少女との出会い
ファロの町に向かう道中、一人の女の子を保護した。ドワーフのキャラバンが襲われていたので、助けようとしたのだが間に合わなかった。
ドワーフは全滅していたが、転倒した馬車の中からこの少女を発見、救助した。
フィオナはこの子が妖精とのハーフと言っていたが……
馬車に戻り、血に汚れた衣服を脱がす。すると幼い子に似つかわしくない入れ墨が首から肩にかけて彫られているのに気付いた。
「奴隷の印ですね」
「奴隷か。初めてみるな。こんな小さい子が……」
絶句してしまう。アルメリアでは奴隷制度は禁止されているからだ。
話には聞いたことがある。なんでも人権は一切剥奪され、家畜のように扱われる。
酷い時には性の対象として扱われることもあるそうだ。
「とにかく綺麗にしてあげましょう。お湯を沸かしておきますね。私はこの子が起きた時に食べられそうなものを作ってきます」
「分かった。頼むよ」
フィオナはキャビンを出ていった。
そうだな、野盗に襲われて恐い想いをしたんだ。せめて目が覚めた時は優しい笑顔で迎えてあげよう。
まずは血で汚れた肌をタオルで拭く。うわ…… 血以外の汚れが落ちない。
酷いな。今まで清潔な環境にいなかったんだ。肌まで浸透しているかのような汚れ方だ。
とりあえず拭けるところまでは汚れを拭いた。汚れたタオルを絞るため外に出るとフィオナが何かを作っている。
この匂いは…… 野菜を裏ごしした俺のお得意のスープだ。
「作れるようになったんだね」
「はい。あのスープは病人食にはピッタリです。あの子の口にも合うと思います」
「ありがとう、そのまま料理は頼むよ。俺はもう少しあの子を綺麗にしてくるよ」
お湯を使ってタオルを濯ぎ、絞ると真っ黒な水がタオルから流れ落ちる。新しいタオルを下すか。キャビンの中の戸棚からタオルを取り出す。
「…………」
ん……? ふと視線を感じる。
下を見ると少女と目が合った。
起きたんだな。優しくしてあげないと。
「こんにちは。俺は……」
「きゃあぁぁぁ! お願い! ぶたないで! いい子にするから! なんでも言う事聞くから!」
のっけから恐がられた…… ちょっとショックだ。
いや、今はそんなことを思っている場合ではない。この子を落ち着かせないと。
「お、落ち着いて! ここには君を傷付ける人はいないから!」
「いやー!」
少女は馬車の隅に移動し、膝を抱えて震え始める。
怯え方が異常だ。今までどんな酷い目にあってきたんだよ……
「う、ひっく…… うそ…… また私をぶつんでしょ……?」
「そんなことしないよ。そうだ。君、お腹減ってない? 食べられるものを持ってくるから。ちょっと待っててな?」
馬車を出るとフィオナが器を笑顔で立っている。準備出来たみたいだ。ありがとな。
「起きたみたいですね。スープが出来上がりました」
「助かるよ。ありがとな」
スープの入った器を受け取りキャビンへと戻る。少女は相変わらず馬車の隅で震えていた。
「ほら、お食べ。とっても美味しいよ」
「…………」
少女の前にスープを置く。しかしそれを手に付けようとはしない。警戒してるんだな。
しかし少女は空腹に耐えかねたのか、震える手をスープに伸ばす。
匙を取ってスープを一口。
―――ズズッ
「おいしい……」
それからは堰を切ったように食べ始める。よほどお腹が空いていたんだろうな。
これはお代わりの準備が必要だ。あっという間にお椀が空になった。
「あ……」
名残惜しそうにお椀を見つめる少女。そんながっかりしなくてもいいよ。
「はは、まだあるよ。お代わりはいるかい?」
「う…… ぐすん……」
少女の目から涙がポロポロこぼれ落ちる。安心してくれたのかな? 新品のタオルで涙を拭いてあげた。
「ほら、泣かないで。今お代わりを持ってきてあげるから」
タオルを渡し外に出る。中の様子が分かっていたようで、フィオナはスープの準備をしてくれていた。
「固形物も食べられそうですね。卵を入れておきました。少しだけパンも焼いておきましたよ」
ありがとね。フィオナからスープと小さなパンを受け取り再びキャビンに戻る。少女はまだ泣いていたが視線はスープに向けられていた。
「お腹がびっくりしちゃうから、ゆっくり食べるんだよ」
「…………!」
少女は俺の言う事を無視するかのように食べ始める。そんなに急いで食べると吐くぞ……
