役を離れたら小生意気なガキ 3

「気持ち悪い……気持ち悪い……俺のどこが気持ち悪いんだ……?」


 前垣さんは足元もおぼつかずにふらふらと手摺を掴んで、階段を降りて長い廊下を長いため息を吐きながら歩き、また突き当たりの階段を降りていく。

 テレビ局というのは嘘か真か、万一のテロリスト来襲に備えて簡単には占拠できない構造になっているとか。だから、17階建てのビルでありながら、エレベーターは3回乗り換えねば屋上まで行けないようになっている上に、社員証か入館許可証をセンサーにかざさないとエレベーターは殴っても蹴ってもビクともしない。


「はぁ……まぁ後でじっくり悩むか。それより、あの綺麗な女の子がヒロイン役の子か。で、椿君は童貞の癖に彼女との初のベッドシーンに悩んでると。その心情は察するが、歩きながら官能小説を読むのもどうかと思うぞ。しかも何でよりによって団地人妻なんだよ」


「困ったなー。ぶっつけ本番かよ……おまけに原作にはないシーンだから、完全アドリブというのがまた……」


「もっと気楽に考えろよ。グラドルとたとえ演技でも半裸で密着できるなんてラッキーと思えよ。別にロマンポルノに出るわけじゃないんだし。強めに抱きしめてキスするくらいで済むだろ。ほら」


 と言って、前垣さんは自分も傷心なのを隠して、ベンツのボンネットの上に際どいスーパーローライズ・ビキニ姿で満面の笑顔を作って寝っ転がる菊元白奈のグラビアを見せた。


「僕、こういうの生で見たかったから小学生の頃はカメラマンに憧れてました」


「あ、それちょっとわかる。そもそも百聞は一見にしかずというか実技に勝るもんはないし、今からソープでも行ったら? 可憐な椿もやがては枯れて地面に落ちるものよ」


「あら、前垣さんそんなに僕に殺されたかったんだ。すいませんね、あなたの気持ちに気づけなくて」


 僕が毒づくと、前垣さんはチェスターコートのポケットからフエラムネを取り出して、ピューピュー鳴らして誤魔化した。


「おや?」


 その時、何気なく通り過ぎた喫煙所に思いも寄らぬ人がいたので、僕らは下手なムーンウォークで5歩ほど引き返した。


「あれ? 司くんじゃん。ダメっしょ8歳児が喫煙ルームにいたら。ここはヤニカスのサンクチュアリィなんだぞ?」


 既に21時近いというのに、不思議なことに司くんが一人で喫煙所の床に体育座りで、竹の中のかぐや姫みたいに座り込んでいた。


「ここが冷房よく効いてて快適なんです。というか、お2人はまだいたんですか?」


 前垣さんが口を開く。


「俺達は君みたいな学業優先かつ撮影に時間制限がある子どもと違って、台本の読み合いやリハーサルに、衣装の袖通しとか色々あるのさ」


「ふぅん」


「で、君は一人でどうしたの」


 僕が喫煙ルームの雰囲気にムラムラして一服しようと箱を取り出したら、前垣さんに恐ろしい速さで引ったくられた。その動きを見ていた司くんは、俯いてハエの羽音より小さな声で呟いた。


「お母さんが急に仕事ができたから、すぐ戻ってくるからちょっと待っててって……」


「それ、いつ言われたの?」


 前垣さんは排便座りで司くんと目線を合わせる。元はこんな里が知れる座り方はしなかったそうだが、ジェスタフの演技でよくやるので望まぬ形で癖になったらしく、休憩中によくこの姿勢で靴紐を結び直してるのを見る。


「4時間くらい……前? いや、もっと……。誰か来たら出て行って、その人が行ったらまた入って……」


「は?そんな待ってんのか?何時間もずっと喫煙室でママを? 15の頃に志望校でお袋と揉めて家出してマックで一晩明かした俺みたいだな」


「はえー中学生の頃から親泣かしてたんすねぇ」


 僕は司くんの着ている乳白色のネルシャツを後ろに回ってじっと見た。飾り気は無い服だが、モデルとして衣服を見る目は鍛えてるので、これがそこらの家電より値の張る高級ブランドのものだとすぐ分かった。

 すると、司くんのお腹が悲鳴を上げて、司くんは耳を赤く染めて、その気恥ずかしさから膝に額を擦り付けた。美形の子じゃなければ気持ち悪さしか感じない動きだったが、司くんは運良く美形なのですごくかわいかった。

 それを聞いた前垣さんは頬をかいて、悩ましく困った顔を浮かべた。


「おなか空いてんのか。まぁ夕飯食べてないしな。かといって社食はもう閉まってるし。じゃあ、俺達も今から飯食いに行くつもりだったから一緒に行こうか。お兄さんがご馳走したげる」


 前垣さんはそう言って、司くんの柔らかい腕を取って立ち上がらせた。意外にも司くんはそれに素直に応じた。空腹が限界だったのかもしれないし、世界広しと言えど共演者を拉致する俳優がいるわけないので、まぁ奢りならついていってもいいかなと思ったのかもしれない。

 僕もその後についていった。二重の自動ドアをくぐった瞬間、高温多湿の熱風が顔を舐めるようにまとわりつき、衣服が汗で張り付く感触をすぐに感じた。

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