三千世界の旅人 其の二

 アカシックレコード。 



 元始からの全ての事象、想念、感情が記録されているという記憶概念。アストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久にそこに刻まれるという。



 人は死を迎えた時、アカシックレコードに記憶、記録を返納して、次の世界で生を受ける。



 それ自体を神としてあがめる原始宗教も世に存在している。



 そしてトラベラーも例外ではない。いや、彼らはその特殊な性質からか、全ての記憶をアカシックレコードに返納することはない。



 しかし、全ての感情、ほとんどの記憶をアカシックレコードに奪われ、他の世界へと転移するのだ。



 また一人。アカシックレコードに向かう一つの魂が無と思わしき空間を進む。



 その魂の持ち主とは……













 ―――ここはどこなのでしょうか……


 あれ? 私、体がありません


 意識だけがここにあるみたいです。


 そうだ。私はアモンの魔法を防ぎきれずに、黒洞に巻き込まれて……


 それにしても、ここはどこなんでしょうか?


 何だか懐かしい感じ……


 いいえ。おぼろげですが、ここを知っています。


 私は暗くて、とても寂しい空間を一人進みは続けます。


 遠くに光が見えます。


 そうだ。あそこへ行きましょう。


 私は光に吸い寄せられるように進みます。


 懐かしい感覚。とても温かい。


 あそこへ行けば安らぎが得られる。


 嫌なこともあそこに行けば忘れられるはず。


 光が近付いてきます。


 温かい…… 家に帰ってきたような感覚……


 家? 違う。私が帰る場所はここではありません。


 帰らなくちゃ。


 どこへ……?


 そうだ、王都の家に帰らなくちゃ。


 その家では誰かが待っている気が……


 思い出します。


 私には娘が一人います。


 血は繋がってはいないけど、魂で繋がれた愛しい子……


 チシャ……


 会いたい……


 そして私を絶対の孤独から救いだしてくれた愛しい人を思い出します。


 ライトさん……


 そうだ。私が帰るところは光の中ではありません。

 

 王都に…… 私の愛しい人達が待ってるあの場所へ帰らなくちゃ。


 私の想いをあざ笑うかのように光はどんどん近付いてきます。


 微かに記憶が戻ってくる……


 そうだ…… あの光に入ったら…… 

 色んなことを忘れてしまう……


 嫌…… 忘れたくない……


 あの人との思い出を…… 消さないで……


 光はもう目の前にあります。そして私は光の中に溶けていきました。


 嫌……


 嫌です……


 嫌です! 


 お願い! ライトさんの! チシャの思い出を消さないで!


 私は私でいたいの! 


 フィオナのままでいさせて!


 お願い……


 私の意識は完全に光に溶け……て……




















 夢を見ました。夢なのでしょうか? 過去の記憶なのかもしれません。

 私はベッドの上に横になっていました。腕には透明な管のようなものが付いています。これは何でしょうか。

 確かめたくても体が動きません。ふと誰かがベッドに誰かが近寄ってくるのに気付きました。


『凪。調子はどうだ?』

『来人君? どうしたの? まだ会社は終わってないんでしょ?』


『外周りのついでさ。ミカン買ってきた。食べるか?』

『ふふ、ありがと。後で食べるわ。置いておいて。そうだ、桜は元気にしてる?』


『あぁ。元気過ぎて困っちゃうよ。誰に似たんだろうな』

『きっと私ね。私も桜ぐらいの歳の時はヤンチャでね。ふふ、懐かしいわ』


『はは、そうだな。今度桜を連れてくるよ。それじゃ行かないと』

『うん…… 来人君…… また来てね……』


 そして私はベッドに横になります。  

 この私は…… 顔に生気がありません。病人みたいです。

 これは何でしょう? 男の人は来人ライトと呼ばれていました。

 それに女の人は…… 凪という名前のようです。どこかで聞いたような…… 

 思い出せません。ですが名を呼ばれた時、喜びが胸に灯るのを感じました。




 そして私は次の夢を見ます。

 森の中にある一軒の家。その中で二人の男女が抱き合っています。


『んふふ。ライトさん、大好き』

『いてて。こら、フィーネ! そんなに耳を噛むんじゃない! お返しだ!』


『ひゃあん! んふふ。もっとして下さい』

『はは、懲りないんだから』


 抱き合いながら耳を噛みあっていました。この光景を見ると胸が暖かくなります。

 この夢でも男の人はライトと呼ばれていました。

 そしてフィーネと呼ばれたエルフのような女性…… 私と同じ笑い方をしています……


 凪とフィーネ…… 

 来人君とライトさん……

 思い出しました…… 

 これは前世の記憶…… 

 凪もフィーネも私自身だったん……だ……


 …………


 ……………………


 …………………………………………



















 本来なら全ての意識のある者はアカシックレコードで記憶を返納することになる。


 だがフィオナはトラベラーとしては例外的な存在だった。


 彼女は喜怒哀楽の感情を有し、以前は自分が人間だったことを思い出している。


 それに加え、彼女の体にはまだ魂の契約がわずかだが残っていた。


 ライトとフィオナを結ぶ細い、今にも千切れそうな細い糸。


 それが一つの奇跡を産む。


 その契約の残り香がアカシックレコードに対しての記憶の返納を阻害したのだ。


 それどころか、断片的ではあるが前世の記憶をも取り戻す。


 そう。彼女は記憶を保ったまま、三千世界を漂うことになる。


 それが彼女にとって望ましい未来になるのかは別の話だが……













 ―――チュンチュン チチチ



 鳥の声…… 

 芝生の青い匂い…… 

 頬に当たる草の感触……


 感覚がある……? 私、どうなってしまったのでしょうか……?


