何もない休日 其の一
王都への帰り道。私達は東へと馬車を走らせます。もうすぐこの旅も終わりですね。少し寂しいです。
ふふ、寂しいだって。おかしいですね。ついこないだまでそんなこと思ったこともないのに。
私の隣ではライトさんが手綱を持って馬車を操作しています。チシャはキャビンに入ってお昼寝中。私はやることがありません。ちょっと退屈です。
そんな私に気付いたのかライトさんが話しかけてきました。
「どうした?」
「ううん。何でもありません。気にしないでください」
ライトさんと二人きりですし、せっかくだから普段話さないことでも聞いてみましょうか。そうですね……
「ライトさんは何か食べられないものはありますか?」
ふふ、なんてくだらない質問をしているのでしょう。私が人であったことを思い出す前はこんなこと聞こうともしなかったのに。
「食べられないもの? そうだな…… 特に好き嫌いは無いよ。でも食べた事がない物はあるね」
ライトさんは何でもよく食べます。何かを残すというのは見た事がありません。その食べっぷりは見ていて気持ちがいいくらいです。
そんなライトさんが食べたことのないもの…… ちょっと興味がありますね。
「何ですか? ライトさんが食べたことのないものって」
「魚なんだ」
え? 意外な答えでした。だってライトさんの故郷の近くには大きな川があって、マスやウグイが泳いでいたのを見た事があります。川魚は貴重な食料だし、食べたことがないなんて。
前にグウィネ達と旅をした時、みんなでウナギを食べたことがあります。これはどういうことでしょうか?
「本当ですか?」
「あぁ。でも川魚はよく食べてたよ。俺が食べたことがないのは海の魚なんだ」
なるほど。そういうことですか。今の話を聞いて一つ思いついたことがあります。
昨日ラーデに泊まった時、ルージュさんとパジャマパーティをした時でした。チシャが寝た後に二人で話したんです。こんなことを……
◇◆◇
『ふふ、フィオナさんも結婚したのね。おめでとう。そういえば二人は新婚旅行とか考えてるの?』
『いえ…… 今は特には。でもそのうち行けたらバクーの温泉にでも行けたらいいですね』
『バクーもいい所よね。でもね、いい所があるの。フィオナさんには特別に教えてあげる。じつは閣下と二人でお忍びでよく行くところなの。ラーデから南に行ったところにあるウェルバ村。近くに海があってね。コテージもあるの。私と閣下専用の。良かったら行ってきなさいよ』
『海ですか…… ちょっと興味あるかも』
『私はしばらく行けそうにないから遠慮しないで。そうだ! 良かったら水着を持っていって! 私はこんなお腹だから着れないしね。行かないにしても水着なんて持ってないでしょ? いつかは着ることもあるかもしれないわよ』
『ありがとうございます。この水着…… すごくかわいいですね』
『ふふ、かわいいだなんて。フィオナさんって本当にトラベラーなの?』
◇◆◇
幸いにして水着は手元にあります。チシャの水着もルージュさんの姪のお古を貰いました。一応ライトさんの水着としてカイルさんの水着を渡されました。
せっかくなので、みんなで海に行ってみたいです。ちょっとライトさんに提案してみましょう。
「ねぇライトさん。まだ日程には余裕がありますよね?」
「そうだな…… 今日は菜月の二十日だから、休暇が終わるまで後十日はあるな」
十日…… ムニンとフギンがいれば少し寄り道しても充分に間に合います。
「王都に帰る前に海に行ってみませんか? せっかくです。親子水入らずで過ごしたいんです」
「海か…… でも水着なんて持ってきてないしな」
「水着ならあります! ライトさんの分も! ねぇ行きましょう。海に入って、魚を釣って。きっと楽しいですよ」
「いつの間に水着を…… まぁいいか。海だったらこのまま南に向かえばいいのか?」
やりました! これでみんなと楽しむことが出来ます。ライトさんは私の案内で馬車を南に走らせます。ムニン、フギン! がんばって走ってくださいね!
私の願いが通じたのか、二匹は猛烈な勢いで走ります。日が暮れる頃には辺りに潮の香りが漂ってきました。
ルージュさんが言うにはこの近くに…… ありました! そこにはひっそりとたたずむコテージが!
