キラキラネームはつけない

 ジェスタフによって撃たれて、首の出血のために自我を忘れて床で暴れ回る敵の若い兵士に背を向け、撃ち尽くしたエンフィールドを縦に折って排莢すると、ポケットから予備のスピードローダーを取って空のシリンダーに装填し、ローダーを捨てる手でダメ押しと言わんばかりに真後ろに手榴弾を放り投げた。


「うっ」


 敵兵の股の間に転がる球体の破片手榴弾が視界に入った時、彼は止血する首の手を離してぐったりと寝転び、目を閉じて己の運命を受け入れた。


「バッハハーイ♪」


 廊下の角に曲がりざま、ジェスタフは軽く手を振って兵士に人差し指でキスを投げると、リボルバーを脇のホルスターに押し込んで先に進んで行った。同時に背後で爆炎が巻き上がり、窓ガラスの弾けて割れる音を耳にジェスタフは焼き付く熱風をうなじに感じた。


「アリーフのヤツ、あれほど怠けるなと言ったのに」


 そうして、ダッフルコートの裏地に縫い付けた鞘から刀剣を抜き取った。

 そうして、騒ぎを聞きつけて間近の階段から現れた敵の増援を見据えると、彼らが発砲するより先に剣を振り投げて真正面の敵の胸を貫き、素早く階段を上って剣を引き抜くと、次の者らは首を刎ね、腕を切り落として胸ぐらを掴み、手すりから真下へ放り捨てた。


「楽に死なせてやるのも骨が折れる……な!」


 そう漏らすと、刃の付け根の金の装飾部を掴んで柄を引き延ばして薙刀に変えた。

 そして、更にまた一人の頭を叩き割って一太刀に斬り伏せ、右手で柄の中程辺りを握り締めて何度か振り回すと、ジェスタフは頭を下げて薙刀を背筋に乗せ、前後の敵兵を切り刻んで見事打ち倒した。


「ケッ、距離さえ詰めれば俺はそこそこ強いのさ」


 ***


「カット!!」


 監督の一言で、嫌味ったらしいニヤケ面を顔に貼り付けていた前垣さんは、ほっといつもの穏やかな顔になった。

 セットの真上で飛行していたドローンが操縦士の手に戻り、兵士役の俳優が起き上がる。CG編集で今の前垣さんの殺陣はグロテスクなものに変異するが、撮影を横から見てる分には、斬られた瞬間に衣装の裏にある、センサーがついた袋に入った血糊が噴き出すだけだ。

 精巧な模造刀とはいえ、当たったら打撲、下手したら骨折をするので、前垣さんは器用に寸止めで済ましているが、別に思いっきり殴りつけても監督は気にしないだろう。何なら、真剣でやったらむしろ泣いて喜ぶかもしれない。


「どうでしたか? リハーサルよりも上手くできたと思いますが」


 前垣さんが近寄ってきた監督に、照りつけるスポットライトの暑さで流れた汗を拭い、薙刀を肩に背負って撮影の出来を多少居丈高に問う。

 長髪をスプレーでまだらに染め、濃紺のスーツに焦茶のワイシャツを着て、ネクタイは漆黒という何となく筋者のような格好で薙刀を背負った姿は、昨日同じ湯船に詰め込むようにして浸り、毛布を共用して寝た僕の目にもちょっとだけ恐ろしく映った。


「中々いいと思う。ただ、次からはやられ役に防刃チョッキ着せるから、本気で殺すつもりでやってくれ。君前科とか無いよね? 初犯で過失なら2人までならまぁ……うん」


「は!?」


 また訳のわからないことを言われている。僕はさっき今日の分を撮影を珍しくつつがなく終えたが、まだ打ち合わせやリハーサルが残っているから帰れない。だが、少し時間が空いてしまったので、別のスタジオを回って時間潰して待っているところだ。

 僕がスタジオを後にして、ドアの前で振り返ると、前垣さんはまだ薙刀を我が子のように抱えて、カメラマンの横で機材に備え付いた小さな液晶から、僕に気付かずに自分の今さっきの演技を口をつぐんで眺めていた。


「椿くーん」


 すると、背後から細く冷たい白い腕が僕のうなじに絡みつく。それと共に、ねっとりと喉にこびりつくように濃い煙草の臭いが、鼻腔に押し入ってきた。


「何ですか?」


 僕の首を抱き締める腕を掴み、僅かな力で解くと、髪をかきあげて耳の裏にかけながら振り返った。


「今日も色っぽい顔してるわねー肌から甘い香りもするし……グヘヘ」


 そう言って、彼女は口から垂れたよだれを拭いながら、僕を顔、股、足、股、顔、股の順番で愛撫するように凝視する。ちんちん何回見る気だ。

 彼女は腰まで届く長い黒髪をシュシュで結んで肩にかけ、下は脚の形をくっきり出すジーンズ。上はブルーのワイシャツにクリーム色のセーターを着込み、講堂で学術書でも読んでそうな、一昔前の大学生みたいな服装をしている。


