二ヶ月ぶりの我が家

「わー、高い壁だねー」


 チシャは目を丸くして王都の城壁を眺めている。ここに戻ってくるのは二ヶ月ぶりか。

 

「ライトさん、今日はまだ日が高いけど、どうしますか?」

「そうだな…… ムニンとフギンを返すのは明日でいいだろうし。とりあえずは荷物を銀の乙女亭に置いてからギルド長に報告だけ済ませておこうかな」


 ギルド長のおかげで休みも取れたしな。それに上司だ。報連相はしっかりしておかないと。


「チシャは私と宿で待ってますか? 疲れたでしょ」

「ライと一緒に行く!」


 ゆっくり休んでくれていてもいいのに。でも眠れるはずもないか。王都はこの大陸で一番栄えている都市だもんな。珍しい物もいっぱいある。ここで子供に大人しくしてろってのも酷だ。


「じゃあ、まずは俺達がいつも泊ってる宿に行くよ。しばらくはチシャもそこでお世話になるからしっかり挨拶するんだよ」

「うん!」


 輝く笑顔で答える。かわいいなぁ…… 

 でもオリヴィアって子供好きだったかな? ちょっと心配。銀の乙女亭で子連れの客って見たことないしな。


 城壁に沿って馬を走らせると正門が見えてくる。多分アイツはいるだろう。

 あ、俺に気付いたのか軽装の衛兵がこちらに走ってくる。


「ライト! 戻ったか!」


 ほら来た。王都一暑苦しく、そして俺の一番の友達、更には俺の養子でもあるグリフだ。


「おう! 二ヶ月ぶりだな。後でグウィネのところにも挨拶に行く。そうだ、今夜再会を祝って酒なんてどうだ?」

「行くに決まってるだろ! グウィネには俺から伝えておく。待ち合わせは銀の乙女亭でいいか?」


「そうだな。俺は今からギルドに顔を出すけど夜には戻る。待ってるぞ」

「楽しみだな! ん? その子はどうした?」


 チシャに気付いたか。グリフの大声に気圧されたのかフィオナの背に隠れているのだが。


「今は詳しく言う時間は無いが、俺の子だ。チシャ、こっちはグリフ。俺の……友達だ」


 グリフは戸籍上は俺の養子なんだよな。でもこんな小さい子に俺らの関係を言う必要は無いだろう。言っても理解してもらえないだろうし。


「こ、こんにちは」


 ちょっと怯えながら挨拶をする。大丈夫。恐くないよ。こいつ悪い奴じゃないから。ちょっと頭のネジがゆるいだけの単純バカなだけだからね。


「ライト…… お前いつの間にこんな大きな子供を……」


 ほら、やっぱり勘違いしている。説明するのもめんどい。後でゆっくり紹介するとしよう。


「チシャのことは後でな。じゃあ、そろそろ行くよ。夜には戻るからな。飲み会楽しみにしてるぞ!」

「お、おう。じゃあ後でな」


 門をくぐると見慣れた光景が広がる。ただいま王都エスキシェヒル。




 正門を抜け、噴水広場へ。そこから西に進むと商業区だ。愛しの我が家はもうすぐだ。

 チシャは物珍しそうに立ち並ぶ商店を眺めている。


「あれってなーに?」

「あれは公衆浴場。お風呂屋さんだね。温泉じゃないけど、バクーより大きなお風呂があるんだぞ。今度入りに来ようか」


「うん! 楽しみ!」


 でも、ここの風呂って混浴は出来ないんだよね。家族三人で風呂に入るのはしばらく出来ないな。


「あのお店は何?」


 チシャが指さす方向には見慣れない店が…… 店主は獣人か。

 でもあそこって空き店舗だったよな? 俺がいない間に店がオープンしたのだろうか。フィオナも興味深そうに店を見ている。


「ライトさん、今度あの店に行きたいです。軒先に魔道具が置いてありました」

「魔道具? そういえば獣人の国って魔道具の生産が盛んだってルージュが言ってたな。よし、時間があったら覗いてみるか」


「はい。魔道具の中には魔法以上の効果を出すものもあるんです。しかもサヴァントのものは質が高いから、きっと私達の役に立つ物があるはずですよ」

「なるほど。じゃあデートがてら行ってみようか」


「ふふ。楽しみにしてます」


 フィオナが笑顔で寄り添ってくる。おいおい、チシャが見てるぞ。


「あ! また二人が仲良ししてる! 私も!」


 チシャが俺の膝に乗ってきた。なんだこの幸福感は。

 幸せを感じながらも馬車は進む。銀の乙女亭が見えてきた。ん? あれは……

 脳筋が経営する宿には似つかわしくない女性客がワラワラと出てくる…… あ、そうか。ランチの時間か。


「美味しかったねー」

「でしょー。ここの料理は王都でも評判なのよ。それにあのカレーって料理は他のどこにも置いてないの。また来ましょうね!」


 女性客は満足そうに感想を言いつつ帰っていく。ふふ、美味しかろう。ここの料理はフィオナプロデュースの物が多いからな。美味しくて当然なのだ。


「フィオナ、ここでもカレーが食べられるの?」

