二世俳優と泡沫俳優 2

「椿君、俺何度も言ってるだろ? ファストフードばっか食うなって。俺らは身体が何よりの資本なんだし、第一に自炊の方が安上がり。この世界は途切れなく仕事が入ってくるような超人気者はほんの一握りなんだからよ」


 そう言いながら、前垣さんは鍋から小皿に取り分けた湯豆腐とえのきとネギに、一味唐辛子をふりかけて僕に渡した。


「僕が作れる飯は、揚げ物除いたら具なしの焼きそばとスクランブルエッグくらいですよ。後は豆苗栽培」


「絶望的だな、豆苗に至っては料理ですらない」


 インターホンを鳴らして入って来たのは、近くのスーパーで買った食材が詰まった大きなエコバッグを抱えた前垣さんだった。

 前垣さんは僕の部屋に押し入るなり、コタツの上の牛丼を見て顔をしかめ、慣れた手つきで買ってきた豆腐と野菜を切って、さっと湯豆腐鍋を作ってくれた。

 僕は湯豆腐が冷めるのを待ちつつ、力なくくたびれているえのきを頬張った。昆布のダシがよくきいていて、噛むとえのきの旨味とダシが渾然一体となって美味。


 前垣義輝、本名は前垣義尋さん。29歳。


 元は京都の太秦で時代劇を主に活動するバイプレイヤーだったが、数年前に中堅クラスの劇団の舞台俳優に転身し、紋付袴や白いスーツの似合う長身で、男らしい富士額のクールな顔立ちが演劇ファンの間で評判になり「花の盛衰」のメインキャラクター。アンドレイ・ジェスタフ役に抜擢された。

 ジェスタフは僕が演じるアンドレイ・アリーフの兄役で、他人に対しては殺人、拷問もいとわない残忍な卑劣漢である一方、家族愛は多分に持ち合わせた何とも不均衡なキャラだ。

 ジェスタフは薙刀を操るキャラだが、時代劇の本場太秦で鍛えられ、また所属する劇団「マシュマロボックス」は幕末期を舞台にした演劇が多いこともあって、素人目に見ても中々こなれた殺陣を披露する。

 本人から聞いた話では、高校では薙刀部だったらしい。

 そういえば、説明をまだしていなかったけど「花の盛衰」は、僕も詳しくは知らないが、自分らの国を追われた軍人の主人公達が、過激派組織に転身して非合法活動に身を投じながら、国土奪還を掲げて奮闘していくという話だ。

 僕が主演を務めるアンドレイ・アリーフは、親の愛を受けず、荒んだ幼少期を送りながらも軍隊に拾われて武芸を積み、テロリストになってからもその尖兵を務める、何というかよく躾けられた番犬みたいな役だ。ただし、育ちは不幸でも根は真っ当な善人らしく、子ども殺しを忌避したり、社会的弱者に手を差し伸べるような優しさもあるという。

 僕はただ与えられた役柄を精一杯演じるだけだが、個人的に言うならば残虐な癖して、なよなよした甘さも捨てきれないのが、台本を読み込んでいてもどかしい。美男子という設定のキャラで僕が選ばれたのはちょっぴり嬉しいけど。


「何で野菜ばっかで肉買ってないんすか?」


 前垣さんはポン酢に浸した大きな白菜を噛み切って二つにして、一度に頬張りながら早口で答えた。


「あの業務スーパー遅くに行ったから、割引シール貼られてんの売り切れてたからな、やっぱ18時前には行かなきゃダメだわ。駅のとこは全体的に割高だしよ」


「僕よりここらのスーパーに詳しいですね」


 一緒に鍋をつつき合いながら、温くなった湯豆腐をネギと共にやっと口に入れ、えのきの切れ端を箸で集めていると、前垣さんが僕の食べかけの牛丼を鍋にブチ込み、生卵を割って菜箸でかき混ぜて雑炊を作り始めた。


「そういえば、演劇の方は今もやってるんですか?」


「ああ、もっとも最近は公演数が減ってきた。正直、演劇も娯楽が溢れた今は落ち目だからな。歌舞伎や能みたいな伝統日本文化は国が残そうと手ェ尽くすだろうが、普通の劇団となるとただの一企業に過ぎないし」


