役を離れたら小生意気なガキ 4

「すいません。お金貸してください」


 今年で30になる男が、物陰に呼んだと思えば22歳の僕にお金貸してと頼みこんできた。何だろう。最近、民放はこの人の実生活でドキュメンタリー番組を組んだら、甘い考えで俳優を目指す浅はかな学生も減るだろうなと確信を持って思えてきた。

 男たるもの見栄を張ってナンボだが、無理なことはするもんじゃない。


「いや、まぁいいですけど。というか最初からそうすべきだったんですが、食費もこれからは僕が出すので、これは返さなくていいです」


 そう言って、僕は親父のお古の痛んだワニ革の財布を尻から抜き取って開けた。


「あっ」


 しかし、中を見てまずいことに僕は気づいた。


「やっべ。2000円しか持ってねぇ。小銭を含めても2167円。そうでした。今日の朝にビデオ買って大分散財したの忘れてた」


「マジか。俺は1080円しか持ってないぞ」


「僕の口座、メガバンクじゃなくて信用金庫なんで、近所の支店以外じゃ近場に下ろせる場所ないんですよねー。ま、3000円あればそこらのファミレスくらい大丈夫でしょ」


「それもそうだな」


「何やってるんです?早く入りましょーよ」


 ガラスのドアに止まる何匹もの蛾を蹴って潰しながら、司くんが不機嫌そうな顔で僕らを呼んだ。


 *****


「この国産黒毛和牛和風ハンバーグ150gをライスとセットで」


「……」


 こ、このガキ……。どうせカルボナーラとかかと思ったら、このファミレスで一番高いもの頼みやがった……。まったく、子どもは無垢なものだが遠慮を知らない。ただ、思い出せば子どもの頃、僕も親父に誕生日プレゼントで何が欲しいと聞かれた時にマウンテンバイクとWiiとかいけつゾロリ全巻を頼んだ人間なので、彼を責められない。全部買ってくれた。


「んー司くんはよく食べるねーいいよー食べなー」


 前垣さんは、ボーカロイドみたいな機械じみてのっぺりした声色で司くんに語りかけた。内心での不安が手に取るように分かる。その時、前垣さんからLINEが来た。「あと900円だけどどうする?」と。全員1000円以内で済むというのがそもそも間違いだったのだ。僕はこう返した。「帰ったらカップ麺食べましょう」


「えーと、ご注文を繰り返します。国産黒毛和牛の和風ハンバーグがライス付きでお一つ……ワ、ワカメサラダがお二つでお間違いないでしょうか」


「はい」


「はい」


 2100+350×2=2800。これで何とか予算内に収まった。いいもん。ワカメは育毛に効果的なんだ。


「あ、そういえばママに連絡した?」


 前垣さんが司くんに、僕らとファミレスに来ていることを親に伝えたのかと尋ねた。僕が彼の所属事務所に電話したのだけど、時間が時間なので誰も出なかった。


「メールは送っときました。ケータイは一応持ってるんで」


 そう言って、司くんはポケットから子ども用の小さなケータイを取り出した。流石にスマホは持ってないらしい。最近は幼稚園児でもスマホを持ってる子はいるが、子役というクリーンなイメージがつきまとう立場にある子に、使い方次第では身を滅ぼしかねないスマホを渡すのは危険だろう。


「司くんは好きな映画とかあるの?」


 前垣さんが、料理が来るまでの無言に耐えかねて司くんに話しかけた。前垣さんが出たラジオ動画がYouTubeにあるから聞いたことあるけど、この人は意外と軽妙なトークスキルがある。


「あんまり見ないですね。自分が出た映画くらいは見たいんですが、ママが僕にはまだ早いって言うんで。でも、ジブリは好きです」


「ジブリ好きなんだ? 僕はハウルが一番好きだな、ポニョとラピュタも好き。知ってる?ラピュタってラストでラピュタが崩れ落ちるシーンで一瞬ムスカ映ってるんだよ」


「へーそうなんですか。今度見た時に探してみます。前垣さんってこの前ママが、あの歳になってもロクに仕事が来ないようなら、とっとと辞めて親に楽させた方が良いとか言ってましたから、やっぱり自由な時間が豊富なんですね」


