アモン 其の二

 俺は丘の頂上でアモンと対峙している。その周りを総勢百人のトラベラーが囲っている。

 だが戦いはまだ始まっていない。アモンは俺に話しかけてきたのだ。しかも女の声色で…… 

 一体こいつは何者なのだろうか?


「今度は俺から聞いてもいいか?」

『いいわよ。ふふ。人と話すのなんか久しぶり。楽しいわ』


 お前を楽しませる気なんか一つも無いんだけどな。まぁいい。


「お前の目的はなんだ? なぜ俺の村を襲った?」

『…………』


 アモンは少し悲しそうな顔をする。それが逆に俺の苛立ちを募らせる。


『全ては話せない。でもヒントだけ教えてあげる。貴方の周りにいるトラベラーと同じよ。私も貴方を支え、導く存在だもの』


 アモンが俺を支え、導く? こいつふざけてんのか? 


「言葉の意味が分からないが……」

『この質問にはここまでしか答えられない。答えは貴方自身で見つけるしかないの。そして貴方はもうすぐその答えに辿り着く。じゃあ、今度は私から質問。貴方は今幸せって言ったわよね。何を以って幸せと言えるの?』


 幸せか…… その定義は様々だ。金に幸せを、名誉に幸せに見出す者も多い。

 だが俺の幸せはそんな物ではない。俺の幸せは家族を持つこと。それに他ならない。


「愛する人がいる。それだけで俺は幸せだ。それ以外に望むものは無いよ」

『ふふ。いい答え。貴方は本当の幸せに辿り着いたのね。嬉しい』


 くそ…… ふざけてやがる。お前が俺の絶望の元凶のくせに。

 いっそ、すぐに殺すべきだったか。


 いやまだだ。もう少し情報を引き出したい。溢れる殺意をグッと堪える。


「じゃあ今度は俺の番な。この黒い雪…… これはお前に仕業か?」

『この雪…… そうね。私の仕業とも言える。でもこれはもっと大きな存在による御業……とでも言っておきましょうか』


「お前さぁ…… さっきから答えが遠回し過ぎるんだよ。お前を殺せばこの雪は止むのか? それだけは答えろ」

『多分ね。止むと思う。でも私はあくまで代行者。大いなる意思に従う者。私が全てを引き起こしてるわけではないもの』


 代行者…… 久しぶりにその単語を聞いた。今のこいつの言葉通りならアモンの背後にもっと大きな敵がいるってことか?


「今度は私から聞いてもいいですか?」


 今度はフィオナが前に出てきた。あんまり挑発的なことはするなよ。

 いつもだったらマナを使って彼女を復活させることが出来るのだが、今はこの黒い雪のせいで上手くマナを使えない。


 つまり俺の力で復活は出来ないということ。いくらトラベラーは死なないとはいえ、今のフィオナはその利点を活かすことが出来ない。

 あんまり無茶なことはするなよ……


「そんな心配そうな顔しないでください。大丈夫です」


 フィオナは俺の前に出てアモンに話しかける。何を聞く気だろうか?


『何かしら? かわいいトラベラーさん』

「私の名はフィオナ。名無しじゃありません」


 アモンの表情が変わる。不思議そうな顔をしてフィオナを見つめている。


『あなたのオド…… そうか。感情が芽生えたのね。不思議な子。トラベラーとは一線を画す存在ね』

「そうです。今の私はトラベラーでもあり、人間でもあります。貴女に一つ聞きたい。察するに貴女は魔物よりも一つ上の存在。亜神とでもいうべきですね。貴女は知っているのではないですか? 私達トラベラーがどうやって生まれたかを」


 亜神? その可能性もあるか。見た目は魔物そのものだけどな。人外の力を備えつつ、知性と理性を併せ持つ存在だ。

 だが神に近い存在がなぜ魔物を使役し、スタンピードなんか起こしたのか。


『その答えは教えられない。でもね。貴女もきっと自分で答えに辿り着く。今はそれを知るべきじゃないの。フィオナって言ったわね。貴女はライトの恋人なの?』

「違います。妻です」


『結婚…… 羨ましいわ。ふふ、私が出来なかったこと。まさかトラベラーに先を越されちゃうなんてね』


 一体こいつは何者なんだ? 話せば話すほど分からなくなる。

 この会話の流れから察するに、まるで普通の女性みたいだ。


 普通の…… 人間の……?


 まさか……


 アモンの視線がフィオナから俺に移る。


『どうやら私の仕事はここまでみたい。いや…… もう一つあるかな。ごめんね。これから貴方に辛い想いをさせなくちゃいけない。貴方は強くなった。世界を任せられる程に。

 でもね。足りないものが一つある。それを貴方に授けないと』


 アモンが両手を広げる。両の掌が禍々しく光る…… 戦闘開始か!?


「フィオナ! 構えろ!」

「はい!」


 俺はフィオナと肩を並べる。これが最後の戦いになるのだろうか。


 アモンは静かに詠唱をしながら掌を柏手を打つように合わせる。

 次の瞬間、黒い球体が俺達の前に現れる。



 ―――ゴゥゥンッ



 鈍い音を立て、球体は大きくなっていく。これは…… どこかで見たことがある。

 まさか!? 闇の神級魔法……


「brakiaфholvia《黒洞》!?」


 フィオナが叫ぶ! まずい! この至近距離で黒洞だって!? 逃げるべきか? 

