盗賊ギルド
「ムニン、フギン。止まりなさい」
『ヒヒィーンッ』
二匹は雄々しく嘶いてから、その歩みを止めました。
太陽が真上にあります。正午ですね。
私とデュパはチシャが拘束されている可能性がある盗賊ギルドの拠点、セト山の麓の洞窟に到着しました。
ライトさんは奴隷商人の館に潜入している頃でしょうか?
「フィオナよ。お主は剣は使えるか? 恐らくじゃが内部は狭い。なるべく魔法は使わず、隠密に事を進めるぞ」
「問題ありません」
腰から護身用のダガーを取り出します。あまり高価なものではありませんが、ライトさんが私に持たせてくれたのです。
お揃いのデザインなのでとても気に入っています。
「わしが先行しよう。ついてこい」
先を歩くデュパの後をついていきます。
チシャ…… 無事でいてくださいね……
そのことばかりが頭を過ります。
何故でしょう? つい最近知り合ったばかりの人族の少女に、何故私はこんなにも執着しているのでしょう?
歩みを進めながら思い出してみました。
初めてチシャを見たのはファロの町の前。
ドワーフのキャラバンが襲われている時でした。後で分かったのですが、チシャはルバイスという鉱夫の奴隷でした。
鉱脈を見つけるチシャの力を利用していたルバイスは、盗賊ギルドの連中に殺されたのです。
チシャを保護し、介抱する過程で彼女の素性を聞きました。
人としての尊厳を奪われ、道具として扱われ、殴られ蹴られ……
思い出すだけで、怒りが湧いてきます。
一昔前までの私ならこの話を聞いても何も感じなかったはずです。
でも今の私は喜、怒、哀の感情を発露しています。思考が人間に近くなっているのです。
チシャの話を聞いて、私は流れ落ちる涙を止めることが出来ませんでした。
この子にも私が感じている幸せを感じてもらいたい。そう思ってしまいました。
ファロの町について三人で温泉に入ることになり、チシャの体を洗ってあげました。
チシャはお風呂に入ったことがないので、湯船に浸かるのに戸惑いを覚えていました。
私はチシャを抱きかかえ湯船に浸かります。彼女が抱きついてきた時、喜びを感じました。
湯船に浸かりながらチシャは私の胸を顔を埋めて、そしてそのまま眠ってしまいました。
そんなチシャを見て、私は思ってしまいました。
子供が欲しい。
ライトさんがチシャの父親で、私が母親。
そんな想像をしてしまいました。
その時です。
―――ピシッ
ガラスにひびが入るような音が聞こえました。私には分かります。
もうすぐ新しい感情が発露すると。
お風呂から上がりチシャを寝かせると、何故か欲情してしまいました。
ライトさんとの間に子供が欲しい。その気持ちを抑えることが出来ず、ライトさんを求めてしまいました。隣の部屋にはチシャがいるのというのに。
私が果てを迎えると同時に悲しみが胸の中に生まれます。私はトラベラー。人とは違います。子を成すことは出来ません。
悲しみが私を支配する。この悲しみを埋めるべく何度もライトさんを求めてしまいました。
再度果てを迎えると、ライトさんが質問をしてきます。チシャの入れ墨を消すことが出来ないかと。
やれないことはありませんが、消す際はかなりの痛みを伴います。
皮膚を焼いてから魔法で再生する。大の大人でも途中で投げ出してしまうほど過酷なもの……
幼いチシャが耐えられるか心配でした。
ヤルタに向かう途中で入れ墨を消す治療の説明をすると、チシャは治療を受ける決心をしました。
その際、入れ墨が消えれば三人で温泉に入れるねと言います。涙が溢れてきました。
こんな幼い子供が、ただその理由で地獄の痛みに耐えようとしている……
初めての治療を終えるとチシャは失神してしまった。もしチシャが次回の治療を拒否しても、それはしょうがないことだと私は思いました。
でもチシャは翌日もこの治療を受け入れます。しかも痛みに耐えきってみせたのです。その姿を見た私から再び涙が溢れました。
チシャはそんな私を見て、私を慰めてくれました。チシャを抱きしめると、胸に暖かさが灯ります。
そしてヤルタに到着し、チシャはいなくなりました。目の前が真っ白になりました。
喪失感が私を支配しました……
チシャ…… どこにいったの?