「ライトさん! あそこです!」
「分かった。ふー、今日はベッドで寝られそうだな」
ライトさんは馬車を止め、チシャをキャビンから抱き起してきました。私はルージュさんから預かった鍵を使ってコテージの戸を開けます。
そこには……
綺麗なリビングダイニング。
寝室は二部屋。
暖炉の前には大型の魔物の毛皮が敷かれています。
「わー! すごーい!」
チシャはライトさんの腕から飛び降りて、部屋の中を駆け回ります。
「ふふ、落ち着いて。埃が立ちますよ」
「はーい! ねぇフィオナ! 今から海に行こうよ!」
気持ちは分かるけど、もう夜ですよ。今日はゆっくり休みましょう。私の気持ちを代弁するかのようにライトさんがチシャを諭してくれました。
「海は明日な。お腹空いたろ? 今日はごはんを食べて早めに休もうか」
「分かったー。でも明日はいっぱい遊ぼうね!」
ふふ、チシャはいい子ですね。でも実は私もワクワクしてます。早くみんなで海に入りたいです。
私達は夕食の支度に取り掛かろうとしましたが…… 食料はありますが、せっかくだし海の魚が食べたいです。
確かウェルバ村はこの近くにあるはず……
「ねぇ二人共。せっかくだから魚を食べに行きませんか? まだお店は開いてるはずですよ」
「「賛成ー!」」
二人が声を揃えます。んふふ、おかしいですね。チシャはともかくライトさんも子供みたいにいい笑顔をしています。かわいいです。
私達は荷物を置いて、再び馬車に乗りこみました。十分も走るとウェルバ村が見えてきます。村といってもかなり賑わっていますね。町と言った方が正確かもしれません。
「フィオナ! あそこにしよう!」
ライトとが指差す方には一軒の食堂が。みんなで食堂に入ると猫獣人の女将さんが出迎えてくれました。
「いらっしゃいませ。あらあら、人族のお客様なんて珍しい。ようこそ、サナ食堂へ。どうぞ、こちらに」
席に案内され、メニューを渡されます。でも何だかよく分からない名前が並んでますね…… 何を頼めばいいのでしょうか? 私が迷っているとライトさんが女将さんに注文を始めます。
「一万オレンで適当に見繕ってください。あ、それと米がありますね! ごはんを三人前お願いします!」
米!? メニューを見ると、確かに下の方に書いてありました。
そういえば米はサヴァントの南方で作られてると聞いたことがあります。この付近でも出回ってるんですね。嬉しいです。
注文を受けた女将さんが下がっていきます。ふふ、どんなお料理が来るんでしょう。楽しみです。
ふとテーブルに乗っている調味料が目に入りました。瓶に入った黒い液体です。
しょっぱくて…… でも懐かしい味。魚醤より癖がなくて、美味しい……
しばらくすると女将さんが料理を持ってやって来ました。大皿と器に盛られたごはんを並べます…… あれ? これって生の魚ですか? 魚を生で食べるなんて……
「ふふ、その顔。まだ生の魚を食べたことがないのね? 美味しいわよ。そこにあるガルムに付けて食べるの。米とよく合うわよ」
「この調味料が
「うふふ。そうね。原料が違うの。普通ガルムは魚から作られてるでしょ? この地方では大豆と塩でガルムを作るのよ。魚醤より癖がなくて美味しいの。よかったら買っていってね。カウンターで販売してるから」
女将さんは一礼して仕事に戻っていきます。ライトさんもガルムの味に驚いていました。
「へぇー…… 所変われば品変わるだな。せっかくだ。生魚を食べてみるか」
ライトさんは魚の切り身をガルムに付けて一口…… 驚きの表情に変わります。
「美味い! これは美味いぞ! フィオナ! チシャ! 食べてみな!」
そんなに美味しいのですか? 私も切り身をガルムに付けて一口……
あ……
美味しい……
美味しさのあまり思考がまとまりません。
茫然とする中、二枚目の切り身をガルムに付けて口に運びます。咀嚼しつつごはんを一口……
ここは天国なの……?
器の中のごはんはあっという間に無くなってしまいました。
私達は夢中で魚とごはんを食べ続けます。
四杯目のごはんと大皿の魚の切り身が無くなってしまいました。
お腹いっぱい…… もう食べられません……
「美味かったな。これが海の魚か。二人共、また食べに来ような!」
「はい!」
「うん!」
今度は私とチシャが声を揃えて返事をします。
さぁ帰らないと。お腹がいっぱいで眠くなってしまいました。
会計を済ませる時に店にあるガルムを全部買っていくことにしました。女将さんはびっくりしてましたね。
コテージに着いたら、体を布で拭いてからベッドに入ります。
ライトさんの耳を噛みながらお魚のことを思い出します。
美味しかった…… また食べに行きたいですね……
眠りに落ちる前に心の声が聞こえてきました……
―――お刺身、美味しかったな……
あの料理はオサシミって言うんですね…… 覚えて……おきます……
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