三千世界の旅人 其の一

「初めまして。契約者様」


 目の前に立っていたのはフィオナではなく、俺が前世で会った三人目のトラベラー、アイシャだった。

 アイシャは森の王国アヴァリで起こったスタンピードを止める道中で出会ったトラベラーだ。


 俺を救うために命を投げ出してくれた恩人でもある。だが、なぜアイシャがここに……?


「この地で契約者が生まれるのを感じました。ふふ、お会い出来て光栄です」


 そう言ってニッコリとほほ笑む。

 あれ? 彼女はトラベラー、感情は無いはずだ。でもこの笑顔……


 そうだ、思い出した。彼女は死ぬ前に笑ってたんだ。

 そのことは覚えているだろうか?


「アイシャ…… 俺のことが分かるか?」

「何のことでしょうか? お会いするのは初めてのはずですが」


 やはりか。彼女は俺のことは何も覚えていない。

 信じてくれるかどうか分からないが、今までの経緯をアイシャに話すことにした。



◇◆◇



「なるほど。にわかに信じがたいことではありますね。ですが……」

 

 アイシャは無表情で一人考え込んでいる。やはり、いきなり今までの出来事を信じてもらうというのは無理があったかな? 

 だがアイシャを俺を見てニッコリとほほ笑む。うわ、かわいい……


「貴方の言うことは筋が通っています。それに私が喜びの感情を発露している理由が分かりました」


 そう、アイシャは死ぬ前に恐らくだが女神からの祝福を与えられている。それがきっかけで喜びの感情を得たのだろう。

 それにしても、トラベラーのミステリアスな雰囲気、エルフ特有の美しさ、そして輝く笑顔……

 アイシャってこんなに可愛かったか?


 いかん! 俺は何を考えてる!? フィオナに操を立てたはずなのに他の女に現を抜かしているなんて! 


 自分を叱咤する。バシバシと自分の頬を殴るのを見てアイシャが不思議そうな顔をしているのだが……


「どうなさいました? そういえば、まだ契約者様のお名前を聞いておりませんでした。名をお教え願えますか?」


 あぁ、そうだった。俺一人話すことに夢中で、自己紹介を忘れてたな。


「俺の名はライトという。以前……前の世界で君にアイシャと名付けたんだが、それも忘れちゃってるよね?」

「アイシャ…… それが私の名なのですね。なぜでしょうか? 胸が温かいです……」


 アイシャは喜びを感じているのだろうか。笑顔で目を閉じ、自分の胸に両手を当てる。

 それにしてもかわいいなぁ。アイシャは目を開けて……


「ライト様…… 前の世界でお世話になったお礼と名を付けていただいたお礼をさせてください。是非魂の契約を……」


 いかん! そういえばすっかり忘れてたがトラベラーは口付けで魂の契約をするんだった! 

 いやね、こっちは一応妻子持ちですし、お気持ちだけで結構……


 ん? 魂の契約? そうだ…… 思い出した。

 フィオナが闇の神級魔法、黒洞に巻き込まれた時、魂の契約が切れたのが分かった。

 だから彼女を復活することが出来ないと悟ったのだが、もしかしたら…… 

 ダメ元で聞いてみるか。俺に抱きつこうとしてくるアイシャを手で制してから……


「ちょっと聞かせてくれ。魂の契約。それが解除される時ってどんな時なんだ?」

「そうですね。一つは契約者の死、他にはトラベラーが世の理を崩すほどの攻撃を受け、その体が塵になった時ぐらいでしょうか……」


 やはりか。フィオナとの魂の契約が切れたことは間違いないな。

 アイシャが意気消沈する俺を心配そうに見ている。


「どうしたのですか? 前の世界で誰かと契約してたのですか?」

「あぁ。君は覚えてないだろうが、フィオナというトラベラーと魂の契約をね……」


「…………」



 ―――スラッ



 突然アイシャは腰から短刀を抜いて…… え? 何をする気だ?


「お手を…… 今から鑑定を行います。これは鑑定魔法の上位版です。体内に相手の体液を取り込むことでより細かな情報を引き出すことが出来ますので」


 ほう。アイシャはそんなことも出来たのか。どれ、試してみるか。

 俺はアイシャに右手を差し出す。彼女は短刀で俺の指先をちょっとだけ切る。



 チクッ



 痛い…… アイシャは血が滴る俺の指を自分の口に……



 チュッ チュッ



 うおぅ…… なんだかすごいエロい感じがする。

 前世と今世を合わせると四十年近く生きている計算になるが、こんなことをされたのは初めてだ。

 そして俺の指を吸っているのが絶世の美女だろ? ちょっと間違いが起こってもいいかも……


 俺のバカ! そんなこと思っちゃ駄目だろ! 