私に約束を守らせてください。
あなたを守るとライトさんと私で約束しました。
お願い。無事でいて……
「止まれ」
デュパが私を止めます。
洞窟の先には簡素な木のドアがありました。この先に敵は潜んでいるでしょう。
ナイフを構え、ドアに耳を当てます。
『あの娘が金のなる木だってのか? 俺には信じられんが』
『でもよ、ルバイスが鉱脈を当て続けたってのは事実だぜ。眉つばかもしれんが何かしらの力があるんじゃねぇか?』
『だといいがな。ボスが高い金払ってリコんとこから買ってきたんだろ? 金の無駄にならなけりゃいいがな』
『もしガセだったらあの子の命は無いな。でも殺す前に俺達にあの子くれねぇかな』
『お前、女ならなんだっていいのかよ? この変態が』
『そういうなって。俺が飽きたらお前にも回してやっからよ!』
『お前と兄弟になるつもりはねぇよ』
二人…… いや三人ですね。
それにしても彼等は……
下種な会話をしています。怒りが胸に宿ります。
チシャを拐った挙句、幼いあの子の体を求めるようなことなど許すことが出来ません。
―――コロシマス
あの子を傷付けようとするような奴らを生かしてはおけません。
ドアに手をかけてオドを練ります。
本来なら閉鎖空間で魔法を使うべきではありません。誤爆や崩落の危険性があり、更に音が響くので敵に気付かれる可能性があるからです。
だったらそのリスクが無い魔法を使えばいいだけのこと。
【
―――ヒュンッ
風属性の魔法です。この魔法は発動時にほとんど音を発しません。暗殺向けの魔法です。
そこまで威力は高くありませんが、相手が人族なら何の問題もありません。用心の為、もう一度発動しておきましょう。
【
―――ガタッ パリンッ
家具が倒れる音、ガラスが割れる音がしましたが大きい音ではありません。気付く者は少ないでしょう。
再びドアに耳を当てますが、音はしません。気配も感じません。
一応確認しておきましょう。
ドアを開けると壁、天井、床に血がベットリとこびりついています。
中にいた人間は原型を留めていません。肉塊が所々に散らばっているだけでした。
「すさまじいな…… こりゃわしの出番は無いかもな」
その後も扉を見つけては同じ方法で敵の数を減らしていきます。ですが一向にチシャを見つけることは出来ませんでした。焦りが苛立ちに変わります。
もしチシャを傷付ける者がいたら……
最も残酷な方法で息の音を止めてあげます。
ゆっくりと……
少しずつ痛みを与え……
己の犯した愚行を後悔させてあげます。
「おい、落ち着かんか。お前さん今、相当恐ろしい顔をしているぞ…… まったくなんなんじゃ、お前らは……」
デュパがライトさんに言った言葉を思い出しました。いけません。笑顔でチシャを迎えてあげないと。想像します。
ライトさんに優しく抱かれキスをされる……
私がライトさんに寄り添い、彼の耳を噛む……
チシャが私の胸で安心したかのように眠る……
自然と口角が上がります。
よし、私は大丈夫です。
「ありがとうございます。少し落ち着きました」
「ライトといい、お前といい、物騒な奴と知り合ってしまったわい。寿命が縮んでしょうがないわ」
ごちるデュパと共に先に進みます。通路が広くなり、明かりの蝋燭の数が増えていく。
先には盗賊ギルドの旗でしょうか。布で飾られた壁、その先にはしっかりとした作りのドアがあります。
ここに首領がいるかもしれません。もしかしたらチシャも……
ドアに耳に当てると……
『お嬢ちゃん、いい加減言う事を聞くんだ。ルバイスのとこで使った力を見せるだけでいい。そうすりゃ家に返してやるよ』
『だめ! ライとフィオナに約束したもん! 悪い人の前で力を使わないって!』
『いい加減にしな!』
『キャッ!』
―――パシッ
音と一緒にチシャの悲鳴が聞こえました。
頬を叩きましたね。許しません。
ドアを開けようとした時にチシャの叫びが聞こえてきました。