 木暮華妖精さん。25歳。


 主人公らの武装勢力に加わった敵国の極秘研究所の元研究者で、敵の主力兵器完成に伴い、口封じに消されかけ、祖国に愛想を尽かしてアリーフ側についた唯一の女性キャラ。ミローネ・レーゼというキャラクターを演じている。

 映画の設定に置いては僕、アリーフは20歳で木暮さんのレーゼは29歳で9歳差だが、現実では一つしか変わらない。

 正直、僕はこの人は嫌いとまでは行かないがかなり苦手なタイプだ。毎回毎回べたべた触ってくるし、このスタジオがあるテレビ局の地下食堂で飯を食ってると、秒速で見つけて隣に座ってくるし、一度など後ろから尻を触られた。

 何回か本気で怒りかけたが、あまり波風立てるとまた親父に迷惑をかけそうだし、度が過ぎてるとまでも行かない微妙なラインなので、仕方なく放ったらかしにすることに甘んじている。

 ヒロイン枠の一人に選ばれただけあって、和風美人タイプで僕の好みじゃないけどそれなりに美人だが、涙袋が大きく、そして常に泣き腫らしたように眼輪筋には赤みが差しており、何となく性格が顔に出ている気がする。

 木暮さんは明るく振る舞うが、その裏はかなり重い性格だ。そして驚くべきことに、レーゼもだいたい同じようなキャラクターだったりする。レーゼもまた同じようにアリーフにべたべた触ってくるし、この前はアドリブでほっぺたをざらりと舐めてきた。

 それと僕も最近知ったのだが、この人の華妖精という名前、芸名でなく本名らしく、耳を疑うけど「ティンカーベル」と読むらしい。フルネームにして、こぐれ・ティンカーベル。芸人か? 僕の実家は南青山だけど、木暮さんのはネバーランドにあるのか。

 この事実を知って以来、僕は将来子どもを持つようになっても、絶対マタニティ・ハイなんかに囚われず、荘厳にして単純明快な名を付けようと堅く心に誓った。

 もし僕が親にラフレシアとかマンドラゴラとか名付けられていたと思うと、心底ほっとする。仮につけられたら物心つくと同時に、線路に身投げしていた。


「どうかしたの?」


 木暮さんが僕の両肩を叩いて顔を覗き込む。


「何ともないですよ、木暮さんが急に抱き締めて来るから驚いただけで」


 そう言って、僕は冷や汗をかきながら笑顔を作った。この感じ、ちょっと前に越谷レイクタウンで、いきなり知らないおばさん2人に宗教の勧誘をされて、あわあわ立ち往生した時と似ている。


「ふーん、ところでこんなところで何してるの?」


「前垣さんの様子を見に来たんですよ」


「前垣? アイツ嫌い、ケチくさいもん。この前もスタッフの方が差し入れた煎餅、こっそりポッケに詰め込んでたし」


 そう言えば、前垣さん、今日の朝部屋を出る前に、ニュース見ながらジャム塗った南部煎餅ガリガリかじってたな。万年赤貧の前垣さんらしい。


「まぁアレで役にはストイックな人ですよ、毎日喉を痛めないようマスクして寝てますし、よく漫画を音読して発声練習や演技の練習をしてますし」


「え? 何でアイツの寝姿なんて知ってるの?」


 しまった。口を滑らせた。


「あ……いや、終電を逃して前垣さん家に泊めて頂いた時に、本人からそう聞いたんですよ」


「ふーん、言ってくれたら私の家泊めてあげたのに、どうせやっすい木造アパートでしょ?私の家は賃貸マンションだからまだ快適よ」


 よし。うまく切り抜けた。まぁ前垣さんは僕に捨てられたら、ネカフェ難民になるけどな。

 どうでもいいけど、僕に家賃として毎日夕飯を作り、炊事洗濯をするという契約で仕方ないから当面の間住まわせると、今さっきLINE上で締結した。


「まぁ女性の家に厄介にされるわけにはいかないので」


「あら意外と紳士なのね」


 そう言うと、木暮さんはそう言って僕の頭を撫でる。人に頭を撫でられたのは15年振りくらいだ。

 童顔で女みたいな顔をしてるからか、よく異性からは子ども扱いされるが、木暮さんは一歩間違えたら性犯罪者になりかねないから、監視という意味でも注意しなければ。全くこの人のせいで、好きなヘソ出しファッションでのスタジオ入りができなくなった。

