エンチャント・エクスペリエンス 3

「なるほど、これから菊本白奈さんと会うんだ。羨ましいヤツめ、もしファンに知れたら椿くんの名前で国会議事堂や県庁に爆破予告されるぞ」


「えーマジすかー? エヘヘ照れるなぁ」


「ダメだコイツ、完全に舞い上がってら」


 今日のやるべきことは全て終わったので、僕と前垣さんは喫煙所で一服していた。

 あの後、ディレクターの元に謝りに行ったら、あちらも謝るかと思ったら、君は他の社会人と違って毎月のノルマ達成やら稟議書作成やら、そういう社会人の苦労とは無縁の世界にいるのだから、君は役者として同じくらいあくせく働かなくちゃならないんだからとか説教された。殺そうかと思った。社会人って基本的に目下の連中に謝らないよな。


「まぁ分かってると思うけどさぁ。何するにも合意ならいいけど、マジで避妊はしろよ。俳優が共演者を妊娠させるとか前代未聞だぞ。違約金もあるけど必ず芸能界から追放されるからな」


 煙草あまり吸えないのに付き合い良く僕のエコーをもらって吸う前垣さんが、珍しく真剣な顔で僕の胸を指でつついて警告した。この人、この映画に出世の波に乗れるか期待を膨らませてるから、制作中止になったらそれこそ自殺しかねないからな。無論そこは気をつけますと言った。


「あの子、噂で聞いてた割にいい子だったな」


「噂?」


 前垣さんはまだ吸える煙草を灰皿に押し付け捨てると、スマホをポケットから出して何かを検索し始めた。


「ほれ」


 そうして渡されたスマホの画面を見ると、何やら不穏なことが記されたネットニュースが出ていた。


「菊本白奈、グラビアアイドルになる以前は地元で美人局や恐喝の常習犯をやっていた……?」


 記事には、彼女はスカウトされてグラドルになる前は地元の半グレとつるんで痴漢冤罪や、会社員に援交を持ちかけてホテル前で呼んだ不良と脅迫して金を荒稼ぎしていたとあった。また、ぼったくりキャバで勤務していたこともあり、彼女は店の前で勧誘するだけで、釣られて中に入った客に大したサービスもせず、入店料として法外な金を請求することにも加担していたと、証言者の言葉も載せて実しやかに書かれていた。

 ただ、僕としてはスキンシップは過剰だけどあんな優しくてかわいい子に、そんな大それたことが出来るのかいささか信じられなかった。


「デマでしょ。こんな……何? 報国スクープ? こんな聞いたこともないニュースサイトが流す記事なんて、悪意アリアリの下らないフェイクニュースに決まってますよ」


 そう言って僕はスマホを前垣さんに返した。


「だよな。このサイトには椿くんもあったけど、椿くん小学生の頃にクラスメイトを喧嘩で失明させて、ほとぼりが冷めるまで金村氏は君を海外の学校に行かせたとか書いてあるぜ。君そんな大物じゃないよなぁ?」


「はははは、何スかそれ」


 僕は口から煙を吐いて笑い飛ばした。


「まぁこれで自分の壁を破るのもいいと思うよ。昔は役作りのために抜歯したり路上生活した俳優もいたらしいし、それに比べたらベッドシーンのために実際に相手とベッドインするのなんか軽い軽い」


 確かに、僕も撮影に使う銃と同じモデルガンを買ったり、髪を黄緑に染めるくらいしかやってないな。というか別にベッドインするとは言ってない。実演も踏まえた演技の打ち合わせを行うだけ……のはず。


「そういう自分は何か役作りしたことあるんですか?」


「え? そうだな……アニメの声優の仕事が来てもいいように、よくジャンプや週刊誌音読してる。あとは刀をもっと軽々振り回せるようによく、公園のブランコの柱で懸垂してるな」


