両刀の薙刀使い

 前垣義尋が家主の許可も取らずに作った合鍵を使って家の中に入ると、靴はちゃんと揃えてあるのに、リュックは廊下のど真ん中で威張るように立てて置いてあった。


「ただいまー」


 義尋は自分の革靴を脱いで、きちんと消臭剤をかけて揃えると、リュックを掴んでリビングにのっそりと入った。持ち上げて思ったが、何が入ってるか知らないがやたら重い。

 先に帰ると椿からはLINEが来たが、ただいまと言っても返事が返ってこないので、どこかで女と遊んでるのかと思ったが、見るとコタツに足だけ入れて彼は寝ていた。

 寝間着のジャージに着替えているが、脱ぎ散らかした衣服はリビングの至る所にリアス海岸のように散乱している。


「はぁ……」


 義尋は嘆息して衣服を掴み、とりあえずダウンジャケットをハンガーにかけてドアノブに吊るし、他は洗濯機に投げ込んだ。

 この椿という男、派手な見てくれの割には私生活はとにかくだらしない。第一に7月になってまだコタツを出したままというのは、もはや寒気すら感じる。

 初めてこの家の敷居を跨いだのは、家にクモが出たから退治してほしいという彼の電話からだった。ウマがあってスタジオでよく談笑するし、一緒にスーパー銭湯に行ったこともあったから、自分なら上げていいだろうということだったらしい。

 それで呼ばれて家に入って見たら驚いた。ゴミ屋敷そのものだった。カップ麺や牛丼の入れ物がおびただしく積み重なってピサの斜塔のようになり、ゴミ箱は溢れかえってパンパンに膨れたゴミ袋がそこら中に散乱している。おかげで小さなクモの退治より、掃除の方が遥かに大変だった。

 おまけにひどい偏食家で、飽きもせず毎日外食と牛丼、カップ麺、カレー、ハンバーガー、ケバブのルーティンを繰り返していた。見かねて、自炊経験を生かして食事を作ってやり、その後路頭に迷いかけてよく泊めてもらった結果、相互扶助の関係で今に至る。

 どの道、そう遠くない内に出ていくつもりなので、暇ができたら料理を教えてやりたいと思っている。


「おい、椿っち」


 義尋は椿の頭の側で屈んで、軽く頬を叩いて呼びかけた。すると、


「んっ……ぐぅ」


 妙に色っぽいこもった声を漏らした。そういえば、義尋はあまり意識してないが、椿は主演にわざわざスカウトされるだけあって、色眼鏡抜きに見ても街中では滅多に出会いないくらいには美男子だった。透き通るような白い肌に、扇情的な赤い唇が艶めかしい。義尋は口からハーブの香りがしそうとさえ思った。

 そして彼は、その上の丸っこい鼻と濡れた唇を両手でつまんで押さえると、頭の中で時間を数えた。1、2、3……。


「ぐぶはッ!!」


「うげぇッ!?」


 36秒で椿は、目玉が飛び出んばかりに瞼を見開いて飛び起きた。動転して義尋の顎に掌底を繰り出して。


 *****


 30分後。


「おー痛え。前歯から血出たぞ。俳優の顔を殴るなんて分かるこの罪の重さ?」


「いや普通に揺さぶって起こせばいいのに、変な起こし方したそちらさんの落ち度ですよね?反省して。悔い改めて」


「反省?反省とは自戒のためにするもの、誰かに強要されてするものではないな」


「あ、今のジェスタフっぽい」


 2人はボロネーゼをフォークに絡めて食べながら、悪気無き嫌味をぶつけ合っていた。義尋は普通にフォークのみで食べていたが、椿は左手に持ったスプーンでパスタを持ち上げてからフォークに巻いて食べるので、これが本式なのかと何となく真似をした。


「パスタ好きだったのか?」


 義尋はカップ酒を飲みながら尋ねる。


「猫舌なんで、ラーメンやうどんが食べにくいからパスタが麺料理で一番好きですかね」


「なるほど。言ってくれたらよく作ったのに。それはそうとゆで卵をこっそり俺の皿に移すな、ちゃんと食べなさい。」


「僕、昔から固まった卵の白身が嫌いなんですわ。そもそも白身ってヒヨコになる黄身を衝撃から守るシールドみたいなもんですよね? 本来食べるべきところじゃないんですよ。人間で言うなら胎盤食べるようなもんだと僕は思ってます」


 と、椿は理解できるようなできないような持論を展開した。ただ義尋は気持ち悪い比喩に自分もゆで卵を食う気が失せ、2つのゆで卵をテーブルの端に置いた。

「それ言ったら君が好きな鶏皮の焼き鳥も臓器を守るシールドだから食えないのでは……?」と内心思ったが、余計食欲が無くなりそうなのであえて黙った。

 椿は残ったソースをスプーンでかきこみながら口を膨らましてリュックを手繰り寄せて、中から異様に長く黒光りする懐中電灯を取り出した。


「何それ」


「マグライトっていうアメリカではポピュラーな警棒型懐中電灯です。ジュラルミン製で丈夫だからレンガを砕いても傷一つつかないらしいですよ」


「なんでそんな物騒なもん持ち歩いてんだよ」


 重い理由はそんな護身武器が入ってたからかと義尋は納得した。いるよなー非力なもやしでカッターやドライバー持ち歩くヤツ。


「いずれ来る大地震に備えて、色々対策をしてるんですよ。ほら、鯖缶や豆缶や乾パンも入ってる。あとは発煙筒と断熱シートと十得ナイフ、寝袋も」


「すごいなぁ。防災対策バッチリではないか。ただそのライトはともかく、ナイフは職質されたら厄介だから自宅警備用にした方がいい」


 の後に、整理整頓すらできないヤツが何一丁前に使いこなせもしないサバイバルグッズ集めてんだ? と言いたかったが、言ったらガチで追い出されそうだから何とか抑えた。居候の身である以上、言葉には気をつけなくてはならない。

 しかし、一つだけどうしても言いたいことがあった。


「寝袋貸せよ」


「は?」


「いやその寝袋俺が使えば、わざわざベッドで口臭嗅ぎあって寝ることもないじゃん」


「……あぁ〜!」


 椿は義尋の意図を理解して、何度も首が座ってない赤ん坊のように激しく頷いた。

 何でそんなものを持っていたのに俺に与えるという発想がないのか。自分のベッドを使わせる辺り、狭量ではないはずなのに少し抜けているところがある。考えてみたら、こういう隙のある男の方が、もしかしたら母性を刺激して女にモテるのかもしれない。

 義尋は寝袋を袋から出して広げる椿の邪気の無い笑顔を見て、何となくもし自分に弟がいたらこんな感じなのかなと思った。

 ちなみに、どうでもいいが義尋は顔がかわいかったら性別は問わないタイプであるが、椿はあまり好みの顔立ちではない。

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