29935回目の転移 其の一
―――ドサッ
私は再び大地に降り立ちます。そして自分の名を思い浮かべます。
私はフィオナ。フィオナ ブライト。そして凪でありフィーネでもあります。
よし、今回も記憶の消失は無し。転移して行ういつもの儀式。
ライトさんのことも忘れてません。
よかった。どの記憶を失くしてもいい。
ライトさんとの思い出さえ消えなければ……
私は新しい世界に転移しました。でもここは?
不思議な世界でした。大地のマナが感じられません。
イレギュラーな世界でしょうか?
辺りを見渡すと、そこには見たことのない植物が群生しています。
緑色の節が一定に走った硬そうな木が多く立ち並んでいました。
傾斜があるので恐らく山の中でしょう。
「とにかく下りなくちゃ……」
私は人里を目指し、山を下ることに。道なき道を進みます。
ガラッ
「きゃっ!?」
しまった! 足を取られました!
私は転がる自分の体を止められるはずもなく、あちこちを木にぶつけながら下に転がりおちて……!
ドスンッ
いたた…… しばらく転がった後、地面に叩きつけられました。
鍛えているのでダメージは最小限に抑えることが出来ましたが、体中に切り傷、擦り傷が……
これぐらいの傷なら回復魔法を発動すれば跡形もなく消す事が出来ます。
オドを練ろうとした瞬間……
「ekjsip dkofied dioadgbe?」
誰ですか!? 声がする方を見ると人族の女がいました。
聞いたことが無い言葉です。
私はかつて習得した言語魔法を発動することにしました。
いかに言葉が違えど、魔法を介して言語を翻訳して脳に伝えてくれます。
オドを練って言語魔法を発動すると女の言葉が頭に入ってきました。
「あなた、大丈夫?」
どうやら女性に敵意は無いようです。よかった……
でも油断は禁物。一応鑑定しておきましょう。
女性の目を見つめ鑑定を行う…… あれ? この人オドを持っていません。
大地のマナが無く、人がオドを持っていない世界。
やはりこの世界はイレギュラーな世界ですね。
「ひどい怪我…… あなた立てる? 治療するから私の家に来なさい!」
女性は私の腕を掴み、肩を貸してくれました。
いたた、回復するのを忘れてました。
でも今魔法の使用は控えたほうがいいでしょう。
オドが無いこの人の前で魔法を使うと警戒されてしまうかもしれません。
そうだ、お礼を言わなくては……
「ありがとうございます。でも大した怪我ではありませんので、ご心配無く……」
「…………?」
ん? 女性は不思議そうに私の顔を見つめます。どうしたのでしょう?
何か変なこと言いましたか?
「あなた…… 日本語上手ねー! 外人さんだから英語で話さなくちゃいけないかなって心配だったのよ!」
ニホンゴ? それがこの世界の共用語なのでしょうか。
よく分かりませんが、ここは話を合わせて……
「はい、ニホンゴは得意です」
「すごいわねー。いっぱい勉強したのね。あなたどこの国の人なの?」
「…………」
どうしましょう。この質問には答えないほうがいいかもしれません。
見た感じだと、この女性は教養が高そうです。
無い国名を言ったら変な顔をされてしまうでしょう。
「ふふ、私が当ててあげる。そうね、綺麗な顔してる。顔立ちからして…… ロシア! いや、違うわね。東欧の…… リトアニアかアルメニア……」
アルメニア? 私とライトさんとで住んでいた国、アルメリアとほとんど同じ名前です。
私は咄嗟に答えてしまいました。
「そうです。アルメニアから来ました」
「あら、当たっちゃったわね。そうよ。あの国は美人が多いって聞いたことがあるから。あ、そうだ。自己紹介がまだだったわね。私は京子っていうのよ。よろしくね」
キョウコ? 不思議な名前……
キョウコさんは優しそうに微笑みかけます。
そうだ、私の名前を言わなくては。
本当の名は言うべきではありません。
邪悪な魔導士は相手を支配する時に対象の名を必要とします。
もしかしたらこの世界にも悪い魔導士がいるかもしれません…… そうだ!
