第74話
アルマとメイリーは、都長マドールの館へと向かって街道を走る。
「首領のシャドウと、天空艇には気を付けろ。ちょっとばかり危険な戦いになるかもしれない。いいなメイリー、俺から離れるなよ」
「主様の身が危ないもんね」
メイリーから痛烈な突っ込みが入った。
今回の目標は《ノアの箱舟》の撃退であった。
倒すことではない。撤退させることが狙いだ。
天空艇にどんな兵器が搭載されているのかもわかったものではない。
マドールの館の横に、大きな天空艇が浮遊している。
館に横付けされており、壁に天空艇の一部がめり込んでいた。
「さすがに純粋な戦力では、人間でメイリーに敵う奴はいない。……警戒するのは、敵錬金術師が搦め手の一発芸を持ってないかどうかってのと、天空艇本体の戦力だな。天空艇もメイリー並みの馬力が出るとも思えないが、それでも都市中でドンパチやれば無用な被害を出しかねない」
アルマは顎に手を当て、走りながら考える。
どうすれば被害を少なく、《ノアの箱舟》を撤退させることができるのか。
天空艇の甲板には何人もの空賊が立っており、周囲を見張っている。
既にマドールの館と隣接しているのだ。
恐らく、館の中に入り込んでいる空賊もいるだろう。
「天空艇に乗っちまうか。そうすれば、下手に兵器も使えなくなる。錬金術師の工房も、船の内部の奥だろう。入り込まなければ、罠に掛けられることもないはずだ」
別に天空艇の内部に入り込む必要はない。
あくまでもアルマの目標は、《ノアの箱舟》を都市パシティアから叩き出すことである。
甲板で暴れて脅しを掛ければ、予想外の反撃に驚いた《ノアの箱舟》が撤退を選んでくれる算段が高い。
そう考えての判断であった。
《ノアの箱舟》にとって最悪なことは、天空艇を失うことにある。
略奪より、天空艇を守る方が、彼らにとっては遥かに優先順位が高いのだ。
予想外のことが起きれば、早々に戦闘を放棄して都市からの離脱に出るはずだ。
「つまり、どうするの?」
「天空艇に飛び乗る! お前の脚力と翼ならできるだろ?」
天空艇の上にいる空賊達が館に接近するアルマとメイリーを見つけ、剣を向けた。
「そこの二人組、止まれ! それ以上館に接近するのなら容赦せんぞ!」
アルマはメイリーの肩に手を回した。
「メイリー、頼んだ!」
「ん」
メイリーは地面を蹴って高く跳び上がり、背の翼を広げる。
そのまま館の三階の壁を蹴り、天空艇へと飛び込んだ。
降り立った際の衝撃でアルマは床に叩きつけられ、呻き声を上げながら膝立ちした。
「痛たた……仕方ないな」
それから天空艇の上を見回す。
甲板に出ている空賊達は、ぎょっとした顔でアルマとメイリーを睨んでいる。
人数は二十人少しだった。
館に入った者や、天空艇の内部にいる者もいるのだろう。
全体は倍近い数だろうと、アルマはそう検討を付けた。
天空艇の上には酒瓶が転がっており、皿や料理も目についた。
これから略奪だというのに随分とお気楽な様子だ。
どうせ自分達に刃向かうわけがないと、そう考えていたのだろう。
「なんだ貴様は!」
「俺達が悪名高い、リティア大陸の支配者、《ノアの箱舟》と知ってのことか!」
空賊達が口々に叫ぶ。
彼らの内の一人が、大きな棍棒を甲板へと打ち付けた。
鈍い音が響き、船上が静まり返る。
「ハッ、たった二人で乗り込んでくるとは、いい度胸だ。お前ら、引っ込んでろ。俺様が相手してやる」
棍棒を構えるのは、二メートル半以上の巨漢だった。
肌はやや赤く、ごつごつとした外観をしている。
禿げ上がった頭からは、二つの角のような突起がある。
マジクラにもいた亜人の一種、鬼人だった。
彼らは決してただの人間では追い付けない程に強大な膂力を持つ。
「俺様は、《ノアの箱舟》のナンバースリーー……《巨鬼タイタン》だ。骨のある奴がいなくて退屈してたんだよなあ。ちょっくら、俺様の棍棒の餌食になってくれや」
タイタン以外の空賊達は、アルマ達を回り込むように動き始めた。