 ゆっくりと目を開けると、そこは……


 私は草原の中に横たわっていました。ここはどこなのでしょう?


 辺りを見渡します。

 目に映るのは広がる大草原、青い空。

 そして……


 私に襲いかかってくるマンティコア!


『ガァオッ!!』

「きゃっ!?」



 ドシュッ



 鋭い爪が私を襲います! 痛い! 少しだけど掠ってしまいました! 腕から鮮血がほとばしる!


mastdalma超回復!】


 すぐに回復魔法を発動! そして距離を取って……


 マンティコアはジリジリと私に近寄ってきます。

 今の私にとっては大して強い魔物ではありません。でも何か違和感が……


 マンティコアは通常、人に似た頭部を持つ醜い魔物。だけどこれは…… 

 双頭のマンティコア。こんな魔物は今まで見たことがありません。

 変異種? もしくは…… 


 私が思案していると、マンティコアは飛びかかってきます! 

 ふふ、さっきは不意を突かれたけど、私があなたに負けるとでも思ってるんですか?


 私を切り裂こうとマンティコアが前足を私目掛け振り下ろしてきます。


 甘いですよ。


 当たる寸前で前足に手を添える…… そして円を描くように前足を捌く。



 グルンッ ドサッ!



 これはライトさんの得意技、理合いです。

 マンティコアは自分の勢いそのままに円を描くように地面に叩きつけられました。


『ゴアァッ!?』


 次は私の番。杖を構えます。

 マンティコアに向けて……


maltaηfremeaщ火球!】



 ゴゥンッ



 私の杖から放たれた火球は魔物の体を業火で包み込みました。

 肉の焦げる嫌な匂いが辺りに漂います。

 マンティコアは炎に包まれ、しばらくもがいた後その動きを止めました。


 再び辺りは静寂に包まれます。

 それにしてもあの魔物は一体……? 


 先ほど思いついた一つの可能性を試してみることにしました。

 でも、それが当たっていたら……


 私は己が眼にオドを流し込む。

 この大地に漂うマナの色を鑑定してみることにしたのです。 


 やっぱり…… このマナの色は以前いた世界とは違う色をしています。

 つまり、私はライトさん達がいた世界とは別の世界に転移したということです……


「そんな…… ライトさん……」


 帰れない…… 

 ライトさんに会いたい……

 私はその想いに囚われて、声を出して泣きました……



◇◆◇



 どのくらい泣いたのでしょうか。いつの間にか眠ってしまったみたいです。

 辺りはすっかり暗くなっていました。


 お腹が空きました…… トラベラーが不死の存在とはいえ、人並みに空腹感はあります。

 私は再度鑑定を行い、辺りに自生している根菜を見つけました。

 それを生でかじり空腹を癒します。



 ガリッ ポリポリッ



 美味しくはなかったけど、空腹感は満たされ少し落ち着くことは出来ました。

 これからどうするか考えないと……


 思い出してみます。

 私はライトさんをアモンの神級魔法から守るべく、結界魔法を発動しました。

 ですが結局は神級魔法の黒洞に飲まれ、ここにいるのです。

 つまり前の世界で肉体的な死を迎えたということ……


 でも魂の契約があるはずです!? 混乱しつつも自分に対して鑑定を……行うまでもありません……

 だっていつも感じられるライトさんと私を繋ぐ温かい繋がりが感じられません…… 


 契約は…… 切れてしまったんです……


 嫌です……


 そんなの嫌です! 


 ライトさんにもう会えないのですか!?


 そんなの嫌です!


「う…… ライトさん…… チシャ…… 会いたいよ……」


 ライトさんのことしか考えられませんでした。もうライトさんに会えない。もういきてるいみなんてない。でもわたししぬこともできないし。どうしよう。なんでわたしここにいるのかなどうしてとらべらーになったんだろうこんなつらいおもいをするなんてもうしにたいよらいとさんにあいたいらいとさんにあいたいでもあえないどうすればいいのだれがおしえてよねえなんでだれもこたえてくれないのわたしはこれからしぬこともできずひとりでここでいきていかなくちゃいけないのそれがわたしのうんめいなのそんなのなっとくできるいや出来る訳ないです!


 怒りが私の心を支配する! 

 そして行き場のない悲しみが再び襲い掛かってきて…… 涙が溢れてきました……


 私はその場に両膝を着いて愛しい人の名を呼ぶことしか出来ませんでした……


「ライトさん…… ライトさん…… あれ……?」


 すると不思議な感覚が…… 

 それは私に一縷の希望を与えてくれるものでした。

 僅かですが胸に暖かいものを感じます。


 私は涙を拭いて自分の中にあるオドを探ってみました。これは……

 ライトさんを僅かに感じることが出来ました。

 でもここではない。もっと遠いところで。

 そして不思議なことだけど、なぜか分かりました。


 ライトさんは今、産まれた。


 契約から発するオドがそれを物語ります。これはどういうことですか?

 あ…… そうだ。私は前の世界で契約者が産まれたことを知って、それを探す旅に出たはずです。


 行かなくちゃ…… 


 どうすればいいのかなんて分かりません。

 どこに行けばいいのかなんて分かりません。

 今私に出来ることはこのオドを追ってライトさんを探すこと。

 やれることはそれだけです。


 私は身支度を整えて、ライトさんを探すためこの場を離れることにしました。



 これが私が三千世界の旅人トラベラーに戻った瞬間でした。



 ただ一人の愛する人に再び出会うために……


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