる」


「……痛い、お返しする」


 メイリーは苛立った声で言い、《オーガ鉛》の球形弾を高く掲げた。

 天空艇を飛び交う叫び声が一層と大きくなる。


「止めろ、メイリー! だから、もう、逃げるだけでいいんだよ! 後で好きなもの食わせてやるから落ち着け! 後で好きなもの食わせてやるから!」


 メイリーは砲台目掛けて球形弾を投げ返した。

 砲台が綺麗に抉れて消し飛び、また天空艇が大きく揺れた。

 メイリーが突き刺したのとは別の帆柱がへし折れて倒れ、甲板の亀裂が更に大きく広がっていく。

 これまで以上の衝撃に、天空艇が大きく破損した。


 アルマも揺れに足を取られて転び、甲板に叩きつけられ、亀裂へと投げ込まれるように落ちていった。

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