新しい生活費

「は~い。確かに二百五十万オレン受け取りました~。まいどあり~」


 ハンナは家具の代金を受け取り馬車に乗り込み帰っていく。

 さすがは家具職人。搬入するために馬車いっぱいの家具を一度ばらしてから家の中に入れたのだが、すべての家具を組み立てるのに三時間もかからなかった。


 リビングには大きなテーブルと椅子。ソファーが置かれている。各部屋にはベッド、本棚が置かれている。まだ中は空だけどね。そのうちこの本棚がいっぱいになるのだろうか。


 フィオナは鼻歌交じりに料理を作っている。冷蔵庫には野菜、肉などの食料品が多数入れてある。嬉しいな。これでいつでも新鮮な食材が食べられる。


「ねぇ、私のお部屋を見にいってもいい?」


 チシャがニコニコしながら聞いてくる。おお、いいともさ。自分の部屋が出来たのがそんなに嬉しいか。


 手を繋いで階段を上がる。部屋に入ると子供にはちょっと大きすぎるベッド。これから成長するんだし、俺達のと同じサイズのを買ったんだ。そして子供には不釣り合いではあるが、大きめの机と椅子。これでしっかり勉強するんだぞ。


「すごーい!」


 チシャは歓喜の叫びと共にベッドにダイブする。今日からここで眠るんだぞ。部屋が離れると寂しがるかな? ま、その時は一緒に寝てあげるか。


「わー、気持ちいい。これからこのベッドで寝るんだね」

「このベッドは特別でね。よく眠れるよう作られてるんだって」


 エルフが百年の時間をかけて研究したベッドだそうだ。俺も昨日横になってみたが一瞬で眠ってしまった。


 ふふふ。それに枕も特別製だ。これがあればチシャは朝までぐっすりだ。アレの最中にこの子が目を覚ますことはあるまい。


「ご飯が出来ましたー。降りてらっしゃーい」


 フィオナの声が聞こえてくる!

 おぉ! この家で食べる最初のご飯が出来た! この鼻を刺激する香りは…… カレーだ! 葉野菜のサラダも付いている。


「ふふ、カレーにしちゃいました。一皿で野菜も摂れますし、作るのも楽で美味しいんです」


 はは、お母さんの考え方だな。席に着くとフィオナがコップに水を注いでくれる。コップはすぐに汗を掻き始めた。キンキンに冷えているんだ。


「あの魔道具って本当に便利ですね。魔法を使うことなく物を冷やすことが出来るなんて」

「氷魔法を使えば簡単に出来るんじゃないの?」


「んー。出来なくはないですけど、繊細なオドの調整が必要だから疲れちゃうんです。

 前に言いましたけど、魔法はそこまで万能じゃないんです。小さい魔力を使うっていうのは針仕事をし続けるみたいなものですから。

 それに魔法を使い過ぎると肩が凝っちゃいます。ふふ、また揉んでくれますか?」


 なるほど…… 分かりやすい例えだ。確かに疲れるよな。神経を使うというか、目に来るというか。

 そう考えると、やはりいい買い物をしたな。


 さて頂くとしますか。カレーを一口…… この美味さはブレないな。いつだって美味い。フィオナはすごいな。こんな美味しい料理を知ってるんだから。


 サラダも食べてみるか。取り皿にサラダを盛って一口。ん? この鮮度…… まるで今、畑から採ってきたようなシャキシャキ感だ。


「ふふ。美味しいでしょ。この時期の葉野菜って痛みが早いのに。私もびっくりしちゃいました」


 すごいな…… ある程度はトラスから聞いていたが実際に食べてみると冷蔵庫のすごさを実感してしまう。もう言葉もなく食べ進めてしまった。


 美味しい食事のある家庭…… こんなにも幸せなものだったんだな。



◇◆◇



 食事を終え、ソファーでまったりする。俺の横には美しい妻が、そして膝の上にはかわいい娘が乗っている。


 みんなで益体も無い話をして盛り上がる。窓から夕陽が差し込んできた。もうすぐ夜が来るか。どうして楽しいと時間が過ぎるのを早く感じるんだろうな。


「ライトさん、給湯魔器を作動させてきてくれませんか? みんなでお風呂に入りましょ」


 あれって俺でも操作出来るのかな? 俺も魔法は使えなくはないのだが、センスは皆無だ。水魔法を射出しようとしたら脇から大量の水が出ちゃうくらいだからね。


「心配無いですよ。オドを直接流すだけですから。ライトさんの場合はマナですね。マナを魔法に変換せず、直接魔道具に流すイメージだけで起動するはずですよ」


 なるほど、それなら俺にも出来そうだ。魔法関連のことを全部フィオナに任せるのはかわいそうだし。共稼ぎの間は家事は折半するべきだ。


 風呂場に行き、小窓から給湯魔器に触れる、そしてマナを取り込み…… 魔道具に流す! すると給湯魔器は低く呻りを上げ、勢いよくお湯が流れてきた!

