帰り道 其の一

「らんららーん」


 チシャが鼻歌交じりに手綱を握る。バクーでやることを終わらせ、俺達はアルメリアへの帰路に就く。

 だが日程に余裕があるのでゆっくりと帰ることにした。

 途中で獣人の国サヴァントを通るので、次いでにカイルおじさんのいるラーデに寄っていくことにしたのだ。


 スレイプニルのムニンとフギンは手綱を握るのがチシャと知るとゆっくりと走るようになる。ほんと賢い馬だな。


「ライー。サヴァントでは何をするの?」

「あぁ、俺の友達にフィオナとチシャを紹介したくてね」


「獣人? 毛がいっぱい生えた人のこと?」

「そうだね、色んな人がいるかな。毛がいっぱいの人もいれば、チシャとあまり変わらない人もいるよ」


「私、毛がいっぱいの人に会いたい! ねぇ、触っても怒らないかな?」


 おじさんなら大丈夫だろう。俺は散々いたずらしてよく殴られたが。触るぐらいなら許してくれるだろ。


「多分大丈夫だと思うよ。あまりいたずらしなければね」

「いたずらってどんな?」


「そうだね、耳を裏返したりとか、毛を逆なでしたりとか、生の玉ねぎを食べさせたりとか、肉球に絵を書いたりとかしなければいいんじゃないかな?」

「ライトさん…… よくそこまで犬の嫌がることを知ってますね……」


 フィオナはあきれ顔だが、こんなのはまだ序の口だ。おじさんにはもっと凄いことをしたことがある。


「そんなことしないよ。優しく頭を撫でてあげるの!」


 そうか。それならおじさんも喜んで頭を差し出すだろう。こんなかわいい子のお願いなんだ。きっとおじさんもメロメロになるに違いない。


「ライトさん、もうすぐ日が暮れます。野営にしますか? それともヤルタも近いからそこで一泊でもいいですけど……」


 ヤルタか…… いい町ではあるんだがチシャが攫われた町でもあるんだよな。いい思い出と悪い思い出が混在している。


 迷うな。フィオナはちょっと行きたそうな顔をしている。温泉だな……? 

 ヤルタは鉄を多く含む赤い温泉で有名だ。雪猫亭もなかなかいい宿だったし。


「チシャ、今日はどうしたい? ここで野営かヤルタの……」

「ヤルタで温泉入る!」


 被せてきた…… ははは。強い子だな。嫌な思い出より自分の欲求を優先か。


「よし、じゃあヤルタに向かう! チシャ、手綱を貸して。それムニン、フギン! 急ぐぞ!」

『ヒヒィーン!』


 二匹は全力で走れることが嬉しいらしく、元気良くヤルタの町に向け走り出した。



◇◆◇



 ヤルタの町に着く頃にはすっかり暗くなっていた。


 俺達は以前宿泊した雪猫亭に入る。少々お高いが内風呂があるので今回もここに泊ることにした。


「いらっしゃいま…… ライト様! また来てくれたんですね!」


 髭の女性従業員が声をかけてくれる。覚えていてくれるのはありがたいんだが、俺はドワーフの見分けがつかない。みんな同じ顔に見える。

 誰でしたっけってのもバツが悪い。ここは大人の対応で……


「はい、今回もお世話になろうと思います。内風呂がある部屋は空いてますか?」

「はい、もちろん! ご案内いたしますね!」


 前回と同じ部屋に通された。さて、ゆっくりしますか。ベッドに腰をかけたら、従業員が話しかけてきた。


「ライト様はこれからアルメリアにお帰りのご予定ですか?」

「はい、そうですが何か?」


「そうですか…… 実は国境付近で盗賊ギルドの残党が出没しているようです。どうも狙いは人族らしく、被害が増えています。ライト様もどうかお気を付けて……」


 そう言ってドワーフは下がっていった。盗賊ギルドか。懲りない奴等だな。ふと手をぎゅっと握られる……


「怖い……」


 チシャが不安そうな顔で俺の顔を見上げる。俺とフィオナは腰を落としてチシャを抱きしめた。大丈夫だよ。


「心配無いよ。約束しただろ? チシャは必ず守るって」

「そうですよ、ライトさんはとっても強いから心配ありません。悪い人はみんなやっつけてくれますよ」


 あれ? 君も充分強いと思うんだが…… でも家族を守るのはお父さんの仕事だ。娘を怖がらせる奴は許さん!