 いや、今なら間に合うかも。完全に黒洞が放たれるまでにアモンの首を落とすことが出来れば……


「ライトさん! ごめんなさい!」



 バシュッ!



「げはっ!?」


 フィオナが俺に向かい魔法を放つ!? 衝撃系の魔法だ! 俺の体は宙を舞う! そのまま丘の下まで吹っ飛ばされた! 



 ボスゥッ ドサッ……



 地面に叩きつけられるが、下が雪で覆われているのでさほど衝撃を感じなかった。

 フィオナ、一体何を考えてる!? 俺は立ち上がり…… 


「ごほっ!」


 口から血がほとばしる。くそ、肋骨が折れたか。デュパ ベルンドの鎧を着ているのに、ダメージを完全に抑えることが出来なかった。

 さすがはフィオナの魔法だ。いや、関心してる場合じゃない! 


 今の俺はマナが上手く使うことが出来ない。回復魔法も基本のヒールぐらいしか使えない。最低限の回復だけして、ゆっくりと立ち上がる……



 ズキッ

 


 胸が痛い…… 

 くそ、ヒールじゃ骨折は治せないか……


 痛みを我慢しつつ丘を登る。ゆっくりと一歩ずつ。

 行かなくちゃ。ここで黒洞が発動されたら…… 

 俺の家が、友人が、家族が…… 


「ライト殿!」


 丘の上から声がする。シグだ。全力でこちらに駆け寄ってくる。

 そして…… シグは俺の体を背負って丘から離れ始めた!


「シグ…… 降ろせ…… 行かないと…… フィオナの所に行かないと……」

「なりません! ここから離れます! 貴方を死なせるわけにはいきません!」


 俺の想いを無視するようにシグは丘から離れていく。

 あぁ…… フィオナ、何をする気だ…… シグに背負われつつ千里眼を発動する。

 すると……


 フィオナが見える。俺を援護しに来たトラベラー達も一緒だ。全員で結界魔法を唱えている。黒洞に向かってだ。


 アモンは…… ゆっくりと黒洞に近付いていく。俺が千里眼を使っているのが分かるのだろうか。ゆっくりと振り向いて一言。声は聞こえない。

 でも口の動きで何を言っているのかが分かった。




  ご め ん ね




 アモンは悲しそうな顔をしてに黒洞に吸い込まれていった…… 

 ちくしょう。こんな形で俺の復讐は終わっちまうのかよ。いや、そんなことを考えてる場合じゃない。

 闇の神級魔法、黒洞が発動しているんだ。このままでは王都が…… 


 シグは全力で走る。フィオナとの距離もぐんぐんと離れていく。今の俺に出来ることはないのか?


 自分の無力さを呪いながら、千里眼を通してフィオナ達を見続ける。

 逃げろ。詠唱を止めてその場から離れるんだ。いくらトラベラーが不死の存在とはいえ、愛する人がむざむざと死ぬのを黙って見てはいられない。

 頼む。逃げてくれ……



 俺の想いが通じたのか、フィオナは詠唱を止めた。


 こちらを振り向いた。


 先ほどのアモンと同じく声は聞こえない。


 口の動きで何を言っているのか分かる。


 フィオナはゆっくりと口を動かす。





  あ い し て ま す





 そう言って微笑んだ。


 彼女の目から涙が零れる。


 そして……  


 フィオナは再び黒洞に向かい、結界魔法を唱え始める。


 三つ編みにしてる紐が弾け飛んだ。


 銀色の髪が天に向かって逆立ち始める。


 止めろ…… 頼む…… 逃げてくれ!



 ――バァン!



 後方から大きな音がした。


「うぉっ!?」


 視界が漆黒に包まれる! 結界が破れたんだ! そんな…… フィオナは……


「このまま走ります! しっかり掴まって!」


 シグは更に加速する。俺が使った黒洞の効果範囲は半径十キロといったところだ。アモンが使う黒洞はどの程度の威力なんだろうか? 

 フィオナは言ってたな。異界の大賢者がこの魔法を使った時、大陸が一つ飲み込まれたって。


 後ろから引っ張られる嫌な感じがする。恐る恐る後ろを見ると……


 黒い球体が丘を飲み込んでいるのが見える。だがおかしい。球体が空に向かって昇っていく。

 黒洞は天高く上昇を続け…… 空を覆っている雲を飲み込んでいく……


 フィオナ達のおかげだろうか。黒洞は雲を飲み続け、そして……


 虚空へと消えていった。


 空を覆っている雲が不自然なほどの綺麗な穴を開けている。


 ぽっかりと開いたその穴から陽光が差し込む。


 陽光は照らす。フィオナがいたであろう場所を。


 そこには何も無かった。


 丘は消え、球状に抉りとられたような大地があるのみ。




 ―――プチッ




 ふと何かが弾ける音が聞こえた。


 俺の体の中からだ。


 悟った。


 嫌だ。


 認めたくない。


 でも分かってしまったんだ。


 フィオナとの繋がり。


 魂の契約。


 それが…… 消失した。











 俺はその日、愛する人を再び失った。


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