第35話

「まずいな……」


 時計塔の上階にて、アルマは部屋に設置した望遠鏡を用いて、村の北側を眺めていた。


 かなり距離はあるが、山のふもとに大量の魔物が出没しているのが見える。

 数百体の群れとなっていた。

 通常の赤い夜レッドムーンでは、こんな規模の群団がぽんと生まれるわけがない。


 そして魔物達の中央部には、赤黒く輝く、巨大な塊があった。


「ね、主様、ヘンなのいるでしょ?」


「……ありゃ、ドウンだ。月の使者だとか、小さな魔王だとか呼ばれている」


 アルマは舌打ちを鳴らした。


「ち、小さな魔王? アルマ殿、そいつは、いったい何をするんだい?」


 後を付いてきたハロルドが、不安げに口にする。


「ドウンは赤い夜レッドムーンの間しか生きられない。その代わりに、月の光に呼応して大量の魔物を生み出し、魔物を狂暴化させて指揮し、人里を襲撃する。赤い夜レッドムーンの象徴のような魔物だ」


「そ、そんな……」


「早く叩かないと魔物が増え続けるが、ドウン自体も厄介だ。素早く、恐ろしくタフな上に、多彩なスキルで自身の身を守る。周りの魔物も護衛に出るため、ドウンを正攻法で撃破するには手札が足りなすぎる」


 要するに、赤い夜レッドムーンが終わるのを待て、ということである。

 だが、ドウンに狙われて素直に夜が明けるのを待っていれば、都市一つなんてあっさりと陥落する。

 出現したが最後、複数の都市が消滅すると恐れられていた。


 ドウンは低確率で発生する、抗いようのない絶対的な脅威としてプレイヤー達から恐れられていた。

 マジクラ運営は、よくこういった悪魔のような仕様を平然と織り交ぜてくる。

 

「こんなのばっかりやってるから、数年でサービス終了するんだよクソ運営が!」


 アルマは額を押さえ、舌打ちをして苛立ちを露にした。


「ア、アルマ殿、そんなにドウンは危険なのかい?」


「ああ、最悪のイベントだ。正直、今程度の村の設備で凌ぎ切れるかはかなり怪しい」


「そこまで……」


「だが、ドウンは滅多に発生する魔物じゃない。俺だって、目にしたのはこれが二度目だ。こんな不運が飛んでくるとは思いもしなかった。俺は呪いなんて信じちゃいなかったが、こればっかりはヴェインの呪いかもしれねぇな」


 ヴェインは最後に、この村には天罰が下る、呪ってやると騒いでいた。

 だが、ドウンを意図的に発生させる方法なんてないし、あったとしてもヴェイン如きができるようなことではないだろう。

 しかし、それでもドウンの稀少性を思うと、ヴェインの呪念が誘き寄せたのかもしれないとも考えてしまった。

 本来、それくらい発生しえない魔物なのだ。

 とんでもなく運が悪かったと、そうとしか言いようがない。


「……この調子だと、最悪、三時間程度でこっちまで向かってくるだろう」


「そんなに早く……!?」


 アルマは十秒ほど考え込んでいたが、顔を上げてハロルドへ目を向けた。


「ハロルド、詳しい策を立ててる余裕もない。大人の男は、北部の壁に武器を持って出てくるように頼んでくれ」


「アルマ殿は?」


「村で準備を済ませたら、すぐに北へ向かう。村の手前で、何としてでもドウンを叩く!」


 アルマは言葉通り村内で手持ちのアイテムを整え、都市にちょっとした仕掛けを施すと、村を出て北へと向かった。

 村北部のただっ広い平原につくと、アルマは足を止める。


「ここをドウンとの決戦の場所にする」


 アルマはメイリー、ホルス、アヌビス、クリスを引き連れてきていた。


「ねー、主様。ボク達全員連れてきてよかったの?」


「村の方には、アイアンゴーレム軍団に《バリスタ》があるからな。できればここで魔物をほとんど倒して、向こうではせいぜい打ち漏らした魔物の処理くらいになるのが理想だ」


