絶望
「フィオナ! どうした!? 大丈夫か!?」
「あぁ…… あぁぁぁ……」
俺の腕の中でフィオナが震えている。一体どうしたというんだ? 風呂から出て床に就く前にチシャが俺達にプレゼントをしてくれた。お揃いのネックレスだった。
それを受け取った途端にこれだよ。
フィオナは声を出して泣いている。悲しみの感情を発露した彼女は泣くことが増えた。
でもこの表情は……
悲しみじゃない。恐怖だ。
フィオナは恐怖を感じて泣いているんだ。
「う…… うあぁぁ……」
言葉にすること無く泣き続けるフィオナ。チシャが心配そうな表情をしている……
「フィオナどうしたの……? わたしが変なお願いしたから泣いてるの……?」
それは絶対に違う。俺もフィオナもチシャを愛している。出会ってまだあまり時間は経っていないが彼女は俺達にとってかけがえのない存在になった。
その子が俺達に親になってくれとお願いする。こんな嬉しいことはない。フィオナだってきっとそう思っている。
心配するな。困惑しているチシャを抱き寄せる。
「大丈夫だよ。フィオナはきっと嬉しくって泣いてるだけなんだ。落ち着くまでそっとしておいてあげようね」
「うん……」
嘘をついてしまった。チシャはその嘘に気付いているだろう。でも今はフィオナが落ち着く時間が必要みたいだ。
「ごめん。今日は一人で寝られる? 俺はフィオナを見てるよ」
「分かった…… お休み、ライ。お休み、フィオナ……」
後ろ髪引かれるようにこっちを振り向きながらチシャは隣の部屋に行った。ごめんな。明日は一緒に寝てあげるから。
二人きりになりフィオナを抱きしめるが、震えは止まらない。本当にどうしたんだよ……?
今は話を聞くことも出来ないだろうな。優しく抱きしめて頭を撫でてあげた。
すると意識を失うようにフィオナは眠り始める。彼女をベッドに寝かせ、俺も横になる。
彼女の顔には涙の跡がくっきりと残っていた。恐がらなくていいよ。眠るフィオナの頬を触る。今日はずっと一緒にいてあげるからな。
それにしてもフィオナが恐怖を感じるなんて……
ん? 恐怖? そうだ。アヴァリでアイシャが俺に言った言葉を思い出した。
このまま感情を発露し続ければ恐怖を感じるようになるかもしれないと言っていたな……
恐らくフィオナは楽の感情に目覚めた。喜怒哀楽、全ての感情が揃ったことになる。
思考が人間に近くなり、それと同時に恐怖を感じるようになったのだろうか。
あくまで推測に過ぎない。話が聞けない今は考えてもしょうがない。
恐怖を感じているなら、せめて目が覚めたら笑顔でおはようを言ってあげよう。
俺も目を閉じるが、中々眠れなかった。俺が眠ったのは明け方近くになってからだった。
◇◆◇
―――チュンチュン
鳥の声で目が覚める。爽やかな朝……ではない。フィオナが俺の腕の中で泣いているのだから。
「おはよう…… 気分はどう……?」
「うあ…… うあぁぁぁ……」
まだ駄目か。そうだ。美味しい朝ごはんを食べれば気分が変わるかも! 調理を始めようとベッドから起きだすと……
「そばにいてください……」
俺にすがりつく…… 駄々をこねる子供のようだ。
フィオナが起きたのを察したのか、チシャも起きてきた。
「フィオナ……」
心配そうにフィオナを見つめる。この子にもごはんを作ってあげなくちゃ。
「ちょっとフィオナを見ていてくれないか? 俺は食事の準備をしてくるから」
「うん……」
チシャはフィオナに抱きついて頭を撫でる。フィオナはしくしくと泣き続けていた。
とにかく何かお腹に入れないと。泣き続けるのも力がいるからな。簡単なスープとパンを焼いて朝食の準備をする。
お盆に料理を乗せベッドで泣き続けるフィオナのところに持って行った。
「ほら、少しでも食べて。何かお腹に入れないと体壊れちゃうよ。チシャも食べなさい。俺はフィオナに食べさせるから」
フィオナから解放され、チシャはテーブルに用意された料理を食べ始める。
俺はスープをフィオナの口に運ぶ。フィオナは泣きながらも食べてくれた。だが食事が終わると再び声を出して泣き始める。
「フィオナ、大丈夫かな……?」
食事を終えたチシャがフィオナの様子を見ている。その顔には薄っすらと隈が出来ていた。この子もあまり寝てないんだ。
