代償 其の一
「はぁ、はぁ…… どうやらもう大丈夫のようですな……」
シグが俺を背負いながら、息を切らしている。助けてくれてありがとな。お礼を言わないと。
「…………」
あれ? 声が出ない。なんでだろうか。あ、そうか。現実を認めたくないんだ。
そういえばアイシャをこの手にかけてしまった時もこんな感じだったな。弱いな、俺って。
「ライト殿? 大丈夫ですか? ライト殿!?」
「…………」
シグは顔だけ振り向いて俺を心配する。おいおい、顔が近いだろ。このまま俺の唇を奪う気か?
「…………」
答えたくても体を動かすことが出来ない。そうだよな。
俺は、愛する人を、フィオナを失ったんだ。
彼女はトラベラー。この世界で肉体的な死を迎えれば、異界へと渡る運命を背負っている者。
だが俺とフィオナは魂の契約で繋がっていた。それがあることでフィオナをこの世界に留めることが出来た。
だがその契約が切れた。潜在的に俺とフィオナを繋げていたものが消え去った。
彼女はもう帰って来ない。泣くべきなんだろうな。だが体が言うことをきかない。
涙が流せるようになるまで何日かかることやら。
「このまま王都に戻ります」
「…………」
シグはゆっくりと王都に向かい、歩みを進める。
戦いは終わった。魔物はもういない。俺達は勝利した。
だがその代償は……
俺にとって大き過ぎたようだ……
◇◆◇
俺は王都に帰ってきた。シグに背負われてだが。帰る場所は俺の家ではない、銀の乙女亭に連れていかれた。
オリヴィアが驚いた声で俺を迎えてくれる。
「ライト!? 一体どうしたんだい!?」
「今ライト殿は心神喪失状態にある。しばらくの間、介護が必要になるだろう。世話を頼んでもいいだろうか?」
「あ、あぁ…… 分かったよ。一体何が起こったんだい? そういえばフィオナは……?」
「フィオナは…… すまん。私の口からは言えん。ライト殿が回復した時に聞いてくれ。では……」
そう言ってオリヴィアに俺を託した。すまんな。体が動くようになったらお礼を言うから。
オリヴィアは俺を背負って部屋に運んでくれた。俺達が以前使っていた部屋だ。
あれ? この部屋を出ていってから一年が経つのに、部屋の様子が変わっていない。
部屋の居心地を良くしようとして買った敷物がそのまま床に敷かれている。
窓につけられたカーテン。青い色の生地に取り換えたんだよな。買ってあげたらすごく喜んだ。
大きめの枕。二人で仲良く眠れるように買ったんだ。初めは柔らかくてよく眠れないってぼやいてたな。
二人の思い出が詰まった部屋。頬に熱いものを感じる。
あれ? これは…… 涙?
声も出さずに俺は泣いている。次から次へと涙が溢れてくる。
「ほら、泣くんじゃないよ。今はゆっくり寝るんだ。チシャは隣の部屋で寝てるから、何も心配いらないよ。それじゃお休み……」
オリヴィアは俺をベッドに寝かせ、部屋を出ていった。
この部屋は一年は使ってないのに…… 枕からフィオナの匂いがした。涙が止められない。
喪失感が俺を支配する。
何も考えたくない。
フィオナ、会いたいよ。
もう会えないのか?
そんなの嫌だ。
会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。
フィオナに会いたい……
「パパ…… 大丈夫……?」
頭を優しく撫でられる感触で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたようだな。
視線を声のする方向に移す。チシャだ。心配そうに俺を見ている…… ダメな親だな、俺って。子供に心配をかけるなんて。
体は動くだろうか。抱きしめて安心させてあげないと。力の入らない体に鞭を打つと、何とか起き上がることが出来た。
「パパ……?」
優しく娘を抱きしめる。
「あぁ…… 俺は大丈夫だよ。ごめんな、心配かけて……」
「ねぇ、ママはどうしたの? いないみたいだけど……」
伝えるべきだろうな。遅かれ早かれこの子は真実を知ることになるんだ。
「フィオナは…… あ…… うぅ……」
言葉が出て来なかった。出てくるのは嗚咽と涙のみ。みっともないがチシャを抱きしめて大泣きしてしまった。
彼女は察してくれたのだろうか。俺を優しく抱きしめて背中をさすってくれる。
そのまましばらく泣き続けた。
どのくらい泣いただろうか。部屋をノックする音が聞こえる。
「ライト、お客さんだよ。ってあんた、もう起き上がってるのかい!? チシャ、こっちに来なさい。お昼ごはんにしよう」
「うん…… パパ、また来るからね……」
チシャは部屋を出ていった。一人部屋に取り残される。
俺に来客か。誰だろう……?
