第四の選択
「お願い…… もう殺してよ……」
アーニャはへたり込んで泣いている。
五百年、世界を管理し続け、限界を感じ、そして解放を求めている。
俺は彼女を茫然と見つめる事しか出来ない。
いや、待て。もう一度考えよう。
俺に与えられた選択肢は三つ。
一つ。アーニャを殺し、俺が管理者になる。黒い雪は止んで世界は救われるだろう。だが俺は元の世界には帰ることは出来ず、フィオナにも会えない。
二つ。アーニャと共にここで生きる。だが世界は死に絶え、俺の愛する人は皆死ぬことになるだろう。そしてフィオナに会うことは出来ない。
三つ。俺は自害し、俺自身がトラベラーとして三千世界を巡る。フィオナに会えるかもしれないが、トラベラーになって異界へと渡る時、記憶は消去される。フィオナのことを忘れてしまうかもしれない。そしてチシャ達は黒い雪のせいで死ぬことになるだろう。
この三つの中から選べと……
畜生…… どれも救いの無い選択肢じゃねぇか……
「アーニャ…… ちょっと一人になるわ……」
そう言い残し、俺はふらふらとその場を離れる……
充分に距離を取ったところで……
「う…… ぐす…… 嫌だ…… こんなの嫌だよ…… 誰か助けて……」
情けないが声を出して泣いてしまう。
だってそうだろ!? これが俺の運命だってのか!? そんなの納得出来る訳ないだろ!? 俺は約束したんだ! 絶対に帰ってくるって! でも俺が管理者にならないとみんな死ぬんだろ!? そんなの脅迫じゃねぇかよ! 何が契約者だ! 何が管理者だ! こんなのただの呪いじゃねぇか! 世界のために俺は独り、ここで糸車を回せってのか!? そんなの受け入れられるかよ! 馬鹿にすんじゃねぇよ! 嫌だ! 誰か助けてくれ! 父さん、母さん! 助けてよ! こんな所にいたくないよ!
嫌だ!
嫌だ!
嫌だ……
嫌だよ……
俺は地面に寝転んで、空を見上げて泣いた。
ただ泣くことしか出来なかった。
自分の運命を呪った。
俺の生まれてきた意味ってこれだったのかな。
俺は誰もいないところで世界の平和を願って糸車を延々と回し続けるために生まれてきたんだ。
ははは、なんだその人生? くだらない。
目に浮かぶのはフィオナの笑顔。
ごめんな。もう君に会うことは出来ないかもしれない。
せっかく俺を助けてくれたのに。
ごめん。
思い出すのはチシャの笑顔。
ごめん。フィオナを連れて帰ってくるって約束したのに。
約束を守れない悪いパパを許して欲しい。
かわいい我が子を一人ぼっちにさせてしまう。
なんて駄目な親なんだろうか。
ごめんな。
思い出すのは母の言葉。
(意味の無いことなんて何も無いのよ)
母さん、そんなことないよ。
俺の人生に意味なんて無かった。
俺が生きてきた二十五年間。それは孤独なこの場所で糸車を回し続けるために導かれてきた人生だったんだ。
こんな無意味な人生なんて、他にあるかよ。
ん……?
意味の無いものなんて……
何もない……
何か引っかかる。
意味の無い……
意味の無い……
そういえば、俺の持つ力で意味の無いものが一つある……
それは……
(心配しないでください。魔物が来ても私が守ります。それに悪いことばかりではありません。その右目は魔力を帯びたせいか魔眼と化しています)
フィオナが俺に言った言葉だ。そうだ。フィオナに出会った当時に気付いた俺の意味のない能力。
過去を見る魔眼。
まさか……
試しに体内に巡るオドを右目に流す。すると……
ビジョンが脳内に流れてくる。
―――ブゥン
うおっ! なんだ!? 糸車の前で管理者と思われる男が胸を貫かれているのが見える!
刺したのは…… アーニャだ…… そうか、こうして彼女は管理者になったのか。
突如、右目のビジョンが途切れ、右目の視界が暗くなる。そして倦怠感が全身を襲う……
魔力切れか。体内のオドが無くなったんだな。
ん? 最初に魔眼を使った時って数秒前の過去しか見えなかったよな?
でもアーニャが管理者になったのって、たしか五百年前……
そうか、俺の地力が上がったせいだ。見える過去の範囲が長くなったんだ。俺の体内にはもうオドはほとんど残っていない。だけど……
落ち着いて周りを見てみる。
空と地面が一体となったような、雨上がりの塩湖のようなこの美しい風景。
辺りにはマナが溢れているのを感じる。
もしかしたら……
目を閉じる。
いつもの通り、足元から大地のマナを取り込む。
マナが足から丹田へ……
丹田から全身へ……
そして全身を巡るマナを右目に集める。
すると……
―――ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブゥン
速い! 先程とは比べ物にならないほどの速度でビジョンが脳に流れ込んでくる!?