「……そうだね」


 無垢な司くんの言葉によって深傷を負った前垣さんは、それっきり何も喋らなかった。

 それから間もなくして来たハンバーグに、目を輝かせてぎこちなくナイフを使い、まず最初に溢れた肉汁を吸わせたブロッコリーにパクつく司くんを尻目に、僕らはワカメサラダをゴマだれをバカみたいにぶっかけて食べた。


「それだけで足りるんですか?」


「僕ら今減量中だからね、肉は控えてるんだよ。君は子どもだから気にしなくていいけども」


「ふーん、僕なんか少し太りたいと思ってるんですが」


 前垣さん、今きっとジャンクフード三昧の男がよく言うわとか思ってるんだろうな。と、前垣さんをちらっと見てみると、ドリンクバーからガメてきたティーパックとガムシロップとシュガーをコソコソとリュックにしまっていた。確かに、こんな29歳になりたいかなりたくないかと言われたらそりゃまぁ……。


「椿さんって、彼女とかいるんですか?」


 突然、司くんが僕に恋人の有無を聞いてきた。誰か美人の同級生でも紹介してくれるのかな?


「いや、華やかな見た目の割には意外と遊び歩いてないんだなーって」


 あ、ちょっと見直された。8歳児に。


「女の子が顔で群がってくるのは学生の時までだよ。だいたいの女の子は、顔に踏まえて華やかな学歴と一流企業の名刺、それに伴う収入でついてくるものさ。ま、こんな不安定な世界に身を置く人間に擦り寄ってくるのは、同業者じゃ無い限りはだいたいが金目当てだから気をつけた方がいい」


「アハハ、早い話がモテないんだ」


「……うん」


 司くんは僕の持論をバッサリ言い切った。流石にちょっとムカついたが、司くんが僕らの前で演技を除いて初めて歯を見せて笑ったので、それを少しかわいいと思ってしまった。美少年はずるいなぁ。何を言われても許せる気になってしまう。


「なぁ椿君」


「はい?」


 すると、今まで無言でワカメを啜っていた前垣さんが僕に耳打ちした。なんだ? まさか財布の金が偽札だったとかじゃないだろうな。


「気づいてる?なんか周りから俺らチラチラ見られてるぜ」


「え?」


 本当だ。今振り返ったら真後ろの席の年寄りと目が合ったし、反射的に視線を逸らした先のサラリーマンとも目が合った。


「そういえば「花の盛衰」って一部の映画館にはもうパンフ置いてあるらしいですし、僕らも有名になったんですかね」


「だといいんだけどな。分かんない? 理由は単純さ。椿くんだよ。俺ら小学生の子の髪を染めさせるエゲツない不良とかって思われてるぜ。人によっては椿くん女に見えるし、もしかしたら俺らは夫婦って思われてるかもな」


「あー……なるほど」


 納得した。そういえば普段ずっと派手な衣装を着て、現実離れしたヘアスタイルや髪色をした人が多い空間にいるから感覚が麻痺してきた。こういうの多分職業病だな。


「椿くんってクランクアップするまで髪の毛白髪なんでしょ?クラスメイトに何か言われない?」


「特には……まぁ学校なんて最近はほとんど行ってないですけど」


「やっぱり忙しいんだ」


「まぁ……はい」


 司くんはそう口籠もり、ハンバーグの最後の一切れを口に入れた。まぁ子役なんてそうそういるものじゃないし、この子もからかわれたり色々大変なんだろうな。僕も彼くらいの頃同じ経験をした。


