エンチャント・エクスペリエンス 4

 テレビ局を出てから、僕はこの前司くんを連れてったファミレスか親父とたまに行く蕎麦屋とかどこかで外食をしようと提案したが、白奈さんは外食があまり好きじゃないようだった。


「外でごはん食べると、マスク外さないといけないじゃないですか。私それで結構な割合で私ってバレるんですよね。ほら、私のツイッターの戦闘力は60万人です」


 そう言って、白奈さんはツイッターを開いてホーム画面を見せてきた。やっぱり人気グラドルは違うなぁ。僕もやろうと思ったことあるけど、マネージャーの池田さんに変にふざけたこと呟いたらぶっ飛ばすと言われ、その変にふざけたことが何なのかよく分からないから結局やってない。


「ふーん大変だな。じゃあ僕んちで何か食べるってことになるけど、包み隠さずに申し上げると僕は料理全く出来ないから、ピザでも買うかい? あ、でも白奈さんって体型にものすごい気を使ってそう……」


 白奈さんはクスクスと笑った。ツヤツヤした茶髪のつむじ周りが、街灯の光で天使の輪っかのように白く輝いている。


「大丈夫ですって。そんな気を使ってたら私豆腐と生野菜しか食べられませんよ。ピザいいですね! 私ダイスピッツアのスパイシーチキンピザ好きなんです」


「あ、僕もそれ好き。じゃあそれと何か他にもう一枚ジェノベーゼか何か頼もうか」


「あ、じゃあハラペーニョでハーフでお願いします」


 辛いのばっかじゃないかと僕は内心思いつつ、店のアプリを開いて最寄りのデリバリーピザ屋に店舗で直接ピザを受け取る旨を付け足し、素早く予約を入れた。


 ***


「3307円になります」


「あ、はい。あとゼロカロリー・コーラ2本ください」


 15分ほど電車に乗って、それから10分ほど歩いて着いたデリバリーピザ屋で会計をしてピザを受け取った。しまった。注文の時にサイズを変更しないでLサイズで頼んでしまった。二人だけで2枚もこれ食えるかな。まぁ余ったら明日の朝レンジで温め直して前垣さんに食べさせればいいか。


「ありがとうございました、またのお越しをお待ちしています」


 店員は3500円払った僕に、どの店でも大差ない月並みな言葉をお釣りと共に妙にイケボで言い放ったが、目は僕じゃなくて明らかに僕の後ろの白奈さんを見ていた。顔が見えなくても、目元だけで何となく目鼻立ち整った美女だと想像がつくからだろうか。いや、それとも彼が見ていたのは眩しい彼女の御御足か。


「ありがとうございます。奢ってもらっちゃって」


「いいよ。女の子に払ってもらうなんて男としての沽券に関わるから。それより冷める前にさっさと行こうか。あーいい匂い」


 僕の俳優としての稼ぎはまだ少ないので、毎月の親父からの送金を無駄にできないのに、見栄張ってかなり散財してしまった。しばらく買い食いは控えなくちゃな。

 僕はそれでも、武士は食わねど高楊枝と言わんばかりに堂々と振る舞った。男はカッコつけなきゃいけないからな。特に俳優は。内心ではもう口から心臓吐き出さんばかりに緊張しているけど。

 家までの僅かな距離を僕達は雑談しながら歩いた。


「椿さんって役者で初めての仕事は何だったんですか?」


「何だろ、バラエティの自衛隊の裏事情を扱ったっていう再現ドラマの幹部候補生役かな」


「奇遇ですね。私も似たような感じで軍人でしたよ。もっとも白山にある小さな劇場の演劇で、大祖国戦争を舞台に戦場で発狂した軍医に犯されて困惑したまま衰弱死する女性兵の役でした」


「中々エグい役だね」


 大祖国戦争って何だ?