 でも俺の指を吸いながら上目遣いで俺を見てくるアイシャを見ると……


 つい前かがみになってしまった……


 アイシャは口を離して憂い気に俺を見つめる。


「ライト様? どうなさいました?」


 いや、どうしたもこうしたもないよ…… 

 もうアイシャの目を見て話せないので、後ろを向いてしまう。


「で…… 何か分かったの?」

「はい。僅かではありますが、まだ契約は完全には切れていないようです」


 何だって!? 先ほどの興奮は一気に冷め、アイシャの肩を両手で掴む!


「詳しく聞かせてくれ!」

「はい。例えるなら魂の契約は契約者とトラベラーを繋ぐ紐のようなものです。例え肉体を失ってもトラベラーはその紐を伝って再び契約者の下に辿り着くことが出来ます。

 ですがライト様とフィオナを繋ぐ契約はほとんど切れかかっています。フィオナがそれを伝ってあなたのもとに帰ってくることは出来ないでしょう」


 なんだよ…… それじゃ、意味ないじゃないか……


「ですが異界に渡ったフィオナは、貴方の存在を感じることが出来るはずです。僅かに残った契約の糸を辿って……」


 感じるだけなのか…… だが、もしかして……

 

 一つの仮説を立てる。


 俺は転生した。そしてなぜか前世と同じ運命を辿っている。ここにいるアイシャがそれを物語っている。俺は今世でも契約者として生を受けたようだ。


 つまり……


 この先、前世と同じように管理者を殺し、俺も死ぬ。そうすれば再び同じようにこの場に帰ってこられるかもしれない。

 それにトラベラーに会うチャンスはこれだけではない。前世ではバルナの町でシグに。アヴァリに入る前にここにいるアイシャに。そして王都では五千人のトラベラーに会うことが出来た。

 今生きているこの世界でフィオナに会えなくてもこれを繰り返せば、そのうちフィオナに出会うことが出来るかもしれない。


 俺の考えをアイシャに話す。彼女は無表情で俺の話を黙って聞いている。

 彼女なら何か答えを導きだしてくれるかもしれない。


「……というわけだ。なぁ、アイシャ。俺が特定のトラベラー、フィオナに会える確率ってどれくらいだと思う?」

「そうですね…… この世は三千世界という数多の世界で構成されています。ライト様が言った通り、これから約五千人のトラベラーに会えると仮定します。

 これは単純計算です。他の要素が加わればその数値は増減するかもしれませんが…… ライト様は一万回、生を繰り返せばフィオナに出会える……かもしれません」


 一万回…… え? 一万回!? 

 そんな…… 嫌になりながらもちょっと計算してみる。


 もし俺が仮に一万回の転生の後にフィオナに出会えたとする。だが俺が初めてのトラベラーに会うのは二十歳になった時だ。

 つまり二十年を一万回……  


 二十万年だと!? それもこれは仮に一万回に仮定した場合だ。

 もしかしたら二万回かもしれない。下手したら三万回転生してもフィオナには会えないかもしれない。


 俺はどうしたら……


 絶望が俺を包み込む。

 俺はこれからフィオナに出会うために無限とも思える時を過ごしていかなければいけないのか……


 でも……


 ここで諦めてしまえばもうフィオナに出会うことは出来ない。そこでフィオナに出会える可能性はゼロになってしまう。


 フィオナは俺を助け、黒洞に飲み込まれる前に言ったんだ。

 声は聞こえなかったけど、口の動きで何を言っているのか分かった。今でも覚えている。



  あ い し て い ま す



 ははは、俺もだよ…… 


 全く情けなねえなぁ、俺は! 二十万年だ!? 三十万年だ!? 

 そんなことは関係ない! 彼女に出会えるならそんな時間、乗り越えて見せるさ!


「ははははは!」


 アイシャがちょっと驚いた顔で俺を見つめる。


「ど、どうしたのですか? まさか気が触れたのでは……?」

「いや、すまんな! ただ吹っ切れただけさ! ははははは! いや、まさか俺が三千世界の旅人トラベラーになるとはね! それもたった一人の女に出会う為かよ! ははははは! 俺も馬鹿だよな!」


 三千世界の旅人。トラベラーの別名だ。まさか俺がそれになるとはね。俺は笑い続ける。

 そうだ。諦めなければきっとフィオナに会える。そのためにやれることは……


「アイシャ! 行くぞ!」

「は、はい。どこに行かれるのですか?」


「王都だ! まずは王都を目指す!」


 これから先、前世で起こったような出来事が起きるはず。それを最短でこなす。

 その過程でフィオナに出会えなければ……


 やり直せばいいだけさ。


「では、出発!」

「はい……」


 俺とアイシャは王都に向けて旅立つ。

 全てはフィオナに再び出会うために……



 これが俺が三千世界の旅人トラベラーになった瞬間だった。


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