「じゃあ勉強はどうしてるの? ママに教えてもらってるとか?」


「そうなんですが、忙しいからって全然教えてもらえなくて困ってます」


「8×7は?」


「28」


すごい自信ありげな表情で掛け算を間違えるのはギャグとしては完璧だった。


「なるほど重症だね。なら前垣さんに勉強教えてもらいなよ。この人、こう見えて東京英語大に在籍してたから」


 と、言って僕は前垣さんの肩を叩いた。前垣さんはガムシロップを垂らしたお冷やを飲んでいた。


「んーいいよ。舞台の仕事も少ないし、俺は所詮売れない俳優なので、自分の時間たくさんあって暇だから」


 あ、ちょっといじけてる。


「じゃあ、あの……よろしくお願いします」


 司くんはぺこりと頭を下げた。サラサラした髪が垂れ下がり、頭頂のつむじの周りに地毛の茶髪が見えた。


「司くんはちゃんとお礼を言えて偉いねぇ。木暮ちゃんは足踏んでも謝らないどころか、膝蹴りしてくるのに」


「そういえばあの人、なんで腕があんなに傷だらけなのかが分からないんですが、前垣さんは何でか分かりますか?」


 前垣さんは唇をキュッと結んで返事に困る様子を見せた。司くんは僕も肉汁まみれでピカピカ光る唇を舐めながら見つめた。何といえばいいのか……。


「凛太朗!」


 僕がイカ焼きのコスプレとでも言おうか迷っていると、入り口から店員の案内を無視してツカツカと早足で彼の母親が不安げな顔でやってきて、僕らを一瞥したかと思えば、司くんを視界に入れた瞬間にはぎゅっと彼を抱き締めた。


「ごめんねぇお仕事が遅くなって、こんなことなら会社に連れていけば良かったわ。寂しくなかった?」


「ママ大丈夫だよ。前垣さんと椿さんが一緒にいたから」


 司くんはお母さんの頭を撫でて、彼女を慰める。そこで初めてお母さんは僕らの方を向いた。


「お二人にもご迷惑をおかけしまい申し訳ありません、食事までご馳走になってしまうなんて……ここの代金はお支払いしますので。お釣りも結構です。


 そう言うと、皺一つない一万円札を伝票に挟んだ。良かった。これでファミレスの下等なメシなんてウチの子に食わせるなと言ってきたら、自分を抑え切れるか分からなかった。


「ママ、前垣さんが今度僕に勉強教えてくれるって」


「いや、あの司くんは礼儀正しくて、とても頭の良い子なので、わざわざ私なん「あら、そうして頂けると嬉しいですわ。前垣さんは国立大学に入学されていたと聞きますので、算数や歴史の他に英語もこの子に教えて頂けませんか?」


「え、ええ、はい。分かりました……」


 結局、前垣さんはお母さんに押し切られてしまった。陰口叩いたり、本人の前で堂々と難癖に近い文句を言った割に随分と変わり身が早い。考えてみたら司くんと似ている。いや、司くんが似たのか。


「それでは息子はここで失礼します。息子はちょっとぶっきらぼうで口が悪いところもありますが、根は優しい子なのでこれからも俳優業内外に問わず、色々とご教示してあげてください。前垣さんも昼間は役柄を弁えずにきついことを言ってしまい、誠に申し訳ありませんでした」


「ママ、やめてよ」


 と、捲し立てるように色々と息子をよろしくと言ってきたので、近くにいた司くんが気恥ずかしさから彼女に顔を擦り付けた。基本的に前垣さんを向いて言っていたが、俳優業の辺りでは僕を見たので、俳優としては二世俳優の僕の方を見習わせたいという無言のメッセージだろうか。

 それだけ言うと、お母さんは司くんの皿を見て完食していることを確認すると、僕らにお辞儀をし、司くんの手を握って時間を惜しむようにまた早歩きで店から出て行った。店の窓から微かに微笑んで手を振る司くんが見えたので、僕らも小さく手を振り返した。司くんが乗った車はフェラーリだった。

 車が消え、空いた食器を店員が下げようと近づいてくる。その店員に僕と前垣さんは同時に注文した。


「季節のあまおうデラックスパフェをお願いします。ソフトクリームをイチゴ味に変更で」


「欧風シーフードカレー、ライス大盛りで」


「あと、ドリンクバーも2つお願いします」


「ごめんなさい、もう一度お願いします」


 今日分かったこと。子どもは基本的に飼い猫のように遠慮を知らず、そして無垢ゆえに毒舌。僕らは互いにソフトクリームとカレーがついた口を見合わせて笑いながら、それを思い知った。でも、笑った司くん可愛かった。庇護欲が掻き立てられる顔立ちって羨ましいな。

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