「世知辛いですね」


「ああ、だからちゃんと俺を立てて出世させてくれよ? そうでなきゃわざわざ好きだった産寧坂を捨て、京都からわざわざここまで来た意味がない」


 そう言って雑炊を一口食べて味見をし、薄かったのか醤油を少し垂らしてから茶碗によそって僕に渡した。


「ところで今日も泊まってくんですか?」


「うん」


 前垣さんは淡白にそう答えた。


「板倉さんから埼玉生まれ埼玉育ちって伺いましたよ?」


 僕がそう言った時、前垣さんがお玉を鍋に立てかけて、胡座を崩して右膝を立てて、レジ袋を手繰り寄せてなけなしの金で買ったカップ酒を取り出し、ぐいとあおった。


「椿君は、俺のウィキペディア読んだことあるか?」


「いや、自分のもあんまりないですね」


 エゴサしてもまだそれほど僕に関する情報は出てこない。それにだいたいが自分が金村憲寿の息子という旨を記す記事があるだけだ。


「ちょっと見てみ?」


 僕は言われるがままにコタツの上のスマホを取ってタップする。


「前垣義輝ってググったら先にたい焼きの画像出てきましたよ?」


「あ?多分、神保町にある俺がよくいく店だな。数少ない俺のサインが中に貼ってある店。でも俺の顔より先にたい焼きの画像出てくんのか……」


 たい焼きに敗北した男という言葉が口の前歯の裏まで出てきたが、少し失礼かと思って口には出さなかった。

 前垣さんの記事はスナック菓子の原材料説明欄の方が明らかに長いくらい短かった。略歴に趣味と経歴が少し書かれ、出演欄に脇役で出たドラマと役名が載っている。

 一見無名俳優の形だけの中身がない、薄っぺらくて物悲しい記事と思ったが、一つ僕はある記述に目が止まった。


「前垣さん、三橋大学中退してるんすね」


 偏差値も高いが学費も高いと評判の、都内有数の一流大学だ。すると、前垣さんは雑炊を啜りながら初めて僕に身の上話をした。


「俺の家、代々弁護士の家系で、俺も高校生の頃まではそのつもりで生きてたんだ……。だが、記念受験で行った京大の試験の後に京都を観光して回った時に見た、太秦映画村の殺陣が人生を変えたんだ」


「ビビッと来たんですか」


「そう、その時の手に握り締めた刀を引き抜き、鞘を投げ捨て、声の一つも出さず鬼気迫る容貌で鍔迫り合い姿には全く脳が痺れた。今でも昨日みたいに思い出せる。その時に巻き起こった砂煙にすら憧れた」


 前垣さんは、うっとりした表情で天井の照明を見つめる。

 そう言えば前垣さんスマホの待ち受け、スターウォーズのダース・モールだったな。やっぱり斬り合いみたいなのが本質的に好きなんだな。


「それで、帰ってきた後に一応大学は通ったが、やはりあの時の光景が忘れられなくて、親に黙って西映のオーディションを受けて、合格したら即大学やめた、多分一年の夏休み中にやめたな」


「すごいですね、西映のオーディションを一発合格なんて、親父なんかキャリアを応募すれば出してもらえる、低俗なロマンポルノ俳優から始めたのに」


 僕がそういってコーラを飲んだ時、ふと前垣さんの顔が曇った。早い話、目が活け造りにされたが、箸をつけられず干からびた魚みたいになった。


「そこまでは良かったが、いくら技術を学んでも仕事は驚くほど来ないし、来たとしても背景でいつのまにか斬られてる攘夷志士とか町民みたいな脇役ですらない、エキストラでも務まりそうな役ばかりでロクに食ってけない。だから、夜中ファミレスでバイトしてたんだが、俳優としてのギャラの3倍のバイト代が入った時の通帳を見た時、俺は人目も憚らずに何のために家出して京都くんだりまで来たのかって泣いたわ」


 前垣さんがカップ酒を砕き割らんばかりに強く握る。やれやれと僕は思った。この人は酒を飲むと嫌なことを忘れるタイプではなく、むしろ真逆の嫌なことを思い出すタイプらしい。しかも、脚色を加えて思い出すからクッソ面倒臭い。


「親に頭下げて、実家に帰ろうとか考えなかったんですか?」


「俺、家出の際に軍資金として家の金持ち出したんだわ、あと、何か懐柔に使えないかと親父のワインセラーから何本か盗んだ」


「マジすか……」


 意外とこの人も中々の腐れ外道だな。


「こんなんで家帰ったところで俺に居場所はないに違いない。実は俺、東京でまだアパート借りてないんだ。椿君を始めとする俳優仲間や高校の友達の家を転々としてるんだ……親戚には頼れないし」


「……」


「最近、姉貴と久しぶりに連絡取ったら、俺の部屋は親父の書斎にされてて、俺の持ち物はみんな売っぱらったって聞いた。それでATMに行ったら20万入金されてて、それが手切れ金なんじゃないかって言われたよ。最近は馴染みにも、やんわりといい加減にしろって言われて泊めてくれないし、椿君に断られたらいよいよ上野公園が俺の拠点になるのかな……。俺の人生こんなはずじゃ……」


 そう言えばメンヘラって自分のことしか考えないから、延々とグダグダ喋り続けるって聞いたな、そうかこの人メンヘラなのか。確かに親に迷惑かけたのに反省してそうにないし。僕は妙に納得した。

 僕が雑炊をおかわりしようとした時、前垣さんが僕の手を掴んだ。


「だから頼むよ椿君、「花の盛衰」がヒットしたら、僕もやっと陽の目を見れるかもしれない、コマーシャルやバラエティの仕事だって来るかもしれない! 僕も精一杯の演技をするが、肝心なところは主人公の君にかかってるんだからな?」


 お前他力本願かよ……。


「わかってますよ、前垣さんを売れっ子にしてタワマンに住ませてやりますよ」


「ありがとう……君ほんといい子……うっ、ううう……」


 前垣さんは僕の言葉に感激して、飲んだ酒を涙に変えて机に突っ伏した。これが美少女美少年だったら愛しさも感じるのかもしれないが、30を間近にした野郎の号泣する姿を見せられても、気持ち悪いし困惑する。


「ほら、泣いてないで風呂入りましょ。また背中流してあげますから。2人で一緒に入った方が水道代浮くんで」


 そう言って僕は前垣さんの両脇に手を入れて、介護するように立たせて洗面所に連れて行った。

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