頭が痛い! 脳が焼けそうだ!
痛みを堪え、ビジョンを見続ける!
だが目に映る光景は管理者が殺される、もしくは契約者が自害するだけの光景。
その光景を何度見たことだろう。
そうか…… 世界はこうやって回っていたのか。
契約者が管理者となり、世界を安定させるため糸を紡ぐ……
そして管理者の心が壊れ始めた時、新しい契約者がここを訪れる。
この虚しい円環を何度繰り返し見たことだろうか。
だけど……
一つだけ、違うビジョンが見えた……
男の契約者が、女の管理者を抱きしめている。
男は女を抱いたまま、剣を女の背に回す。
剣は女を貫くと同時に男の胸をも貫く。
契約者、管理者の二人が同時に息絶えた。
二人が地面に倒れ、そのまま消えていき、そして世界が光に包まれる……
―――ブツン
音を立て、ビジョンが途切れる。
俺は膝を着いてしまう。
頭に流れる情報の波に揉まれたことで、俺は疲れ果てていた……
はぁはぁ……
はぁはぁ……
は、はは…… ははは……
あはははは! 流石は俺の母さんだ!
いつも正しいことを言う!
そうだよ、世の中、意味の無いことなんて一つも無いんだ!
過去を見る魔眼で見た先ほどの光景。
契約者、管理者が同時に果てる。
この選択肢はアーニャは提示しなかった。
いや、知らなかったんだ。
だから彼女は選択肢を三つしか出さなかった。
まさか四つ目の選択肢があるとはね!
だが仮に俺がこの第四の選択肢を選んだとしよう。
心配なことは後の結果が分からないということだ。
管理する者を失った世界。一体どうなるのだろうか? 分からない。
でもな……
既存の交代劇を行えば結果は見えている。俺が管理者となってフィオナを失うか、もしくは俺がトラベラーになってフィオナの記憶を失うかだ。
なら……
俺は結果が分からない未来に賭ける。
結果の分からない未来……
はは、そんなの当たり前だ。先のことなんて誰も分からないんだから。
俺は立ち上がり、アーニャのもとへ。
彼女は俺を見上げ、そして……
「う…… ぐす…… どうしたの……? 私を殺してくれるの……?」
「立って」
アーニャに声をかける。
彼女は俺の決意を悟ったのか、立ち上がってから目を閉じる。
その顔は安堵の表情に満ちていた。
アーニャ。俺は君を憎んでいた。殺したいほどに。
でも君は世界を管理していてくれたんだよな。
アモンが現れるまで、五百年も世界の平和を守ってくれていたんだ。
たった一人、誰もいないこの孤独な空間の中で、糸車をただひたすら回す……
ありがとう。君はがんばったよ。
アーニャに対する恨みはもう無い。
いや、むしろ感謝の気持ちしかない。
解放してあげよう。
彼女を抱きしめる。
後ろ手にダガーを構える。
少し怖い。
はは、だって今から俺も死ぬんだもんな。
怖くない奴なんていない。
でも、こんな馬鹿げた円環はここで終わるべきなんだ。
世界は管理されるものじゃない。
未来は人の手で自ら作り出していくものなんだ。
アーニャの背にダガーを突き付ける。
ごめんな。少し痛いかもしれない。
ふと、アーニャが俺の顔を見上げる。そして……
「ありがとう……」
アーニャは笑う。
そして再び目を閉じる……
彼女の背中から心臓目掛け、ダガーを一突き。
―――ドシュッ
彼女は驚きの表情を浮かべ、体を強張らせる。
大丈夫。次、目覚めたらきっといい人生が待ってるよ。
今までご苦労様……
そして……
アーニャを貫いた剣が俺の心臓にも突き刺さる。
―――ドシュッ
痛みではない、熱を胸に感じる。
心臓は機能を止め、全身を巡る血液の流れが止まるのが分かった。
死
分かっていたことだが、ここで俺は死を迎えるんだな
アーニャと二人で地面に倒れる
目が合った
アーニャの口がゆっくりと動く
笑顔で
ゆっくりと
目の前が霞んできた
アーニャの声が聞こえた
ありがと
どういたしまして
そして
世界は管理者を失った
世界は光に包まれる
最後に見えた光景
王都だ
雲が晴れ、陽光が差し込む
春の訪れ
世界は……
救われたの……かな……?
…………
……………………
…………………………………………
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