第3話 幼なじみ

 四限目の授業の終了を告げるチャイムを、私はゆううつな気持ちで聴いていた。

 先生が教室を出て行くと同時に、一斉にお弁当を手にそれぞれの友人のもとへ移動を始めるクラスメイトたちの中、一人自分の席に座ったままお弁当を取り出す。


 机の上に載せたお弁当箱は、標準的なものよりいくぶん小さい。デザインだけで選んでしまったものだから、ときどきもう少し大きなやつにすればよかったと後悔していたけれど、今日ばかりはこのお弁当箱の小ささをありがたく思った。

 これなら早く食べ終われる。一人でお弁当を食べるのはやっぱり寂しいから、さっさと食べ終わってしまいたい。

 そんなことを思いながら蓋を開けると、今日に限って中には私の好きなものがたくさん詰まっていて、また少し寂しくなった。小さくため息をつく。

 せっかくなのに、今日はあまりおいしく感じられないだろう。じっくり味わう余裕もないだろうし、なんだかもったいないな、なんて思いながらお弁当に脇に置かれていた箸を手に取ったときだった。


 ふいに前の席の椅子が引かれた。手元に薄く影が落ちる。

 前の席の子が忘れ物でもして戻ってきたのかと思った私は、何とはなしに顔を上げ、途端、間抜けな声を漏らしてしまった。

「へ?」

 そこにはなぜか永原くんが立っていた。

 椅子を手にこちらを向いた彼は、私がぽかんとしている間に軽く教室を見渡す。それから、「佐々木ー」とそこの席の主であるクラスメイトを呼んだ。

 それに応え、「なにー」と教室の後方から声が返ってくると

「席、借りていい?」

 永原くんは私の前の席を指さし、質問を続けた。

 すぐに「どうぞー」という返事が返ってきたので、彼は短くお礼を言ってからこちらへ体を向けてその席に座る。そうして片手にぶら下げていたお弁当箱を、私の机に置いた。


 相変わらずぽかんとして彼の行動を眺めている私にはかまわず、永原くんは楽しそうにお弁当箱の包みを開け始める。

 その途中で、ふと私のお弁当箱に目を留め

「わっ、倉田のお弁当ちっさ!」

 と驚いたように声を上げた。え、とつられるように私も弁当箱へ目を落とすと

「それで足りるの?」

 永原くんは心配そうにそんな質問を続けた。

「う、うん」と私がぎこちなく頷けば

「でも倉田はもっと食べたほうがいいと思うけどなあ。なんか倉田見てるとさ、ちょっと強い風が吹いただけで倒れちゃいそうな感じがして、はらはらするもん、いつも」

 自分の弁当箱の蓋を開けながら、永原くんは軽い口調で続けた。

 そして当然のようにご飯を口へ運び始めた彼に、なんだろうこの状況は、と私は思いきり困惑する。

 目の前でおいしそうにご飯を食べる永原くんを、私が箸を掴んだまま呆けたように見つめていると


「倉田、食べないの?」

 気づいた永原くんがふと顔を上げ、不思議そうに訊いてきた。

 それでようやく我に返った私は、「あ、た、食べるよっ」と早口に答えてあわてて箸を伸ばす。しかし里芋の煮物へ伸ばした箸は、うまくつまめずに何度もつるつるした表面をすべった。

