この映画の出演快諾した僕ってバカですか?

ザワークラウト

こんな目にあうならやらなかった

 燃え上がる炎を物ともせず、悠然と一歩一歩と彼は床を踏みしめていく。

 すらりと長い長身で着込むレインコートの袖に火が移るも、腕を一度振るだけで焦る素ぶりすら見せず、実に飄々とフードを外し、真正面の追い詰められた敵を冷たく見据えた。片手には大口径の軍用拳銃が握られている。


「このビルは包囲した。投降しろ、そうすれば・・・」


「うるせぇ!!」


 彼が降伏を呼びかけた時、発言を遮り顔面に向けてレンガが投げつけられた。しかし、彼はそれをお辞儀のような体勢で容易くかわした。

 彼は若くて非常に整った甘い顔立ちをしており、人によっては少女にすら見える。長い髪を結んで肩にかけた様は本当に女のようだったが、上の留め金のみと留めてマントのようにしたレインコートの胸元から覗く胸板は、男のそれだった。

 名をアンドレイ・アリーフと言った。


「そうか、じゃあ死のうか」


 アリーフは持ってぶら下げたままの銃を眼前の一人に向け、間髪入れずに2発立て続けに引き金を引いた。

 密閉した空間の中で銃声は何倍にも大きく聞こえた。そうして、反響が止む前に男は血反吐を吐いて膝から崩れ落ちた。


「テメェよくも!!嬲り殺しだ!」


 残った他の者達は怒りを剥き出しにし、死なば諸共アリーフを道連れにしようと、雑多な鉄パイプやナイフなどで彼に襲いかかる。

 しかし、向かって来た3人をまとめて頭を抜いて撃ち殺し、横から羽交い締めにしようとした者も撃ち、その反動で棒立ちしていた真後ろの敵を射殺した。

 弾が切れ、銃のスライドが開く。この機会を見逃さんと僅かな人数だが果敢にアリーフに向かうが、彼は振り下ろされた鉄パイプを身を翻して避け、肘を横っ面に叩き込むと、その男の胸ぐらを掴んで窓から投げ捨てた。

 横合いからハンマーで殴りかかろうと挑み掛かった敵の一撃を腕時計で受け止め、尻ポケットからナイフを抜いて喉笛を切り裂いた。振り向きざま、ズボンのポーチから予備の弾倉を取って素早く込め直すと、向かって来る銃剣を持った男の首根っこを握り締め、手を撃ち抜いてナイフを弾き飛ばすと、男の口に銃を詰め込んだ。


「さよなら」


 そう言って薄ら笑いを浮かべると、一切の躊躇いなく男の頭を吹き飛ばした。さながら椿の花のような血煙が頭頂に咲いた。

 返り血がアリーフの端正な顔にべったりとこびりつく。死体をゴミ同然に傍に放り捨てると、彼はハンカチを取り出して汗と共に鮮血を拭った。途中違和感を覚えて目を瞬かせて後ろに目をやると、レインコートの裾が燃えている。

 しかし彼は微塵も気に留めず、ハンカチを綺麗に折り畳むと、拳銃を掌で華麗に回し、レインコートを肘で颯爽と振り払い、ベルトのホルスターに銃をしまい込んで、静かにフードを被り直して、その場を後にした。


 ******


「カーーット!!」


「うぎゃぁぁぁぁぁ熱い熱い熱い熱い!!!助けて!!これなんで本物の火なんですか!?」


 監督がカチンコを鳴らした瞬間、既に半分近く火が回ったレインコートを脱ぎ捨てようと半狂乱になったアリーフが、悲鳴を上げて転げ回り、起き上がった敵役が慌てて群がるのを押し退けて、消火器を持ったアシスタントが彼に消火剤を浴びせかけた。


「よかったよー椿君!最初に袖に火がついたのを腕振って消すシーンはすごい絵になった!」


「おえっ・・・まずっ、このレインコート耐熱対策とかしてないんですか? 怖すぎて涙すら出なかったんですが」


 泡状の消火剤で雪だるまのようになって、差し出されたタオルの上によだれ混じりの消火剤を吐き出し、コーヒーをがぶ飲みしてやって来た監督を恨みがましく睨みつけた。

 真後ろでは火をアシスタント達が消火器で消し、アリーフが窓から投げ捨てた敵の俳優がスタッフによって救い出されている。


「ダメだね、燃える前提だったもん、バックドラフトってアメリカ映画知ってる? あれ見てやっぱり火はCGじゃダメと思ったね」


 理由になってないとアリーフは小柄な監督を見下ろしながら、ボロ布となったレインコートを脱ぎ捨ててスタッフに渡すと、足を引きずってセット脇のパイプ椅子に座り込んで目を瞑った。


「凄かったね、見ててヒヤヒヤしたよ」


 すると、横から冷えた氷の入った袋を持ってアリーフ「役」より何歳か年上の、これまた2枚目の俳優がやって来て、屈んで彼の手首に当てた。


「中垣さん・・・どうも、いや中垣さんのジェスタフも、この前やたらでかい犬に襲われてましたよね。あれに比べたらまぁ」


 彼はそう言って形だけ謙遜した。


「グレートデーン、個体によってはそこらの大人より大きいらしいから、あれでもまだ小さい方だったらしい。腕噛まれた時は下にカーボン巻いてたとはいえ泣きたくなった」


「設定上は防弾チョッキとか着てるから、痛い顔しちゃいけないんでしたっけ」


 すると、横から若い女のADが突然2人をスマホで撮影し、にかっと白い歯を見せて笑った。


「今の後でメイキングとかでツイッターに上げられますね。うわぁ・・・」


 彼は自らのスマホで顔を映し、血糊を拭い切れずパンダのようになった顔を見て、今のがネットに上がるのかと肩を落とした。


「しかし君もあの金村憲寿の息子ともなると、色々色眼鏡をかけられるだろうけど、お互い役も兄弟なんだし、心を一つに一緒に頑張って行こうな」


 そう言うと、中垣という男はまだら髪を耳にかけて、楽屋の方に帰っていった。


「誓約書にサインした自分を殺したい」


 アンドレイ・アリーフ役。

 中島椿。24歳。

 元はファッション誌を中心に活躍するモデルだったが口コミを元に人気が広がり、初出演となったあるドラマの脇役を契機にお茶の間のマダムにも知られるようになると、俳優歴2年足らずで主役に抜擢された。今をときめく人気俳優である。

 しかし、実力があるのは事実だが、彼は日本人なら顔を知らぬ者はいない、横のものを縦にもしない大御所俳優、金村憲寿の実の息子であり、多少の縁故も使ってきたのが少し痛いところだった。

 生き馬の目を抜く芸能界で生き残るなら持てる手段はみな使う覚悟でいたが、実力主義の世界で親の威光に少なからず頼っていることが辛かった。

 そして、初主演の映画、「花の盛衰」の撮影自体もとんでもなく辛かった。

 中島椿は胃薬の絶えない日々を送っている。

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