「ふふ。そうですよ。とっても美味しいんです。今日はチシャの歓迎会です。いっぱい美味しい料理を出してもらいましょうね」


「やったー! 楽しみだね!」


 では愛しの我が家に戻るとしますか。銀の乙女亭に入るとオリヴィアが出迎えてくれる。


「…………」


 チシャの笑顔は一瞬で消え去った。見た目は身長二メートルを超える筋骨隆々のバケモンだもんな、この人。


「お帰り! 意外と早かったね。部屋はそのままにしてあるよ!」

「ただいま戻りました! あ、そうだ。今って大部屋より大きい部屋は開いてますか? 一人増えちゃいまして……」


「増えた? そのちっこいのかい?」


 チシャは石化したかのように微動だにしない。あ、ちょっとだけ動いた。頬がひくひくしてる。


「まぁ、部屋ならいくらでも空いてるよ。あんたらのおかげで料理屋としては大繁盛だけど、泊り客が少なくなっちまったんだ。値段はそのままで一番大きな部屋を用意してやるよ。あんた、名前はなんてんだい?」


 にっこり微笑むオリヴィア。超こわい…… チシャ泣くんじゃないかな?


「ちちちち、チシャっていいます。よよよよ、よろしくお願いします……」


 はい、がんばりました! どもりながらもしっかり挨拶をする愛娘。後で誉めてあげよう。

 その前にオリヴィアが腰を屈め、チシャの頭を撫でる。優しく触ってくださいね。首の骨とか折らないでくださいよ……


 オリヴィアはチシャをひとしきり撫で終えてから、俺に話しかける。


「ライト、この子をしっかり育ててあげるんだよ。チシャ、自分の過去なんて気にしちゃいけない。ここはアルメリアだ。あんたの身分なんて気にする奴なんていないから安心するんだよ」


 え? 俺、チシャのことを一言も言ってないのに…… なんでオリヴィアはチシャが奴隷だったことが分かったんだ?


「不思議そうな顔するんじゃないよ。あんたバクーに行ったんだろ? それで人族の子供を拾ってくるなんてね。分かる奴には分かるよ。あの国はこの大陸で唯一奴隷制度がある国だからね。それにほら、これをごらん」



 ―――バサッ



 オリヴィアは後ろを向いて上着を脱いだ。そして後ろを振り向いて、背中を俺達に…… え? 何だこれは!?


 オリヴィアの背中…… 火傷の痕だろうか。酷い傷だ。それが背中一面に……


「入れ墨を焼いた痕さ。私もチシャと同じ立場だったんだよ。まぁ私は戦奴として売られてたんだけどね」


 そんな過去があったなんて…… 言葉が無かった。いつも豪快なオリヴィアだが、きっと想像がつかないような過去を背負ってるんだな。

 彼女は服を着直して再びチシャに話しかける。


「あんたの気持ちは分かるよ。でも負けちゃ駄目だ。生きていれば今よりもずっと幸せになれる日が来る。それにライトもフィオナもあんたを助けてくれる。だから真っすぐに生きるんだよ」

「私は大丈夫だよ! もうすごく幸せだもん! だってライとフィオナは私のパパとママになってくれたんだよ。私を守ってくれるし、美味しいごはんも食べさせてくれるの!」


 チシャの目にはもう怯えの色は見えない。オリヴィアが真剣にチシャに向き合ってくれたのを理解したのだろう。


「ははは! そうか、あんたは強い子だね!」

「うん! あ、背中痛くないの? ねぇ、フィオナ。オリヴィアさんの背中治せる?」


「もちろん。オリヴィアさん、傷一つ無い皮膚に再生することが出来ますが、治療しましょうか?」


 フィオナは杖を取り出すが、オリヴィアはちょっと困った顔になる。


「止めておくよ。この傷はね、私が自由を勝ち取った勲章みたいなものなんだ。それにうちの旦那はこの傷を美しいって言ってくれるのさ。私の強さの象徴だってさ」


 ローランド…… 中々かっこいいこと言うじゃないか。


「チシャ、お腹減ってないかい? 何か作ってあげるよ。ライト、ちょっとこの子を借りるよ。部屋は二階を上がって一番奥の大部屋を使いな」


 オリヴィアは片手でひょいっとチシャを抱きかかえる。


「すごーい! ライに抱っこされるより高いね!」

「はは! そうかい! 今日からここがあんたの家だ。困ったことがあったら何でも言うんだよ!」


「私の家…… じゃあ、ただいまって言わないとね! ただいまオリヴィアさん!」

「ああ! お帰りチシャ!」


 二人は嬉しそうに厨房に消えていった。俺も嬉しい。あの子が歓迎されている。


 フィオナが寄り添ってくる。ん? どうした、そんなかわいい笑顔しちゃって。


「ライトさん、お帰りなさい」


 はは、なるほど。二人に感化されたな。


「あぁ。ただいまフィオナ」


 優しくフィオナの肩を抱く。

 ただいま愛しの我が家よ。俺は帰ってきたぞ。

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