『ライとフィオナは私を守ってくれるって約束した! 二人ともすごく強いんだよ! 次にわたしを叩いたら二人にあなたのこと言っちゃうからね!』
『うるさい! ここには誰も来ないよ! いいかい!? 次に私に逆らったら指を一本切り落とす! 分かったら私らにあんたの力を見せるんだ!』
『やだ! 絶対に力は使わない!』
『いい度胸だ…… ガキのくせに私をここまで怒らせるなんてね。でも私はやると言ったら必ずやる女だ。あんたの指をもらうよ。そしてあんたは泣きわめきながら私に謝ることになるんだ』
もう我慢出来ませんでした。だけど頭はスッキリと冴えわたっています。
ライトさんはよく言っていました。怒りが頂点に達すると逆に冷静になると。
今私はその状態なのでしょうね。
ドアを勢いよく開けます。
―――バタンッ
「そこまでです」
「誰だ!?」「フィオナ!」
二人が同時に私を見つめます。
首領と思わしき女は驚きの表情で。
チシャは眩しいぐらいの笑顔で。
二つの喜びが胸に宿ります。
チシャに再会出来た喜び。
そして憎い仇をこれから嬲り殺せる喜びを。
首領がチシャの首にナイフを当てました。
「近付くんじゃないよ! それ以上近付いたらこの子の首を切り裂く!」
「そんな腕で、どうやって切り裂くんですか?」
「は? お前、何を言って…… ぎゃあぁぁ!?」
首領の持つナイフは既に床に転がっていました。手首と一緒に。
うふふ。愚かですね。魔術師相手に距離を取るなど自殺行為です。
私を倒したければ、真っ先に接近戦を挑むべきでした。ふふ、もし近づいたら貴女の首が落ちていたでしょうけど。
ドアを開けた瞬間、チシャの周りに
まだ終わりではありません。
私の大切の者を傷付けた報いを受けるがいい。
「チシャ、目を閉じてなさい」
「え? う、うん」
憎い相手とはいえ、人が死ぬところを幼子に見せるべきではありません。
【
「う!? や、止め……!? ガボガボ……」
首領の女に向かい魔法を放ちます。
地上にいながら溺れ死になさい。
女の足元から水柱が湧き上がり、女を包み込みます。
「ガボボッ!? ガボッ!? ガボッ……」
悲鳴は水に遮られチシャの耳に届くことはないでしょう。
ガボガボと空気を吐き出す音だけが聞こえるだけです。水の中で首領の女の顔が恐怖で引きつりました。
あははは、いい気味です。
数分もすると水の中で暴れていた女の動きが止まりました。
魔法を解くと女の体は糸が切れた人形のように地面に倒れ込みます。
死にましたか。
「デュパ。その女を片付けてきてくれませんか? チシャの目に届くところに置いておきたくありません」
「人使いの荒いやつじゃな…… まぁ気持ちは分からんでもない。再会を楽しめよ」
デュパは首領の死体を引きずって部屋を出ていきます。
チシャを縛っている縄を切って彼女を開放しました。チシャは緊張の糸が解けたのか泣きながら抱きついてきます。
「う、うえぇぇ! 怖かった! 怖かったよ!」
「ごめんなさい。来るの遅くなりました……」
「寂しかったよ! もう離さないで! どこにも行かないで!」
「…………」
涙が…… 止められません。
チシャに会えた喜びが胸から溢れ出します。
―――ピシッ
再び亀裂が走る音が聞こえました。
もうすぐです。もうすぐ最後の感情が手に入ります。
そうなった時は私はどうなってしまうのでしょう? いえ、今はそれよりもチシャが生きていてくれたことを喜ばないと。
「早く帰りましょう。ライトさんも待ってます。雪猫亭という宿は三人で入れるお風呂があるそうですよ。いっぱい楽しいことをして嫌なことは忘れましょう」
「…………」
返事はありませんでした。チシャは私の胸の中で眠っています。
「ママ……」
寝言? ママ…… これはチシャの記憶の中にある実母のことでしょうか?
それとも……
まさか、私のことですか?
―――ピシッ ピシッ
亀裂が更に大きくなるのを感じました。
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