「前垣さん、獅子が如き好きですからねー」


「あれは俳優でも大御所しか出ないからなぁ、もしオファー来たら泣いて喜ぶわ。まぁ帰るか」


 そう言って、前垣さんは僕の背中を叩いて帰宅を促した。


「え? 前垣さんウチ今日も来るんですか?」


「大丈夫だって。前垣さんが物置代わりに使ってるきったねー空き部屋で寝るから。一切邪魔はしないから安心しろって」


 と、前垣さんは何食わぬ顔でスマホを尻ポケットにしまって耳を小指でほじる。いや、そういう問題じゃないんですが……。いくら何でもたたねーよ。たつわけねーよ。


「前垣さん」


「ん?」


 僕は財布から最近見ない首里城を取り出し、前垣さんに握らせた。


「は?」


「今日はマックなりネカフェなりで一夜明かしてください。明け方には帰ってきていいですから」


 前垣さんは不服そうに二千円札を細かく折り畳んでいたが、分かってくれたのか頷いた。


「仕方ねーなー。俺ネカフェのあの難民連中達から浸み出る重苦しいオーラ大嫌いなんだよ、ああいうのってあんな狭っ苦しいプライバシーもねぇ部屋を城とか言い張ってて泣きたくならねーのかな」


 同族嫌悪か。住所不定が。


「じゃあまぁ、今夜はお楽しみください。では」


 前垣さんはそう言って右肘を腰のあたりで曲げて、名家の執事のようなお辞儀をすると、出入り口とは反対方向に歩いて行った。この程度で拗ねてやんの。

 すると、僕のスマホが震えて電話がかかってきた。どこかの海が見える喫茶店かホテルを背景に撮られたショートケーキの写真のアイコン。白奈さんだ。名前が柴村菊乃ってある。本名か。


「もしもし、中島です」


「あ、どーもー菊本です。お疲れ様です。今から下のエントランスに向かうので。椿さんは既にお待ちしてますか?」


 何だか電話越しだと、しつこくかかってくるアパレルの宣伝の若い女の声を聞いているようで身構えるな。大方、僕が出たファッション誌と提携してるアパレルショップがどっかから僕の住所を入手して、服を買うよう催促してくるのだ。


「いえ、僕もこれから向かうところです。これから落ち合いましょう」


 そう言って僕は電話を切った。


 ***


 誰かが通る度に空いた自動ドアから熱風を浴びせかけられる出入り口のところの自販機で、買う気はないが何か商品は変わってないかを目で追っていると、後ろから肩を叩かれた。


「お待たせしました」


「ああ……んっ」


 白奈さんの声がしたので反射的に振り返ると、ほっぺに彼女の冷たい指につつかれた。小学生の時に誰でも一回はやられるちょっかいだが、22になってまたやられるとは思わなかった。


「えへへ。ひっかかった」


 そう言う白奈さんの子どもじみた無邪気な様子に悪い気はしなかったが、体ごと振り返った時に僕は思わず息を呑んだ。


「な、なんか昼間と様子が違うね」


 この前の初対面の時の落ち着いた服装や昼間の衣装を着ていた時と一転、私服に着替えた白奈さんの格好は、青を基調にハイビスカスを散りばめたナイロン生地のパーカーに、かなり切り詰めたホットパンツという扇情的な出で立ちだった。パーカーの裾が長いので、一瞬下に何も履いてないのかと思った。言っちゃなんだが、夜の街を遊び歩いてそうという言葉が最適解な服装だ。でも好きか嫌いかと言ったら好きですね。


「私、結構暑がりなので自然と露出が多くなっちゃうんですよ」


「パーカー暑くないの?」


「結構風通るから涼しいですよ」


 そう言うと、白奈さんはマスクをつけて伊達メガネをかけた。結構一般にも顔知れてそうだし、やっぱりプライバシーを暴かれないように気を使ってるんだな。僕なんか元々マスクが嫌いだし、それに大した知名度もないからつけることは少ない。


「じゃあお家へ案内してもらっていいですか? 遠いんですか?」


「いや、近いですよ」


 そう言うと、白奈さんは僕の手を握ってきた。何かほとんど互いについて知らない割に、彼女の僕に対するボディタッチが多いことに少し疑問を感じ、不意にさっき前垣さんが見せたあのフェイクニュースが頭をよぎった。

 だが、こういう性格なのかなとあまり気にしなかった。というのも、僕の頭はもうずっとピンクに支配されていたからだった。

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