 ふと、袖から覗く、彼女の細い手首に視線が吸い寄せられた。見ると、ミミズ腫れとは似て非なる、リスカの生々しい痕があった。道理で6月なのに長袖を着てるわけだ。

 僕は年上だからという理由で、一応敬語を使っているが、不可解なことにこの人、ネットでいくら調べても、この映画を除いて関連情報が一つもヒットしない。つまり、以前までの経歴が一切不明なのだ。

 宗教家とか占い師みたいな、スピリチュアル系のきな臭い仕事をやってる人なら、過去が謎に包まれてるのも理解できるが、女優でこういうのは聞いたことがない。役者の卵でも所属事務所くらいはヒットする。

 いったい監督は、こんな素性も得体も知れない淀んだ女を、どこの藪から拾ってきたんだろうか。

 慣れた様子で台詞を読むし、演技に対する所作にも心得があって、前垣さんみたいな嫌ってる演者達にも、人の目があるところでは敬意を払うのでスタジオ入りにも場慣れしている。多分、素人じゃ無さそうだ。


「それじゃ、私はこれから他の演者達と撮影だから、また後でね」


「させるか」


 そう言うと、唇を窄めて僕にキスをかまそうとしてきたので素早く後退った。すると、木暮さんが再び迫ってきた。僕がもう一度後退ると、懲りずにまだチューしようとしてきたので避けて、これを3回ほど繰り返すと、やっと観念して、手を振って唇を尖らせて横の更衣室に入っていった。


「まったく……」


 僕はため息をつき、スマホをいじりながら誰もいない、竹の中のかぐや姫の気持ちになれるくらい小さな喫煙室に入って一服していると、同じフロア内の別のスタジオで撮影をしている俳優がやってきた。

 水曜日の10時から放送してる、チャラチャラした女子大生と世間知らずなイケメン教師の、例えるならフルーツポンチにジャムとハチミツと練乳を、それぞれ500mlずつブチ込んだくらい甘ったるそうな、恋愛ドラマの主演俳優の岸景介(きし かげすけ)だ。


「すまん、ライター楽屋に忘れたわ。火貸してくれ。あー・・・・・・春菊?」


「椿だ」


 そう言って、火を貸せという癖に唇に挟んだ煙草を僕の鼻っ面に突き出した。いくらなんでも、椿をそんな鍋に入れたら美味しい野菜と間違えるだろうか? というか落語家にいそうだ。椿亭春菊。多分わざとだな。

 僕は嫌々ながらも、酔狂で足を運んだこの辺りのスナックのマッチで、奴の煙草に火をつけた。オイルライターはコットンの交換が手間だし、百円ライターは長い目で見たらコスパが悪いので、僕の中ではマッチが一番いい。


「俺、昨日も今日も撮影で叫び散らしてるから喉が痛くてたまらん」


「ああ、僕は怒鳴り散らされる側だな」


 それで会話は終わった。会話が続かない。

 岸は僕と違って、渋谷や原宿でスカウトされたタイプで親は有象無象のリーマンだが、人に取り入るのがうまくて政治力に長け、今では所属事務所一の稼ぎ頭だ。

 境遇は悔しいが僕の方が上だろうが、知名度ではあっちの方が上だ。ルックスはまぁ・・・・・・僕の判定勝ちかな。僕の方が背は高いし。イケボだし。


「お前、初の映画で主演だろ? すごいな、流石に親が偉大だと楽にデカい仕事が回ってきて羨ましいな。俺のこと金村さんに紹介してくれよ」


「いいや? ほとんどの映画館じゃ上映拒むようなR15指定のエログロ映画だよ。僕は今度親父に、君の独壇場であるとりあえず背後からハグかキスして、耳元で囁くだけの役を回してほしいって言うつもり」


「ブハハハハハハハ」


「ウフッ、ウフフフフフフ」


 僕らはそう言って互いに笑い合うと、同時に煙草の煙を顔面にぶっかけた。こっちの方が安い煙草だから臭いはキツいはずだ。


「そろそろ行くわ、じゃあエログロ映画の撮影頑張ってな」


 岸はそう捨て台詞を吐き、吸い殻を捨てて出て行った。喫煙室から見えなくなった時にヤツの咳き込む声がした。

 ざまぁみろだ。僕だって虎の威を借りずに頑張ってんだよ。僕はそう思いながら喫煙室を去った。

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