顔には残忍な笑みがあった。逃がさず、確実に嬲り殺してやるという悪意があった。
「すぐ死ぬんじゃねぇぞお。ちょっとは楽しませてくれや!」
タイタンが笑いながら走ってくる。
「おい、メイリー。脅す程度にやってくれ。本気になられてもお互い損だから、あんまり追い詰め過ぎるなよ。窮鼠猫を噛む、だ」
「ん、わかった」
メイリーが欠伸交じりに応える。
目に若干涙が溜まっている。
「ちょっとだけ天空艇を破損させてくれ。壊し過ぎない程度に……かつ、あまり戦闘を続けたら天空艇が無事じゃすまないかもしれないって示唆できるくらいでな」
「注文が多い」
緊張感のない二人の会話に、タイタンが表情を険しくした。
「なんだ貴様ら? この俺様を舐めているのか? 時間潰しにゆっくり遊んでやるつもりだったが、まずは片割れを撲殺するか。ちょっとは緊張感が出るだろうよお!」
タイタンが再び、棍棒を甲板に打ち付ける。
大きな音が響き、甲板の床が抉れた。
天空艇は木材でなく、石材でできていた。
その石材の床が、タイタンの一撃で容易く抉れたのだ。
「どうだ? ミスリル製の棍棒だ。恐ろしいだろう? 俺様は、俺様の全長以上あるミスリルの棒を、自在に振り回すことができるのさ」
タイタンが歯を見せて笑い、アルマを睨み付ける。
タイタンは、自身を前に無警戒な二人の様子に苛立っていた。
タイタンの自慢の膂力は、鬼人以外の人種にはまず踏み込めない領域にあった。
人間にとって脅威でないはずがないのだ。
メイリーは姿勢を低くし、真っすぐタイタンに駆けていった。
「ほほう、たった二人で乗り込んできただけあって、いい速さだ。だが、それだけだ!」
タイタンがメイリーへと棍棒を振るう。
メイリーはそれを片手で止めながら、タイタンの横を駆け抜けていった。
タイタンとメイリーの戦いを見物していた空賊達が、慌ててメイリーの走る先を回り込む。
「な、なんだあいつ、逃げるつもりか!」
他の空賊達がメイリーを逃がすまいと走り回っている間、タイタンは茫然とその場に立ち尽くしていた。
「俺様の棍棒を……あんなあっさり、片手で止めた? ち、力が、入っていなかったのか? いや、そんな……」
タイタンはぶつぶつと独り言を漏らしながら、自身の棍棒へと目をやる。
他の空賊達は、タイタンの様子に気が付いていなかった。
メイリーが棍棒をあっさり手で止めたのも、ただ手のひらを棍棒が掠めただけだろう、くらいに考えていた。
あんな小娘がタイタンの棍棒を止められるわけがないと、そういう先入観があったためだ。
「おいメイリー! 俺からあんまり離れるなよ」
アルマがメイリーへと叫ぶ。
「いや、丁度いいのあったから」
メイリーはそう言うと、一本の帆柱へと両手を回した。
がっしりと爪を喰い込ませている。
「ばっ、馬鹿! それは丁度よくない! 第一壊し過ぎだ!」
アルマがさっと蒼褪める。
空賊達はメイリーが何がしたいのかわからず、眉を顰めていた。
首を傾げてから、止めていた歩みを再開してメイリーへと接近する。
「おい小娘、タイタン様との決闘を放棄するつもりか? 貴様はもう逃げられんぞ」
「不運だったなあ。タイタン様は本物の化け物だ。お前ら二人、肉も骨もぐしゃぐしゃに……」
そのとき、天空艇全体から、悲鳴のような音が響く。
大きな帆柱が、メイリーの手に寄って甲板から引き抜かれた。
天空艇が激しく揺れ、立っていた空賊達が甲板に倒されて悲鳴を上げる。
巨漢のタイタンはそんな中、唯一しっかりと立っていた。
その目は、メイリーに釘付けになっている。
自身の手にしている棍棒を一瞥した後、メイリーの抱えている帆柱へと目を向けた。
「本物の化け物だぁああああああ!」
タイタンが悲鳴を上げる。
メイリーは帆柱を、タイタン目掛けて振り下ろした。
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