「まかしとけ! 悪い奴等はクシャクシャのポイっだ!」


 そう言って力こぶをチシャに見せると、キラキラした視線を送ってくれた。

 よし! お父さん、がんばっちゃうぞ!


 適当に夕食を済ませ、風呂に入る。でもその前にチシャの入れ墨を消さないと。

 いつも通りフィオナの魔法がチシャの背を焼いていく。


「いたーいっ!」


 これで今日最後の治療が終わった。痛みに慣れてきたのか、タオルは噛まずに治療に耐えている。強い子だ…… 

 今日で入れ墨は三分の一程度を消すことが出来たのかな? 


「はい、よく頑張りました! じゃあ、みんなでお風呂に入りましょ」

「うん!」


 二人は勢いよく服を脱ぐ。風呂が楽しみとはいえ、いきなり真っ裸になるとは。


「チシャはいいとして、フィオナはもうちょっと恥じらいを持ったほうがいいかと…… 俺もいるんだからさ」

「え…… んふふ、ライトさんのエッチ」

「あはは、ライのエッチー」


 ははは、何言ってんだよ。ふざけるのはこれぐらいにしよう。


 俺も服を脱いで庭にある露天風呂に向かう。頭を洗って、体を洗って。

 それじゃ入るかな。


 俺が湯船に浸かろうとしたその横をチシャが駆け抜けていく。勢いよく飛び込んだと思ったら……



 ―――トプンッ……



 そのまま湯船の中へと沈んでいく。


「ぷぁっ!? ふかーい! ライ、たすけてー!」


 そうだ、ここの湯船はチシャには深すぎるんだった。抱き寄せて膝に乗せる。

 フィオナもそれに乗じて俺の膝に乗ってきた。


「うえー、しょっぱいよ。甘いお湯だったらよかったのに」


 ここの温泉は鉄を多く含んでいるのか、赤い色が付いている。飲泉としても知られているようだが好んで飲むような味じゃない。


「ふふ。ここのお湯は薬みたいなものですから。美味しいお薬なんてないでしょ?」

「へー、どんなお薬なの?」


「たしか、効能は貧血とか産後の肥立ちにいいとか……」


 あれ? ちょっとフィオナの表情が暗くなる。何かあったのか?


「どうした?」

「ううん…… そういえば私、子供が出来ないと思って…… 中身は人間でも体はトラベラーですから。ライトさん、ごめんなさい……」


 そんなこと気にしてないのに…… 

 そりゃ俺達の間に子供が出来たらどんなに嬉しいことか。でもどうして子供が出来ないのだろうか。元は人間なんだろ? 