 よし、これなら俺にも出来るな。三十分もすれば風呂に入れるだろう。


 さて風呂の準備が出来るまで何をするか……

 おや? リビングに戻るとチシャが真剣な表情で俺を待っていた。どうしたんだろうか? 隣ではフィオナが悲しそうな顔をしている。チシャは静かに話し始めた。


「ライ…… お願いがあるの……」


 表情は更に硬くなる。何かを決心したかのような顔付き。真剣に話を聞かなければ。


「言ってごらん」

「背中の絵…… 入れ墨のことなんだけど、今日で全部消したい……」


 全部か…… チシャは頑張っている。出会った頃は首から背中一面に奴隷専用の入れ墨が彫ってあった。それが残り十センチ四方まで減っている。


 だが入れ墨を消すには火魔法で入れ墨を焼いてから回復魔法をかけるという、かなりの痛みを伴う治療が必要だ。


 一日一回、一センチ四方を消すのが精一杯だったが、チシャのリクエストで一日三回になった。五歳前後のチシャが耐えられる痛みはそれが限度だろう。


 それ以上は激痛による発狂の恐れもある。賛成は出来ない。止めるべきだろう。


「チシャ……」

「お願い!」


 言葉を被せてくる。話だけでも聞くべきだろうか?


「お願い…… 今日を記念日にしたいの。バクーで私達、家族になったでしょ? すごくうれしかったの。でも入れ墨があると、まだ本当の家族になれない気がする。

 今日からこの家に住むんでしょ? だったら私、ライとフィオナの本当の子供になりたい。普通の子になりたいの」


 どうしよう…… この子の決心は固い。俺に止められるだろうか? 


