管理者

 俺は糸車を回す奴に近付いていく。

 俺はすでにダガーを抜いてある。



 元凶め。



 お前を殺せば全てが終わる。



 迷いは無い。



 躊躇なく殺す。



 俺は歩みを進める。そいつとの距離は更に近くなる……


 

 あれ? あの姿は…… 女?

 遠めに見たら性別は分からなかったが、髪の長さ、線の細さから見て間違いなく女だ。


 関係無い。俺は今からこいつを殺すんだ。俺は決意を胸に更に歩みを進める。


 そして……


 糸車を回す女が立ち上がり、後ろを振り向く。


 目が合った。


 美しい女だった。栗色の長い髪。整った顔立ち。

 だがその表情は疲れきったものだった。


 精気が無い表情で女は俺に近付いてくる。俺はダガーを構え、そして……


「やっと…… やっと来てくれた!」



 ガバッ



 え!? 女が抱きついてきた! そして俺の胸で子供のように泣いている。

 なんだ? 理解出来ない。今から戦いが始まるんじゃないのか? 


 今この女を殺すのは簡単だ。だが殺気すら出さず、泣き続ける女を殺すのは気が引ける……


 油断をしてはいけない。

 いつでも殺せる準備をしてから女を引き剥がす。


「君は一体…… ここはどこなんだ?」

「ぐす…… ごめんね。そうだよね。君は次の『管理者』になるんだもの。全てを理解する必要があるよね……」


 管理者? また新しい単語が出てきた。

 契約者、代行者に続き、管理者か…… 

 ん? 俺が次の管理者? どういうことだ?


「ちょっと待ってくれ…… 順を追って話を聞きたい。まず自己紹介からいこう。俺の名は……」

「ライトでしょ。知ってるよ。代行者の目を借りて君のこと見てたもん」


 あっけに取られていて忘れかけていた殺意が再び芽生える。

 そうだ…… こいつは敵なんだ。今殺すべきか……? 


「ごめんね。殺すのはちょっと待って。説明だけさせて欲しい。そうしないと引継ぎが上手くいかないもの」

「つまり君は俺に殺される覚悟はあると……」


「うん。むしろ君をここに呼んだのは私を殺してもらうためだもの。でも今は少しだけ時間をちょうだい…… お願い……」


 理解出来ない。

 だが理解出来ないことと理解しないことは全くの別物だ。

 話を聞くべきだろうな……


「聞こう…… まずは君の名前からだ」

「ありがとう…… 私の名前は……何だっけ? 忘れちゃった。たしかそう…… アーニャ! 多分アーニャだった……はず?」


 なんだこいつ? 自分の名前を忘れるなんて。


「そんな顔で見ないで。しょうがないでしょ、だって来る日も来る日も一人で糸車を回してるんだもん。誰もいないところでね」

「一人? そういえばここには君、いや、アーニャしかいないのか?」


「うん…… 私はずっと一人でここにいる…… 人と話すのは五百年ぶりぐらいかな?」


 五百年…… この女は一体何者なんだ?


「君は神様なのか?」

「あはは。面白いことを言うね。そう…… 神様みたいなものなのかもしれない。でもね、私が管理者になる前はね、私も契約者だったんだよ」


 え? アーニャも契約者? 

 そして今は管理者? どういうことだ?


「つまりね。契約者っていうのは世界を管理する運命を背負った人のことを言うの。だからね、ライトは次の管理者になるためにここに来たのよ」

「管理者…… 一体何を管理するんだ?」


「世界よ。あそこに糸車があるでしょ。アレを回し続けるの。たまにね、糸がほつれたりダマになることがあるの。それを直す。ただそれだけの仕事……」


 糸車? 世界を管理? どういうことだ? 全く理解出来ない。


「きっと初めてこの説明を聞いた私もライトと同じ顔をしていたんでしょうね…… 前の管理者が言ってたわ。あれは人の、世界の運命を具現化した存在だって。モイライの糸車。彼はそう言ってたかな……」


 モイライ? 運命を司る女神か…… 

 だが、それを俺が回し続ける? それが俺の仕事?


「さっきも言ったけど糸車を回してるとね、たまに糸がダマになったり、解れたりすることがあるの。

 糸に異常がある。それって世界で何か良くない動きがあるってことなのよ。それを直して世界を流れを安定させる。それが管理者の仕事なの……」


 こいつは何を言ってるんだ? 

 こんな与太話に付き合うためにここに来たんじゃない。馬鹿にするのもいい加減にして欲しい。


「そんなの嫌だ…… 俺は帰るぞ!」


 アーニャは悲しそうな顔をする。悪いな。そんな馬鹿な仕事をするためにここに来たんじゃないだ。

 俺はアーニャに背を向けてその場を離れる……


「帰るってどこに? 出口は無いよ。だってあの魔法陣って一方通行だもの。ここに来たらもう出ることは出来ない」


 なっ!? 今なんて言った!? 