「よろしくお願いします。私はフィーネ。フィーネ ブライトです」
よく思い出せないけど、これは私の前世の名前の一つです。今はこの名を名乗ることにしました。
「フィーネ…… 素敵な名前ね。よろしくね、フィーネさん」
「はい」
私はキョウコさんと一緒に山を下ります。
一時間もすると彼女の家に辿り着きました。
あれ? この家、どこかで見たような……
何となく懐かしさを覚える外観でした。
「上がって。あんまり広い家じゃないけどね」
「はい…… お邪魔します」
キョウコさんは玄関で靴を脱いで家に上がります。
そうか、この世界では家で靴を履かないんですね。
郷に入りては郷に従え…… 私も靴を脱いで家に上がります。
居間に通され、中を観察します。
不思議な造りですね。
床には干し草で作ったような絨毯が敷かれています。
「ふふ、それは畳っていうのよ。外人さんには珍しいかしら? 座ってて。お風呂の準備をしてくるから」
え? この世界にもお風呂があるのですか? それも家風呂?
小奇麗な家ですが、裕福そうには見えません。なのに家にお風呂が……
しばらくするとキョウコさんが戻ってきました。
「着替えも用意しておいたわ。フィーネさん、お風呂入ってらっしゃい。汚れた服は洗濯しておくからね」
「は、はい。ありがとうございます……」
キョウコさんに促されるまま、私はお風呂を頂くことにしました。
そこには驚きの光景が……
シャワーがあったのです。
なんでこの世界にはシャワーがあるんですか?
「使い方分かる? このレバーを捻るとお湯が出てくるからね。それにこれはシャンプー、リンス、ボディーソープね。分からないことがあったら呼んでね。それじゃごゆっくり」
そう言ってキョウコさんは下がっていきました。
何なのこの世界は? 疑問に思うことはいっぱいありますが、今は風呂を頂こうかな……
私は服を脱いで、シャワーを浴びる……
―――シャー
先端から勢いよくお湯が出てきます。温かい……
懐かしい感覚です。王都での我が家を思い出しました。
ライトさん、チシャの三人でよくお風呂に入った思い出を。
シャワーを浴びる中でふと思い出します。
王都の我が家のお風呂にもシャワーがありました。
私が記憶を頼りに……ううん、記憶ではありません。体がシャワーを浴びたことがあるという感覚を頼りにシャワーを作り出したのです。
でもこの世界にはシャワーがある。どこの世界にも無かったシャワーがここに。
これはつまり……
もしかしたら、この世界に来たことがあるのかも……?
疑問に思いつつ、シャワーで体に付いている汚れを落とし終わります。
次はお風呂に入りましょう。
足を湯船に付ける……? いたた、お湯が傷に滲みます。
そうだ、回復するのを忘れていました。
【
私は自身に回復魔法をかけます。切り傷はあっという間に消え去りました。
ふふ。これゆっくりにお風呂を楽しめますね。
私は湯船に浸かります。
―――チャプンッ
気持ちいい……
ライトさんと離ればなれになってから色んな世界に転移しました。
でもお風呂がある世界なんて久しぶりです。
こんなに気持ちいいものだったのですね……
しっかり温まり、湯船から上がります。
タオルと着替えが用意されていたのでそれに着替えました。
不思議な服…… でも肌触りからして寝間着でしょうか?
私は寝間着に袖を通した後、濡れた髪の水分をタオルでふき取ってから風魔法で乾かします。
ふと横を見ると洗面台がありました。
そこにはとても大きな鏡が。すごい……
この世界の文明水準はかなり高いのでしょう。
恐らくキョウコさんの家はごく一般的な中流家庭だと思われます。
その家にこんな大きな一面鏡があるだなんて……
私はこの世界に驚きつつ、先ほどいた居間に向かいます。
そこにはキョウコさんが座って私のことを待っていました。
「お風呂どうだった? 熱くなかったかしら?」
「いいえ、大丈夫です。とても気持ちよかったです……」
「ふふ、よかった。そうだ、フィーネさん。お腹空いてない? おにぎり作ったんだけど食べる?」
おにぎり!? ライトさんが王都で名付けたお米料理!?