「フィオナ、ちょっと来てくれ。チシャはここで待ってて」


 フィオナを一階客間に連れ出し、ドアを閉める。


「どう思う?」

「私もライトさんと考えてることは一緒だと思います。残りの入れ墨を消すには今までの比じゃないぐらいの痛みを伴うはず。かなり危険です……」


「そうだよな…… ちょっと怒ってでも止めるべきか…」

「止められると思いますか……?」


 無理だよな…… 幼いとはいえチシャは精神的に強い子だ。言葉は変えれば頑固なところがある。優しい子だが、我を押し通す一面もある。

 情けないが、保護者としてあの子を説得する自信が無い。


「フィオナはここで待っててくれ」

「どうするんですか……?」


「…………」


 返事も無くドアを閉める。一家の長としてどうするか判断しないといけない。再びリビングに戻るとチシャは泣きそうな顔で俺を待っていた。


「どうしても今日、入れ墨を消したいの?」

「うん……」


「今まで以上に痛いんだよ?」

「知ってる……」


「ゆっくり消していけばいいじゃない?」

「今日がいいの……」


「チシャ……」

「お願い、パパ……」


 駄目だ…… 本当に情けないが、俺にはこの子を説得するとこが出来ない。しかも久しぶりにパパって呼ばれた…… 


 やるしかないか。子供の願いを叶えるのも親の仕事の一つだよな。客間からフィオナを呼び出す。


「ごめん。今から入れ墨を焼く。準備を頼む」

「ライトさん……」


 フィオナの目には涙が浮かんでいた。それぞれ治療の準備を始める。チシャは上着を脱いで、フィオナは杖を持ち、俺はチシャにタオルを噛ませる。


 これからこの子は今まで以上の地獄の痛みに耐えなけれないけない…… 

 くそ、俺はチシャを抱きしめることしか出来ない。


 チシャを抱きしめると…… 震えてる。怖いんだ。鼻を啜る音も聞こえる。そうだよな。怖いよな。親として励ましてあげないと。


「泣くなよ。チシャは今日、俺達の本当の子になってくれるんだろ? 早く終わらせてお祝いしなくちゃね」

「…………」


 ぐすっと鼻を啜り、力いっぱい抱きついてくる。よしよし、いい子だね。みんな準備は出来たみたいだな。


「フィオナ、頼む」

「はい……」


 俺達に向かって杖を構える。いつもより少し大きい火の玉がこちらに向かってくる。

 ゆっくりと。そして……



 ―――ジュワッツ ジュワッ



 チシャの背を焼いていく……


「んー!? んぐー!」


 久しぶりの絶叫だ。普段は痛みに慣れてきたのか、ここまで叫ぶことはなかったのに。

 チシャの爪が俺の背に食い込む。だが彼女の耐えている痛みはこれの比じゃないはずだ。


「フィオナ! まだか!?」

「もうちょっとです! チシャ、我慢してください!」


くそ、やはり時間がかかる。チシャが心配だ。頑張れ!



 ―――ジュワッ ジュワッ



「んんー!? ん……」


 チシャは叫びはしなくなったものの、全身を痙攣させている。

 俺のお腹の辺りが濡れている。失禁したか。


「大丈夫だよ。後でみんなでお風呂に入ろうな」

「…………」


 落ち着かせるように優しく話しかける。それに応えるように強く抱きついて、俺の肩に顔を埋めず頷いている。頑張れ、もうすぐだぞ。



 ―――ジュワッ ジュゥゥゥ……



「お終いです! mastdalma超回復!」


 優しい光が俺達を包み、チシャの体から力が抜ける。

 きっと大丈夫、チシャは強い子だもんな。意識はあるみたいだ。頼りなくだが、自分の足で立っている。


 抱きつくチシャを離し顔を見つめる。目の焦点が合っていない…… 

 軽く頬を叩くと、緑色の綺麗な目に光が戻ってきた。


「パパ…… 背中の入れ墨は消えたかな……?」


 チシャの背中を見てみると…… そこには綺麗な肌があるだけだった。


「おめでとう。がんばったね」

「…………!」


 俺の言葉を聞いて、チシャの目から涙が溢れ落ちた。


「パパ! ありがとう!」

「はは、お礼はママにも言ってあげな。ほら、フィオナが待ってるよ」


 フィオナは杖を持ったまま両目から涙を流していた。そして杖を落とし両手を広げる。


「チシャ!」

「ママ!」


 二人は駆け寄り抱きしめ合う。泣きながらね。その光景を見て、俺も涙が溢れてきた。抱きあう二人を俺も抱きしめる。


 しばらく三人で声を出して泣いた。



◇◆◇



「わー、きもちいいー」


 チシャはお風呂を堪能している。ははは。さっきまで泣いてたのに、切り替えが早いな。


 今は三人でお風呂タイムだ。昨日はフィオナと一緒に入ったのでこの風呂の良さは既に知っている。

 リクライニングっていうのかな。背もたれが斜めになっているので楽な体勢で風呂を楽しめる。


 昨日と同じようにフィオナが抱きついてきた。おいおい、チシャが見てるぞ。


 いや、そんなつもりはないだろうな。だってフィオナは未だ涙を止められないのだから。


「どうした?」

「ううん…… なんだか幸せ過ぎて涙が止まりません…… でも今が幸せだから、やっぱり二人を失うのが怖いんです……」


 そうだよな…… フィオナは歳を取ることが出来ない。人としての精神は取り戻したが体はトラベラーのままなんだ。

 まだ先の話だろうが、チシャも大人になる。でもフィオナは今の姿まま。そしてフィオナは俺達の死を見なければいけないんだ。


「チシャもおいで」


 二人同時に抱きしめる。慰めはいらない。これからの幸せを話そう。


「これから新しい生活が始まる。この家でね。今も幸せだけど、俺達はもっと幸せにならなくちゃいけない。それに俺達はもう親だ。チシャの幸せする義務がある。悲しむのはもっと後でいい。

 そんな先のことは考えるな。それにフィオナだってもっと幸せになれるんだよ。忘れてない? もう一つやることがあるだろ?」


 きょとんとした顔をしている。フィオナらしくもない。あの事を忘れてるなんて。


「結婚式だよ。オリヴィアさんに言われただろ? 形式は何だっていいから結婚式をあげろって。ほら、涙を拭いて! これからもっと忙しくなるんだから!」

「ライトさん…… ぶぉ~ん、おんおん……」


 もっと泣かせてしまった。ははは、相変わらず変な泣き声だ。

 フィオナはしばらく俺の胸で泣いていた。でも悲しい涙ではなかった。嬉し泣きをしていた。

 これからもっと嬉し泣きをさせてあげるからな。

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