 緊張からか、思うように動かせない箸先に私が苦戦している間に

「羽村がさあ」

 ふと思い出したように、永原くんが口を開いた。

 唐突に出てきた浩太くんの名前に、へっ、と素っ頓狂な声を立てて顔を上げると

「昨日、倉田に傘貸してくれてありがとう、って。朝言われた」

 言って、永原くんが少しだけ照れたように笑ったから、私は一気に顔が熱くなるのを感じた。あわてて顔を伏せる。

 やっぱり浩太くん、そんなことを言っていたのか。恥ずかしくなって意味もなく弁当箱に並ぶおかずを凝視していると、で、と永原くんはさらに続けた。

「さっきの休み時間に、廊下で八尋に会ったんだけど」

 続けて出てきたもう一人の幼なじみの名前に、まさか、と嫌な予感を覚えつつ視線を上げれば

「八尋にも同じこと言われた。倉田に傘貸してくれてありがとうって」

 永原くんは予想通りの言葉を続けた。

 やっぱり、と私は小さく唸ってまた視線を落とす。恥ずかしさに耳まで熱くなるのを感じていると、永原くんは小さく声を立てて笑って


「なんか倉田の親みたいだよね。羽村と八尋って」

「そうかも……」私が力無く頷けば、永原くんは、で、と思い出したように質問を続ける。

「今日はその羽村と八尋はどうしたの? なんでいないの?」

「あ、えっと、なんかクラスで話し合いがあるって。もうすぐ担任の先生の誕生日だから、みんなでなにかしようって、計画してるんだって」

 教えると、へえ、と永原くんは朝の私と同じような感嘆した声を上げ

「二組、そんなことするのか。なんかすごいな」

「うん。楽しそうだよね。いいな」

 軽い調子で相槌を打とうとしたのだけれど、そう呟いた声にはいやに切実な色が滲んでしまった。

 そして永原くんはしっかりそれを感じ取れたようで

「倉田も、二組がよかったなって思う?」

 軽く苦笑して、そう聞いてきた。

 私はちょっと迷ったけれど、結局、うん、と正直に頷く。

「羽村と八尋がいるから?」

 またずばりと言い当てられ、私は続けて頷いた。

「そっか」と永原くんは穏やかに笑うと

「仲良いもんね、三人」

 私は曖昧に笑って、相槌を打った。


 だけどきっと、こんなふうに寂しがっているのは私だけだ。浩太くんと鈴ちゃんは私と違って人見知りしないし話すのも上手だから、すでに新しいクラスにしっかり溶け込んで、新しい友達もできたみたいだった。二人が二組のクラスメイトたちと楽しそうに話している姿だって、何度も見かけた。

 それを寂しいだなんて思っている私は、嫌な性格だとつくづく思う。二人は、クラス替えから一ヶ月経った今も一向にクラスに馴染めていない私を、心から心配してくれているというのに。


 考えていくとまた気持ちが落ち込んできて、ふたたびのろのろと里芋へ箸を伸ばせば

「倉田って、羽村たちとはいつからの付き合いなの?」

 思い出したように、永原くんは質問を重ねた。

 私は里芋をつまみかけた手をいったん止めてから

「……幼稚園のときから、かな。覚えてないだけで、もっと前からかもしれないけど」

「そんなに長いんだ」

「うん。あの、家が近くて、親同士が仲良かったから」

「幼稚園の頃から今まで、ずーっと一緒?」

 私が頷くと、へえ、と永原くんは感心したような声を漏らした。

「いいな。おれ、そういう付き合いの長い友達っていないから。ちょっとうらやましい」

「うん。私もね、浩太くんと鈴ちゃんがいてくれて本当によかったなって、思う」

 なんだかしんみりした気分になって、私は思わずそんなことを呟いていた。


 口にしてみて、再度強く実感する。

 本当に人付き合いの苦手な私が、幼稚園でも小学校でもたいした問題もなく過ごしてこられたのは、きっと全部二人のおかげだったのだ。中学二年生になり、はじめて二人と別々のクラスになった今、ひしひしと突きつけられている気がする。

 そんなことを考えていたら、ちょっと険しい表情になってしまっていたのか

「倉田さ、なんか困ってることとかない?」

 少し眉を寄せ、だけどこちらを気遣うような笑顔で、永原くんは唐突にそんなことを聞いてきた。

 私が、え、と声を漏らすと

「いやほら、倉田、去年はずっと羽村たちと一緒にいたじゃん。でも今年はクラス離れちゃったし、やっぱ最初のうちは困ることとかあるんじゃないかなあと思って」

 永原くんはそう言って、柔らかく笑った。何の混じりけもない優しい笑顔だった。

 私は呆けたように目の前の笑顔を見つめながら、本当によく気がつく人なんだな、とぼんやり考える。


 去年、私と永原くんは違うクラスだったはずだ。その上ほとんど関わりもなかったのに、彼はそんな私の交友関係まで知ってくれていたらしい。

 昨日も感じたことだけれど、本当に当たり前のように人に優しくできる人なのだ、彼は。今だって、一人でお弁当を食べようとしている私が寂しそうに見えたから、こうしてここにいてくれているのだろう。

「……ありがとう」

 ぽつんと呟けば、永原くんは穏やかな笑顔のまま首を振った。

 私も少しだけ笑って、ようやく箸先でつまんだ里芋を口に運ぶ。そうして柔らかな食感と一緒に口の中に広がったほんのりとした甘さをしっかり味わってから、呑み込んだ。

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