 アルマ達が待機してから半刻程で、遠くから千近い数の魔物の群れが現れた。


「……一番多いのがゴブリンで、カースウルフとポイズンマイマイが要注意だな」


 カースウルフは身体の腐った三つ目の狼である。

 モンスターランク2の中でも上位に入り、素早くて攻撃力の高い厄介な魔物である。


 ポイズンマイマイは紫色のマイマイである。

 毒を有しているだけでなく、通常のマイマイよりも全体的に身体能力が高い。


 そして最前線中心部の手前側に、ドウンがいた。

 全長三メートル程度の、赤黒い靄のような塊であった。

 虫のような六本の足が生えている。


 前面には、三つの円が浮かんでいる。

 子供の描いた落書きのような顔だった。


『フン、こうして見ると、大した数であるな。全力は尽くすが、しくじっても我に八つ当たりするでないぞ』


 クリスは言葉こそ軽々しいが、険しい表情で魔物の群れを睨んでいた。


 ドウンはアルマを目にして、邪悪な微笑みを浮かべた。


『キ、ヒヒヒ…………。ニンゲンヨ、止メラレルモノナラ、止メテミヨ。ソンナ少数デ、何ガ出来ル?』


 ドウンより、邪悪な《念話》が放たれる。

 ぞっとするような、冷たい悪意が込められていた。


「へえ、お前、喋れたのかよ。闇落ちしたゆるキャラみたいな外見しやがって」


 マジクラの世界では、個々のパワーで押し切る戦い方は、格下にしか通用しない。

 戦いの前にどれだけの準備ができたかが勝敗を決する。

 策を練り、兵力を蓄え、それをより相手に効果的にぶつけられた方が勝利するのだ。


 そういう意味でも、千の軍勢を引き連れてきたドウンは、恐ろしい脅威であった。


「……確かに、数の不利は最悪だ。これがゲームなら、俺は大事なものだけ抱えてとっとと逃げてただろうよ。勝算は、五分五分ってところだったからな。だが、そんな選択肢、選べるわけがねぇだろ。俺にはあの村の全てが、大切に思えて仕方ないんだよ! 来い、小さな魔王! 俺の今出せる全てを出して、お前らを倒してやる!」


『愚カナ! 我ガ軍勢ノ前ニ散ルガイイ!』


 甲高い、不気味なドウンの笑い声が、辺り一面に響き渡った。

 直後、カチッという大きな音がした。


『……ム?』


「お前達、耳を塞げ!」


 平原にて、魔物の最前列を中心に、突如大爆発が巻き起こった。

 爆炎の中、魔物の肉塊が飛び交う。

 地面に巨大な穴が開き、後続の魔物達が、更に背後の魔物に押され、開いた穴へと落ちていく。


 アルマはメイリーの背に乗り、素早く爆発で開いた穴の近くへと向かう。


「綺麗に掛かってくれたな、馬鹿共め! 貴重な《終末爆弾》を使った、特製地雷だ! ドウンが釣れるかは賭けだったが、馬鹿正直に前線に出てきやがって!」


 アルマが穴を見下ろすと、魔物の残骸に埋もれる、瀕死のドウンの姿があった。


『ナ、ニ、ガ……?』


「割と爆心地の近くだったのに、よく生きてたな。さすが、プレイヤーからあれだけ恐れられていただけのことはある。……ま、これで終わりだけどな」


 アルマは《魔法袋》より青に輝く水晶玉を取り出し、穴の中へと放り投げた。


「主様、それは?」


「《水源石》、井戸に使った奴だ」


 地中に開いた穴が、一瞬の内に水で満たされていく。

 穴に転げ落ちて積み重なっていた魔物達が、溺れながら息絶えていく。


 マジクラでは、戦いの前にどれだけの準備ができたかが勝敗を決する。

 確かにそれは間違いない。

 だが、その準備とは勿論、純粋な戦力の規模の話だけではないのだ。

 

『さ、散々勿体振りおって。何が五分五分であるか』


「いや、全然これでドウンを処理できない可能性はあったからな。奥にいたら地雷で吹き飛ばせなかったし、稀少で情報が少ないからアイツの生態もよく知らないし。それに、まだまだ後続の魔物はいるんだから、気は抜くなよ」


『……我は今、絶対に貴様を敵に回すまいと心に誓ったぞ』

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