役を離れたら小生意気なガキ 2
「えへへーリウー♡」
「えへへーにぃにー♡」
「カット!」
首に濡れタオルを巻いたベリーショートの女性アシスタントがメガホンを振り下ろし、カットと叫んだ瞬間、ベッドで前垣さんとじゃれ合っていたリウ役の司くんが、まるで逃がされたバッタのような速さで前垣さんを振り払って飛び跳ね、セットの外で見守っていた母親に飛びついた。
他人の僕から見ても、前垣さんの心に深刻なダメージが入ったのが分かった。僕は二人の横で寝ていたので、ちょっとだけ目が潤んでいる前垣さんを気にして肩を叩いた。
「前垣さん、これ撮影ですから。前垣さん前にキャバクラは夢を見る場所だから、チヤホヤされても本気にするなって言ってましたよね? それと同じだと思ってくださいよ」
「いや……それは分かってるんだけどさ。あの子の顔を見る度に結婚願望がムラムラと湧き上がってくる辛さに耐えきれない」
「かわいいですよね……司くん」
僕は母親から頭を撫でられる司くんをぼんやり眺め、立ち上がって受け取った私服を羽織った。撮影用のキングサイズベッドは今まで多くの演者が寝転んだからか、見た目は綺麗だが、潔癖症ではないけど僕としてはあまり長時間寝転びたいものじゃない。
前垣さんは早々と立ち上がって、カメラの後ろに置かれたテーブルから、持参した水筒を取って中身を飲んでいた。確か中身はただの水だ。アメリカだと、スタッフや出演者用の軽食がスタジオの中央に並べられてたりするらしいが、そんな気の利いたものが質素倹約を美徳とする日本にあるはずもない。
「さてと……」
セットの掃除が始まったので、僕がそそくさと前垣さんの方に向かうと、前垣さんは何故か司くんのお母さんと話していたので、僕は何となく司くんを目で探して、近づいた。
「よう司くん、お疲れ様」
「……」
司くんは、明らかに僕と目が合ったが無視した。いや、真後ろの誰かを見たのかもしれない。もう一度。
「やぁ司ちゃん、お疲れー」
「無視されたって分からないんですか?僕忙しいので」
「……そうかぁ」
おっと危ない危ない。2秒くらいコイツ膝蹴りしやすそうな身長だなと思ってしまった。
司凜太朗くん、8歳。生命保険会社や牛丼チェーンのコマーシャルなどに出演したことがあり、少なくとも大河ドラマの端役が今までで一番良い役だった前垣さんよりかは遥かに知名度のある子役だ。僕もコマーシャルはまだナレーションでしか出たことないから、顔だけなら僕よりも知られてるかも。
「おっと辛辣だなー。ダメだぞ大人にはちゃんと敬語使わなきゃ」
「じゃあ、どうぞお失せください?」
「……失礼しますでいいんじゃないかな」
司くん演じるリウの役は、このグロテスクを極めた作風の中では、戦場に咲く一輪の花のように無垢で天真爛漫な性格をしているのだが、司くん自身はこの通り、クソ生意気で人の神経を逆撫でするのが天才的にうまい。
僕はお前がガキの頃に出たオムツのコマーシャルを見たから、既にお前のケツがどんなか知ってるんだが?
まぁこんな図太い性格だから、R15指定映画の出演もOKしたのかもしれない。僕がそう考えていると、いつのまにか司くんは僕の目の前から消えていた。
それと同時に、前垣さんが親の死に目に会えなかった時のような憂いを帯びた顔つきで僕の肩を叩いた。
「ど、どうなされた前垣氏」
「今、司くんのママからさぁ……撮影にかこつけて、あんまりウチの息子に抱きついたりベタベタ触るなって怒られたんだわ。あのババア、人を性犯罪者みたいによぉ。俺を夢追い人のプー太郎みたいな目で見やがって」
と、不機嫌そうにシャドウボクシングを始めた。この人は傷つくと自分で傷を広げるタイプのメンヘラだから、僕も発言に気をつけてるのひどいなぁ。
「部外者が役者の演技に口挟むなって、次会ったら言ってやればいいんじゃないですか」
「そうしてやりたいのは山々だが、アレは芸能プロダクションの社長だからな。若輩者の俺が口答えして、劇団に苦情が入ったら事だ。まぁ大物になった時に蒸し返して言ってやるさ」
なるほど。親がこの業界で顔が利くという意味で僕と司くんは似た者同士なのかもしれない。まぁ、僕は小さい頃はあんな高飛車じゃなかったけどな。
次の撮影に備えた木暮さんが衣装に身を包んで僕の横を通った時、前垣さんが木暮さんの長い髪に触れた。
「やぁ、相変わらず綺麗な髪だね」
「やだ触らないで気持ち悪い!!」
「……ぴえん」
木暮さんのガチ罵声が前垣さんを傷つけた。
「おーい、椿くーん!」
ふと、ディレクターが大声で僕を探していたので、僕は何か小言を指摘されないかと不安になりつつ声の出所へと向かった。あのディレクターは怒鳴ることはないが、細かいことをクドクド指摘してくるから苦手だ。
「何でしょう?」
立派な顎髭を蓄えたディレクターの元へ僕は寄った。そこまで髭を伸ばすには、無精髭を疑われて出勤しにくい日もあっただろうに。缶コーヒーを持ったディレクターの腕の横には、見慣れないかわいい女の子がいた。誰だろう。
「遅くなって悪かったが、彼女が菊元白奈さん。厳正な審査を経て、メインヒロインのトルスタ役を演じることになった」
「菊元です。普段はグラビアアイドルの仕事をやっているのですが、この度「花の盛衰」に参加させて頂けることになりました。椿さんのお噂はかねがね。あの金村さんのご子息ですよね」
菊元さんという方はそう言って僕の手を取って指を滑り込ませ、強引に握手をした。指先の冷たさと、ラベンダーか何かの香水が薄く香り、自然と顔が熱くなった。
ノースリーブのブラウスとチノパンというラフな格好だけど、濡れたような長い茶髪をピンクのシュシュでまとめたポニーテールのヘアスタイルに、こんなに近くで見ても毛穴が見えない白い肌が眩しい。
僕も主役として気圧されぬよう、彼女の瞳を覗き込んだがべっこう飴のような綺麗な小金色の瞳に思わず視線を下に下げると、ブラウスの胸元から覗く豊満な胸の谷間が視界に入り、思わず生唾を飲み下した。
この仕事をしてると、やはり容姿に恵まれた人は前垣さんとか性別に関係なく見るが、同年代の女子でこれほどの端正な顔の美少女を生で見たのは初めてだった。
いいなー。こんな女の子と付き合えたら毎日がバラ色だろうな……。
「菊と椿のコンビで頑張ってくれよ。じゃあ二人とも、明日急だけどベッドシーン先に撮るから」
「ふえっ!?」
あまりに唐突にして予想だにしなかった言葉に、女みたいな甲高い声が出た。
「彼女は君と違って、イメージビデオを除いたら映像作品は初めてだから、優しくしてやってな」
「やだディレクターさん優しくだなんて……よろしくお願いします。椿さん、私のことは気安く白奈って呼んでください」
そう言って、白奈さんは僕の腕に抱きつき、剥き出しの二の腕と胸を押し付けて甘えてきた。その感触の心地よさに絆されて、うまく弁解ができないまま、ディレクターはさっさと去ってしまった。
困った……。僕、今までの人生で女の子と遊んだことも寝たこともない……。見せかけとはいえ、こんな巨乳の美少女をいきなり抱けるのか……?
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