「だから二度と舞台の仕事はやらないって決めましたね。それでグラドルに転向したんです。まぁ私決意の弱い人間なんで多分いい感じの役で仕事が来たら受けちゃうと思いますよ」


「そうだねーお互い仕事選べる身分じゃないよねぇ」


「そうそう」


 そう言うと、白奈さんはバッグから水筒を取り出して中身を飲んだ。


「ところで、司くんっていますよね。あの全身頭まで真っ白のかわいい男の子。いくつなんですか?」


 8歳と言った。そういえば司くん、前に比べたらちょっとは態度軟化したかな。今日は素っ気ないけどちゃんと目を合わせて挨拶してくれた。前は目は台本とかを見ながらボソボソ喋るだけだった。


「今朝、そういえば前垣さんにはまだ挨拶してなかったなと探してたら、前垣さん司くんに九九教えてたんですよねーあの人怖い役だけど優しい人なんですね」


「そりゃ殺人犯の役で刑務所から殺人犯借りてくるわけにもいかないしね」


 あの監督なら可能ならやりかねないがな。

 というか前垣さん律儀だなー。司くんの家なら家庭教師も雇えるだろうに、社交辞令で言われたことをそのまんま受け取っちゃってさ。


「その時に一緒にいた司くんと私と前垣さんで、三人で記念写真撮ってツイートしたんですよ。ほら」


 白奈さんからスマホの画面を見せられて、それを僕は直視すると、前垣さんの肩膝の上に乗る司くんを屈んでハグする白奈さんの写真が映っていた。司くんの見たことない溶けたアイスみたいな歪な笑みから、彼が性の喜びを知ってしまったことは明白だった。何と罪深いことを……。

 関係ないけど前垣さん首より上、映ってないわよ。


「前垣さん見切れてるwwwって感じでウケると思ってわざとこんな写真撮ったんですが、そもそも一般に前垣さんほとんど知られてませんでした」


「草」


 流石、役者の稼ぎよりファミレスのバイト代の方が高い人間は違うな。しかし、白奈さんって計算してこういうことできるんだ。怖…。


「ここ」


 話していたら着いたので、僕は自分の部屋が入っている8階建の紫色のレンガのマンションを指差した。1LDKとはいえ、22歳の若造が住むにはかなり立派なところだ。恥ずかしながら、家賃光熱費は親父が払っている。本当、親父には息子としても俳優としても頭が上がらない。しかし、いつかはオートロック付きのタワマンに住みたい。


「椿さんは何階にお住まいなんですか?」


「5階」


 そう言いながらキーを挿して自動ドアを開けると、擦れ違い様に人と会った。嫌だなー。僕ただでさえマンション内で前垣さん曰く、毎日のように夜遊びしてる黄緑髪の若い不良って思われてんのに、若い女を連れ込んでるって誤解されないか不安だ。


「こんばんはー」


「……」


 無視かよ。挨拶もできないのか。挨拶もできないヤツはゴムつけない男と一緒って某伝説の男優も言ってたぞ?いや逆か。


「郵便受け見なくていいんですか?」


「いいよ別に。チラシくらいしか入ってないだろうし」


 しかし僕、めっちゃ緊張しているのに受け答えは普通にできるんだな。僕って緊張すると逆に頭が冴えるタイプなのかね。と、エレベーターに乗って僅かな間、白奈さんの細い首筋を真後ろから見ながら思った。


「どうぞ、汚いけど」


 ドアを開けて、先に白奈さんを部屋に入れた。前垣さんが口うるさいから最近はあんまりゴミは放置してないはずだけど、来客に備えて念入りに掃除とかはしてないからちょっぴり不安だ。


「お邪魔しまーす」


 そう言って、紐を解いてブーツを脱ぐ白奈さんに気づかれないように、明らかにサイズが違う前垣さんのスニーカーを下駄箱の下の隙間に蹴り入れた。


「あ、洗面所は左で、トイレはすぐそこのプラカード下がってるドアだから」


 やっべ。トイレットペーパー三角に折ってないわ。と、僕も急いで靴を脱ごうと何となく正面を見た時、僕は前屈みになる白奈さんのホットパンツの裾から、下着らしきレースの黒い布地がはみ出ているのを見てしまった。


「……!」


 それを見た瞬間、僕は今まで抱えていた高揚混じりの緊張感が彼女に対してではなく、僕自身へ移り変わっていることに気づいた。つまり、若い女性を僕の支配圏である自宅に連れ込んたことで、僕の気が大きくなって過ちを犯さないか、それが絶対に無いとは言えないと感じ、その不安が胸の内で花開くように肥大化していることに気づいた。

 アカン、僕はなんて恐ろしいことをしてしまったんだ。やはり前垣さんを出て行かせるべきじゃなかったかもしれない。落ち着け。僕はそんな獣みたいな人間ではない。泰然自若。頑張れ椿。もっと堂々としなければ年下に甘く見られるぞ。というか人生台無しになるぞ。


「ッゥフン!」


 と、僕は自分に喝を入れるために己をフルパワーでビンタした。

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