chapter6

 どうしてこんなことに、とクレオは絶望的な気持ちのまま走っていた。

 日本のオリンピックに合わせ家族旅行に来ていた彼女は、その提案をした自分を恨んだ。だが事態は現在進行形であり、過去より今だ。生きるために走らなければならない。


 まるでマラソンランナーだと自嘲気味に考えながらどうにか人と人の間を走り抜けていく。

 足には自信があった。だが逸れてしまった幼い弟はどうしただろう?

 あの液体に飲み込まれるより先に人の足で潰れてしまったのではないか? クレオは不安で泣きそうになる。


 日本語が辺りに飛び交い、母国語は一度だけ遠くで聞こえたぐらいだ。

 見知らぬ土地で、どこへ行けばいいのかも分からない。やみくもに走るうちに、地下通路にたどり着いた。

 クレオは顔を少しだけ明るくさせる。これなら上から降り注ぐ液状の悪魔から身を守れるだろう。

 他の人々と同じように入ろうとすると突然、横から突き飛ばされて尻餅をついた。

 仰げば恐ろしい形相の顔をした男が何かをクレオに喚いている。そしてぎゅうぎゅうの入り口を指差し、それからどこかへ行くようジェスチャーで示した。

 異国の地で、こんなパニック状態の中、クレオは反論すらできない。

 涙を堪えて立ち上がるとクレオはその場から去ることにした。少し行った時、背後で一層大きい、叩きつける音がしたので驚いて振り向く。

 地下通路の入り口が黒い液体によって塞がれていた。そうして、ゆっくりと中に侵入していくのが見える。あの中にいる人間の無事は、もう見込めないだろう。


 安全圏と思った場所すらもああして潰されていく。呼吸が乱れ、足が震えた。こんな場所で、誰にも関心を示されず、溶けていくのか。

 涙が溢れる。


「ヘイガール!」


 片言の英語とともに腕を引かれる。


「アー、ストップ、ティアドロップ? ラップかコレ」


 人工的な金髪の女が小走りのまま彼女に話しかけた。


「今から、ナウ、ブロークンバイク、ユーアンドミーライド! アーンド、ランナウェイ! 私もあそこから追い出されたんよ、あのジジイ、ザマアミロって感じ!」


 クレオにはまったく意味が分からなかった。


「これにするか!」


 手近な原付バイクを見つけ、女は懐から爪やすりを取り出した。そして手荒な方法で――エンジンをかける。

 びっくりするほど犯罪行為だった。


「乗って!」


 ヘルメットも無しに女は乗る。クレオは躊躇ったが近くに液体が降ってきたのをキッカケに後ろに乗った。女はクレオの手を掴み腰に回させた。


「よーし、死出の旅路の仲間もできたし、行くか! ゴー!」


 ヤケクソなのは雰囲気で分かった。どうせ突っ立っても死ぬだけだ。


「GO!」


クレオも叫ぶ。


「おッ、いいねえ!」


 原付バイクは走り出した。死の地を縫うようにしながら。


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