二世俳優と泡沫俳優 1

「池田さん!あの仕事、僕のような若輩にはまだまだ経験が足りないので、やはり降板したいんですけど」


「今度は嫌気差してやりたくないのを、自分の実力不足と誤魔化しても無駄よ」


「は?チッ」


 家に帰ってから僕は最近の日課として、真っ先にマネージャーの池田さん(36歳独身)に電話をかけ、例のアレをやめたい旨を訥々と伝えた。とてもじゃないが楽屋で出演者達の前で堂々と苦情なんて言えるわけがない。


「今日は火の海を湿らせたシャツだけ着させて僕に歩かせたんですよ!!ついでに言うなら飴ガラスじゃないマジモンのビール瓶投げつけられました!」


「あーはいはい、その前はゴム弾で撃たれて、さらにその前は素手で本気で鉄板殴れって指示されたんでしょ? さらにその前は鈴虫食えとか言われてなかった?」


「コオロギです」


 話しながら何かを啜る音がする。どうやらビールを飲みながら僕と話してるらしい。


「仮にも僕、現役の人気モデルですよ?あのサド監督、そんな僕の無二の財産である肉体を容赦なく痛めつけようとしてくるんですよ!!直ちに降板、事務所から所属俳優に精神的、肉体的苦痛を与えたとして訴えてください」


「人気モデルって言ったって、君の人気支えてるの女子より男の方が圧倒的だった異端者枠だったじゃない?よっ「男女総合メスにしたいモデルランキング1位」」


「まぁ見向きもされない底辺の読モよりはいいんですがね……」


 今のはネットで非公式に行われたランキングだ。不本意ではあるが、僕は何故か異様に男のファンが多い。

 たまに小遣い稼ぎで配信サイトでネット配信をやったりするが、投げ銭くれる大半の視聴者が脂ぎった文面から察して、おっさんだったりする。

 多分、一回だけ高いギャラに釣られてゲイ雑誌の仕事を受けたことが原因だ。別に男だしそれなりに鍛えてるし、乳首晒すくらい何とも思わないが、それがあんな反響を呼ぶとは思わなんだ。

 なんにせよツイッターに気色悪いリプがいくつも来たし、親父には呼び出されて大目玉食らったし二度と受ける気はない。

 電話越しに落花生の殻か何かを割る音が聞こえる。


「まぁ頑張ってよ。「花の盛衰」って言ったらライトノベルにして累計発行部数100万部の超人気作よ?それの主人公に監督から直接打診が来るって名誉なことじゃない。このまま行けば順調に俳優としてのキャリアを積んでいけるはずよ?」


「確かにスカウトされた時は舞い上がりましたけど、まさかあんな体当たりの演技をいくつもやらされるとは……俳優は顔の命って言うのに全く遠慮しないし」


「多分それもスカウトされた狙いの一つだと思うわよ。キャットファイトみたいなのがあるみたいに美形の子が痛めつけられるのって好きな人意外と多いし、それに椿君のアリーフってこの後陵辱シーンあるし」


 僕は背負ったリュックを廊下の隅に置き、役作りのために買った撮影用プロップガンと同じタイプのモデルガンを掴んだ。


「そういえばウィキペディアをチラッと読んだ時には、そういう描写が多いって……ん?僕陵辱されるんですか?」


「そうよ。何?主人公の癖して原作読んでないの?役作りができてないわね」


「いや、何されるか先に知ったらいよいよストレスでハゲそうだから……僕、母の家はハゲる家系で親父は違うんで、生まれた時から人生賭けたギャンブルを強いられているんです」


「あっそ。まぁR15指定の映画だし、エログロいシーンなんてこれからもわんさか巣穴から這い出る蟻のように出るわよ」


「えっこれR15指定なんですか!?ぐわぁぁいった!!」


 唐突に知った事実に思わず足にモデルガンを落としてしまい、僕は悶絶して倒れ込んだ。


「映倫の基準で考えたら特に異論は無いわね、にしても君なんも知らないのね。ちゃんと演技以外に色々常識勉強しないとダメよ?」


「そういえば前に、スプラッタな極めて過激な内容の映画は、普通の俳優はマイナスイメージがつくのを嫌がってやりたがらないから、AV俳優か無名の舞台俳優を起用する傾向があるって……先輩から聞きました」


「あら変なこと知ってるのね。あの監督も実際、そういうスプラッタな映画が好きな人達には評判高いから」


「クソ……初めて出演したドラマは田舎の定食屋から三ツ星イタリアンに勧誘された主人公をいじめる下っ端の役で、次来た仕事は映画の主役でスピード出世かと思ったら、こんな目に遭わされる役柄なんて……」


 すると、池田さんの声が急に鋭いものに変わった。


「何?それで降りたいならすれば?でも、いくら椿君があの金村の息子だからと言って、撮影半ばで役を放り投げて次に仕事が来るなんて考えないでよ。それとも、またスーパーの裏っ側でお母さん達に混じってアジフライやらイモ天やら作る?」


「……それ言われるとこちらも痛い」


「でしょ」


 グラビアアイドルも同じで、モデルの仕事は一見に華やかに見える。けれど、あれらはあくまで写真集やDVDのプロモーション、読モなら単にJKの思い出作りであって、ギャラの方は雀の涙もいいところだ。

 だから僕はつい最近まで曳舟のスーパーで、おばちゃん達に逆セクハラされながら惣菜を作っていた。そうしないと光熱費だけ払ったら一文無しになってしまう。


「そういえば「時計仕掛けのオレンジ」って見たことある?」


 ふと、元の声色に戻って池田さんが僕に問いかけてきた。確か、ゴロツキがムショで奇妙な実験を受けた結果、強引に真人間にされるが、出所後色々と困難に見舞われるとかの話だったはずだ。


「見たことはないですが、「フルメタル・ジャケット」のキューブリックの映画ですよね? それがどうかしたんですが?」


池田さんの鼻をかむ音が聞こえてきた。


「あの俳優もあの後、アウトローの役ばっか回ってきて心底うんざりしたらしいけど、私としてはそれはそれで業界で一定の地位を確立できるなら、むしろウェルカムと思うの。それじゃ!朝ドラ始まるからじゃーね!」


 そういうと、池田さんは一方的に電話を切った。どうやら僕のお悩み相談は池田さんにとって、好きなドラマが始まるまでの時間潰しだったらしい。


「ババア……」


 僕は手を洗ってリュックを開けて、買ってきた牛丼とコーラを持ってコタツに潜って、もそもそと食べ始めた。電源を切ったテレビの黒い画面に映る自分の顔がにわかに不気味に思えて、何となくテレビをつけてニュースに変えた。

 しかし、一人暮らしってなんでこんなに寂しいんだろうな。

 僕がそう思った瞬間、鈴の音色を模したインターホンが鳴った。

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