それをこの世界で食べられるのですか!?
私は動揺を隠せませんでした。
でも慌てちゃだめです。もしかしたら、おにぎりと言ってもお米を使ったあの料理とは限りません。
キョウコさんは台所に向かいます。
期待と不満が入り混じる……
まだでしょうか?
ふふ、私ったら。ご馳走になろうとしてるのに、こんなこと思ってるなんて。
座って待っていると、ふと私に足にフワフワしたものが当たります。
ん? 何でしょう?
『ニャーン』
猫でした。ふふ、かわいい子。こっちにおいで。
手を伸ばすと猫はクリクリと頭を擦りつけてきました。
私は猫を膝の上に乗せます。すると猫は大人しく私の膝の上で丸くなりました。
少しするとキョウコさんは居間に戻ってきました。お盆に載せたおにぎりを持って……
「あら、タマが人に懐くなんて珍しい。タマ、フィーネさんはお食事するんだから、あっちいってなさい」
『ニャーン』
タマっていうの。かわいい名前ですね。
タマはキョウコさんの言う事を聞いたのか、私の膝から降りてしまいました。
またおいでね。
そしてキョウコさんはテーブルにお盆を乗せました。
目の前にはかつて見たことがあるおにぎりが……
「さぁ食べてね」
「は、はい…… 頂きます……」
私はおにぎりを手に取り、恐る恐る口に運びます……
ガブッ
優しい味がしました。私の家庭の味です。
ライトさんとチシャの三人でおにぎりを頬張った思い出が頭を過ります。
―――ポロッ
あれ? 頬を伝う涙の感触……
「フィーネさん? どうしたの?」
いけない…… 思わず泣いてしまいました。私は手で涙を拭います。
「いえ…… 大丈夫です。このおにぎりがとても美味しかったので。つい泣いてしまいました」
「よかった。おにぎりはまだあるわよ。食べる?」
「はい! お願いします!」
私はお代わりを繰り返し、全部で六個のおにぎりを完食してしまいました。
本当はもっと食べたいけど、はしたないと思われても嫌ですし……
そんな私を見てキョウコさんは優しく微笑みます。
「フィーネさん、今日は泊っていきなさいな。怪我した後だろうし、疲れてるでしょ?」
泊り……? どうしましょう。
これ以上お言葉に甘えるわけには……
「そうだ、フィーネさん食べられないものってある?」
「いえ、特には…… でも悪いです。これ以上ご好意に甘えるのは……」
「気にしないで。これも何かの縁よ。いいから泊っていきなさい」
ふふ…… これは逃げられそうにないですね。今日はお言葉に甘えることにしましょう。
「はい…… ではお世話になります」
「ふふ、お世話になっちゃって。そうだ、今コーヒー淹れるわね。外人さんならお茶よりコーヒーよね。甘いものもあるから持ってくるわ!」
コーヒー? 初めて聞く名前ですね。
飲み物でしょうか? それに甘いもの…… 気になります。
キョウコさんは再び台所に向かいます。
今度は香ばしい匂いが居間に流れます。
すごくいい香り……
キョウコさんはコーヒーと呼ばれる飲み物、そしてお菓子を持ってきてくれました。
あれ? このお菓子って……
ううん、間違いありません。かつてライトさんが私に作ってくれたお菓子です。
ポテトのタルトと同じ匂いがしました……
「スイートポテトよ。サツマイモはここの名産でね。よく作るの」
「た、食べてもいいですか……?」
はしたないと思われても構いません。
目の前には求めて止まなかった家族の味があるのだから……
震える手でポテトのタルトを一口。
優しい甘さが口いっぱいに広がります。
目頭が熱くなり、そして涙が溢れ出し……ました……
「ぶぉ~ん、おんおん…… 美味しいですぅ……」
「あらあら。そんな泣いちゃって。ふふ、フィーネさんって面白いわね」
私は泣きながらポテトのタルトを食べました。そして思います。
やっぱりこの世界……
私は以前この世界に来たことがあるのです。
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