「ライト殿、ご機嫌はいかがですか?」
部屋に入ってきたのは大柄な剣士風の男。俺を窮地から救ってくれた男。
トラベラーのシグだ。
「シグ…… すまん…… 助けてくれたのに、お礼を言って無かったな……」
「いえ、トラベラーとして当然のことをしたまで。ライト殿が無事で本当に良かった」
俺は立ち上がる。足に力が入らない。
フラフラとシグのもとに行き……
―――パシッ
横っ面を殴る。腕に力が入らないから、触れるような打撃だ。
「お前…… なんであの時俺を逃がした……? お前のせいでフィオナは……」
自分で言っていてものすごく情けない。でもフィオナを失った悲しみを、怒りをどこかにぶつけたい。
はは、最低だな、俺って。命の恩人にこんなことをするなんて。
俺のペチペチとした打撃をシグは無言で受け入れる。
すまんな。こんなことをして。
お前さんは優しいね。こんな情けない俺に付き合ってくれてるなんて。
「ライト殿。貴方の気持ちを理解することが出来ません。ですが貴方を支える存在として力になりたい。どうぞ、気のすむまで殴ってください」
シグは俺の力無い打撃戦を受け続ける。
「お前が…… お前が…… お前が! お前のせいだ!」
―――バシッ ドサッ
渾身の力を込めてシグを殴った。少し力が籠ったのか、シグはよろめいてから尻餅をついた。
「あ…… すまん……」
俺はフラフラとベッドに戻り、倒れるように横になる。
そして再び喪失感に支配される。シグは立ち上がり、俺のもとへ。
「ライト殿、気は済んだでしょうか?」
「あぁ…… 少しは落ち着いたよ…… 殴ってごめんな。それと…… ありがとう」
「それは重畳」
はは、笑っちゃうぐらいに冷静だなこいつ。
シグは表情を変えずに俺を見る。何か言いたげだな。
「ライト殿。そのままで聞いてください。ご報告があります」
「あぁ…… 聞こう。話してくれ」
そういえば、スタンピードはどうなったんだろうか。
俺の記憶にあるのはシグに背負われて王都に戻ったことぐらいだしな。
「現在、王都を襲う魔物は全て倒し、スタンピードは終わりました。同時に代行者、アモンも自身が放った黒洞に飲まれたのでしょう。オドを感じません。ですが……」
シグが言葉を詰まらせ、視線を窓に移す。そういえば今は昼ぐらいだよな。部屋が不自然に暗い。これって……
シグは窓に近付いてカーテンを開ける。
―――シャッ
そこには昨日と変わらない光景が広がっていた。
いや、状況はもっと酷くなっているようだ。
雪が……
黒い雪が降り続いている……
そんな……
アモンは死んだはずなのに……
(この雪…… そうね。私の仕業とも言える。でもこれはもっと大きな存在による御業……とでも言っておきましょうか)
アモンの言葉だ。なるほどな。つまりは戦いは終わっていないということだ。ならやることは一つ……
両手を広げ、持てる力を全て腕に込めて……
両の頬を叩く!
バチンッ!
いたっ! おし、気合入った!
「シグ! まずは情報を集めるところからだ! 王宮に行く! ついて来い!」
「承知」
俺は装備を整える。デュパが織ってくれたシャツを着て、鎧をつけてからダガーを差す。マナの矢を使えないだろうが、一応弓も持って行く。
「行くぞ!」
「はい」
銀の乙女亭を出る。雪の降る量は昨日より増えているみたいだな。
フィオナを失おうとも、俺にはまだ守らなくちゃいけない人がいる。
救わなくちゃ。決意を胸に俺達は王宮へと向かう。
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