 いや、これはきっとこいつの罠だ。俺にこの仕事を押し付ける為に嘘を言っているんだ。

 身体強化術を発動する。全身の筋肉が肥大化するのを感じる。そして……



 全力でその場を離れた。










「はぁはぁ……」


 どのくらい走っただろう。体感では二時間近く走り続けている気がするのだが。

 後ろを振り向くと…… 糸車は見えない。


 すまんな、アーニャ。俺はそんな馬鹿な仕事をするためにここに来たんじゃないんだ。

 世界を救い、フィオナを探すためにここに来たんだ。管理者になる為じゃない。


 俺は走り続ける。すると目の前に小さな点が見える。先程までは地平線しか見えなかったのに。


 あそこに行こう。


 俺は吸い寄せられるように、その点を目指し、走り始めた。



 だが……



「お帰り。言ったでしょ。出口は無いって」


 目の前にはアーニャと糸車が。

 え? どういうことだ? 


「どんなに離れても、絶対にここに帰って来ることになってるみたい…… 私もね、最初は逃げ出したんだ。でもね、どんなに逃げても、どこまで走っても、結局はここに帰ってきちゃうの」

「そ、そんな……」


 その言葉を聞いて俺はへたり込んでしまった。疲労感が全身を支配する。

 もう一歩も歩けない……


「でも…… きっと出る方法はあるはず……」

「無いわよ。それが出来たら真っ先に私が逃げ出してるもの。

 ねぇ、そろそろ私を解放してくれない? 私がんばったんだよ。世界の為にこんなつまらない仕事を、誰もいないところで、五百年も続けてきたんだよ! 

 お願い! もう解放して! 死なせてよ! 自分じゃ死ねないの! 管理者はね、契約者の手でしか死ぬことが出来ないのよ!」


 そんな…… 俺は管理者になるしかないのか? いや、きっと他の選択肢はあるはずだ。


「もしもその願いを断ったら……?」

「二つ選択肢があるわ。一つはここで一生私と過ごす。だけど…… 外の世界は雪が降ってたでしょ? その雪は止むことはなく世界は死を迎える……」


 マジかよ…… 俺が管理者にならないと、みんなは……


「でも、みんな死んでしまったら、管理する意味も無くなるんじゃないか?」

「ううん。ほんの一握りの人は生き残る。百年もすれば人は増え始めるわ。そしてその中から新しい契約者が生まれるの。  

 あなたがこの話を断れば、あなたの愛する人はみんな死ぬでしょうけどね……」


 そんな…… 

 でも、もう一つ選択肢があるって言ってたな……


「他には……?」

「自ら死を選ぶことが出来る。全てを放棄してね。でもね…… この世界で死ぬと、あなたはトラベラーに堕とされるわ」


 え? 今なんて言った?


「ここで死んだ契約者はトラベラーになるの。そして三千世界を巡り、その世界の契約者を導く仕事を任される…… あはは…… 三千世界の旅人とはよくいったものね……」


 それって…… つまり……


「フィオナも契約者だった……?」

「あなたの想い人のことね…… そうよ。彼女も元は契約者。でもね、世界を管理する役目から逃げ出した負け犬なのよ……」


 お前、俺の嫁になんてことを言った!? フィオナが負け犬だと!? 

 再びアーニャに対して殺意を抱く。


「殺したくなった? でもまだ駄目。もう少し話を聞いてもらわなくちゃ。トラベラーっていうのはね、契約者を導く存在なの。これは知っているわよね。彼らは希望を以て契約者を導く。管理者のもとに……」


 そんな…… でも確かに俺は彼らに導かれ、ここに来た。彼らのおかげで強くなれた。


「トラベラーは言ってたでしょ。契約者は世界を安定させる存在だって。世界を救う役目があるとは一言も言ってないのよ。私も彼らに騙されてここに来ちゃったんだけどね……」

「じ、じゃあ、代行者ってのは……?」


「あれはね…… ほんと、ごめんなさい…… 私の現身なの。管理者っていうのは神様の力を受け継いで、モイライの糸車を回している。

 でもね、心はただの人間なのよ…… もう限界なの…… 管理者の、私の心が壊れ始めた時に、世界は次の契約者を生み出すわ。そして代行者が生まれる。私の想いを受け継いだ代行者が。代行者はね…… 絶望を以て契約者をここに導く存在なのよ……」



 絶望……



 たしかにそうだ。



 俺の故郷はアモンの手によって壊滅した。


 

 アヴァリではスタンピードが起こった。



 アルメリアでは戦争が……



 そしてフィオナが犠牲になった……



 つまり……



「納得いったでしょ…… 代行者に対して、あなたは憎しみを抱いている。そしてここにいる」


 納得いったよ。でも答えが分かっただけ……

 それを受け入れろと!?


「そんな馬鹿な話があるかよ! こんなのただの呪いじゃねぇか! 馬鹿にするんじゃねぇよ!」

「怒鳴ったってここからは逃げられないのよ! 受け入れるしかないのよ! それが契約者の運命なの! 私だってやり直したいわよ! 

 あなたはいいじゃない! フィオナって子と結婚までしたんでしょ!? 私なんてね! まだキスしたこともないのよ! 女としての幸せを全う出来ずにここで糸車を回し続けてるのよ! こんなの耐えられない! お願い! もう私を解放して! 殺してよ! お願い…… もう私を殺して……」


 アーニャは言い終わるや否や、大声で泣き出した。  

 俺が泣きたい気分だよ…… いや、もう泣いてるか。気付かないうちに目から涙がこぼれてる。



 俺はどうすればいいんだ……


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