 ちょっと聞いてみるか……


「ごめんな。答えなくてもいいけど、トラベラーに子供が出来ない理由って分かる?」

「…………」


 フィオナが俺の耳元で小声で囁く。チシャに聞こえないように。


「生理が来ないんです。多分体内時間が止まってるせいですね。この世界に来て三十年経ちますが、私歳を取ってませんから」


 そう言って少し悲しそうな顔をした。目には涙が浮かんでいる。


「フィオナは赤ちゃん出来ないの?」

「はい、そうなんです。チシャは弟か妹が欲しいですか?」


「ちょっとね…… でもライとフィオナがいれば寂しくないよ!」


 そう言ってフィオナに抱きついた。ほんといい子だわ。でもチシャがお姉ちゃんか。想像してみた。きっと面倒見のいいお姉ちゃんになるに違いないな。


 しっかり温まったので風呂を出る。今日はやることは全てやった。後は寝るだけだ。部屋は一つしかないので、今日は大人しく寝るとしますか。


 前回は風呂で仲良くしてたのがバレたからな……


 少しするとチシャの寝息が聞こえてくる。俺も寝るか。


「ライトさん…… 起きてますか……?」


 フィオナの声も聞こえてきた。チシャ越しに見るフィオナの顔……


 月明かりで薄っすら顔が見える。泣いてるのか?


「起きてるよ。どうした?」

「少し話したいんです。お風呂に行きませんか?」


 無言でベッドを抜け出す。チシャを起こさないようにして……


 ちょっと眠いがフィオナのお誘いだ。断る訳にはいかん。でもアレのお誘いじゃないよな。泣いてたし。


 二人で温泉に浸かると、フィオナが膝に乗って抱きついてきた。


「ごめんなさい。さっきの話なんです。ライトさんは自分の子供欲しいですか?」


 しくしく泣きながら聞いてくる。


「そうだね。正直言うと欲しい。でも出来ないのであればしょうがないよ」

「ごめんなさい…… 本当にごめんなさい…… 私、ライトさんに赤ちゃんを抱かせてあげたかった……」


 フィオナの心が人に戻ったことは理解していたつもりだった。彼女の全てを受け入れることが出来る。


 だが男の俺が子供が出来ない辛さを完全に理解してあげることが出来ない。


 実は俺も本当は下に弟か妹が出来る予定だった。ちょっとしたことで流れてしまったみたいで。母さんは一ヶ月泣き続けていたのを覚えている。


 ちょっと恥ずかしいけど、父さんと同じことをするか。


 フィオナの顔を優しく触りキスをして、しっかりと抱きしめる。ちょっとびっくりしたみたいだ。

 少し抵抗を感じたので深めのキスをすると、次第と体の力が抜けていく……


「ん…… ライトさん……?」

「俺にはこんなに美しい妻がいる。かわいいチシャもいる。これ以上幸せになったら神様に嫉妬されちゃうよ。俺にはこれで充分さ」


「ライトさん……」

「ははは、そんな顔するなよ。それにこれ以上かわいい子供が出来たらどうする? 例えばフィオナにそっくりな女の子が出来たら? 

 俺、絶対その子に浮気しちゃうよ? それでもいい?」


「嫌です……」


 ちょっとムスっとした顔をした。また強く抱きしめる。


「だから今のままで満足だよ。それに俺は甲斐性無しだ。フィオナとチシャを幸せにするので精一杯だよ。これ以上俺を頑張らせないでくれ」

「ぐすん…… ふふ、ありがとうございます。ちょっと気持ちが楽になりました。でもライトさんはもっと頑張らなくちゃダメです。もっと私を幸せにしてください」


「そうか、俺はもっと頑張らなくちゃいけないのか。どうすればフィオナをもっと幸せに出来る?」

「それじゃ……」


 フィオナはちょっと頬を赤く染めてから立ち上がる。


 前回同様、壁に手をつき俺を誘う。でも前はチシャに仲良くしてるのがバレたんだよな。


 後ろからフィオナを抱きしめる。彼女は口に手を添えて声が漏れないように……


 パシャパシャとお湯が弾ける音だけが響いた。






 ひとしきり燃え上がった後、静かにベッドに入る。チシャを起こさないようにコッソリとね。



「ライトさん…… 愛してます……」



 俺もだ。フィオナ、愛してるよ。



 ふあぁ…… もうすぐこの国とお別れか。目指すは獣人の国サヴァントの首都ラーデ。

 でもその前に、もしかしたら盗賊ギルドの残党が襲ってくるかもしれない。気を付けなくちゃ。



 愛しい家族を守らない……とな……


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