そうだよな。大好きなフィオナが大泣きしてるんだ。心配して当然か。
「寝てないんじゃないか? 今日はやることが無いから、寝ててもいいよ」
「やだ…… フィオナのそばにいる……」
そう言ってフィオナに寄り添う。チシャは優しいな。でも眠気には勝てないようで次第と船をこぎ始める。
「ほら、無理しないで。少し寝てきなさい。俺がフィオナを見てるから」
「うん……」
チシャは眠い目を擦りながら隣の部屋に行く。それじゃ俺が出来ることをするか。
とは言ってもフィオナを抱きしめることしか出来ないけどな。ごめんな、こんなことしか出来なくて。
一時間程経った頃だろうか。フィオナの泣き声が止んだ。震えは止まって、嗚咽も聞こえない。
彼女は俺の顔を見上げる。目が真っ赤だった。
「はは。酷い顔だよ」
冗談交じりに言ったら、少しだけフィオナの顔に笑顔が戻る。
「ふふ…… ごめんなさい……」
久しぶりにフィオナの声を聞いた気がする。よかった。今なら会話は成立しそうだ。話を聞かないと……
「辛いかもしれないけど話せる?」
「はい…… でもまだ恐いんです…… ライトさん、強く抱きしめて…… 私を離さないで……」
「喜んで」
ぎゅっとフィオナを抱きしめる。少しは安心させられたかな?
「ありがと……ございます…… ライトさんは温かいですね……」
フィオナはぽつぽつと話し始めた。
「私、最後の感情…… 楽の感情に目覚めたんです……」
思った通りだ。これで全ての感情が揃い、フィオナは人間と同じ思考を得ることが出来るようになったんだ。でもそれで何を怖がる必要があるのだろう?
「想像出来たんです…… チシャからネックレスを貰った時に…… 私達が家族になって…… 私が子供を産んで……」
話を聞くだけなら幸せな想像だ。分からない。これのどこに恐がる要素があるのか。
「思い出したんです…… 私…… 元々は人間だった……」
え? どういうことだ? 理解出来ない。
だってフィオナはトラベラーだ。人のような姿はしているが人外であり、不死の存在。肉体としての死を迎えても異世界へ渡り復活する。
そんな彼女が元は人間?
「ごめんなさい…… 私はトラベラーになったんです。どうやってなったのかは思い出せないけど…… でも…… それだけは思い出しました……」
フィオナが再び震えだした。涙が美しい瞳から溢れ出す。
次の瞬間、見慣れた顔が怒りと哀しみ、そして恐怖で歪む。
「恐いんです! だって! だってライトさんと私、同じ時間で生きることが出来ないんです! ライトさんが死んだら私一人ぼっちになっちゃうんです! ライトさんも! チシャも! グリフも! グウィネも!
みんな死んじゃうんです! 嫌です! 私を置いてみんないなくなっちゃうなんて!」
フィオナが恐怖を感じる理由はこれか。かける言葉が見つからなかった。
トラベラーに死という概念は存在しない。それはアモンとの戦いで立証済みだ。
事実フィオナは一度アモンに殺されている。俺がマナを使って彼女を復活させた。
契約していない場合、トラベラーは肉体としての死を迎えたら、異世界へと旅立つ。アイシャもそうやって旅立っていった。数多ある三千世界のいずれかで彼女は生きているのだろう。
「ライトさんが死んで…… 契約が切れて…… それで私も死んで異界に渡ったら…… 私、ライトさんのこと忘れてしまいます! 嫌です! ライトさんのことを忘れたくありません!」
そうか、そういえばトラベラーは異世界に行くときに記憶を失うんだった。
慰める言葉が見つからなかった。
彼女はこれから無限とも思える時間を孤独に生きていかなければいけない。
例え今が幸せでもそれは彼女にとっては一瞬の出来事なのだろう。
俺達が死んで彼女は一人世界に残される。
そして俺達との思い出も異世界へ渡るときに消去される。
―――絶望
その言葉が思い浮かんだ。フィオナは今、絶望の淵にいる。
「恐いよ…… 私を一人にしないでください……」
絶対の孤独……
俺はフィオナを救うことが出来るのだろうか……
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