俺の心配を余所にスープとパンを完食する。すごい食欲だな。
でもさすがにお腹いっぱいのようだ。馬車の壁にもたれかかり、お腹を押さえて小さくげっぷをした。
「ははは、満足したみたいだね。じゃあ自己紹介しようか。俺はライト。君は?」
「すー…… すー……」
少女から返事は無かった。そのままコテンを横になってかわいい寝息を立て始めた。
疲れているんだろうな。精神的に疲弊した後で暖かい食事、安心出来る環境があれば眠くなるのも無理ないか。
フィオナがキャビンに入ってきて少女に毛布を掛けてあげた。
「なぁ、フィオナ。この子どうしようか?」
「アルメリアなら孤児院に届けるべきです。でもバクーにそういう施設があるかどうか分かりません。あったとしてもしばらくは私達が保護したほうが安全かもしれないですよ」
「どうして?」
「襲われたドワーフのキャラバンですが、大して金目のものはありませんでした。目に着いたのは掘削道具ばかり。野盗が彼らを襲ったのは彼女が狙いかもしれません。
半妖っていうのは人ならざる能力を持っていることが多いんです。この子は馬車の中で檻に入れられていたでしょ? ドワーフも彼女を何らかの理由で拘束してかもしれないんです」
むむむ。思わぬ拾い物をしてしまったか。だが関わってしまった以上は放っておくことが出来ない。
この少女が生きていくのに最良の方法を考えてあげないと。
でもまずは話を聞くところからだよな。
「とりあえずファロの町に向かおう。フィオナはキャビンに入ってこの子の様子を見ていてくれ。フギン、ムニン。この子が起きないようにゆっくり走ってくれよ」
『ブルルルル……』
フギンとムニンは不満そうに嘶いた。走り足りないのか? 君達ほんと元気だね……
◇◆◇
カッポ カッポ
ムニンとフギンは不機嫌そうにゆっくりと街道を進む。
はぁー、本当に岩の国だな。緑がほとんど無い殺風景な景色が続く。
なんてことを考えてると……
―――コンコンッ
ん? キャビンの中から俺を呼ぶノックが聞こえる。スレイプニルを止め、キャビンの中に入ると……少女が起きていた。
怯えているようには見えないが、表情は硬い。
先ほど出来なかった自己紹介から始めるか。精一杯の笑顔を作り……
「おはよう。よく眠れたみたいだね。俺はライト。こっちのお姉ちゃんはフィオナっていうんだ。君のお名前は?」
「…………」
返事が無い。違う質問をして緊張を解してみるかな。
「じゃあ、君のお父さんかお母さんはどこにいるか分かる? もしかしたら君をご両親の所に連れてってあげられるかもしれないよ?」
「無いの……」
無い? 何がだ? フィオナが俺に耳打ちしてきた。
「この子は奴隷です。多分名前を持っていないでしょう。親はいないと思うのが妥当です」
マジか…… 名前が無いとコミュニケーションが取り辛いな。
「ドワーフのおじさんにはなんて呼ばれてたか覚えてる?」
「クズ……」
あいつら…… 俺は奴隷のことは理解していないが、こんな小さい子をそんな呼び方をするなんて許せない。相手は人間だぞ!
「じゃあ、お父さんかお母さんのことは何か覚えてるのかな?」
「ううん。でもいつも私を殴る人はお母さんが私を売ったって言ってた……」
酷い…… この子は今まで一体どんな人生を送ってきたんだろうか。
たかだか四、五歳のこの子は人が負う一生分の不幸を背負ってる気がする。
「今までどんな生活をしてたの?」
「んーとね。暗いところに閉じ込められてたの。時々何もしてないのにいっぱい叩かれた」
「ごはんは?」
「一日一回もらってた。忘れる時もあったみたい」
ふざけんな……
少女の答えを聞く度、目頭が熱くなる。こんなことがあっていいのだろうか? 子供は大人が守るべき存在だろうに……
俺は親を失ったが両親の愛を一杯に受けて育った。どんな時でも彼らは俺を守ってくれた。俺が道を外れそうになった時も身を挺して正道に戻してくれた。
子供は親の愛を受けて育つべきだ。親がいないのならそれに準ずる者の愛が必要だ。恐らくこの少女は一切の愛を受けることなく今に至っているのだろう。
そう思うと涙を止められなかった。
「おじさん、大丈夫?」
怪訝そうな顔をして少女が近付いてくる。思わず抱きしめてしまった。
「はわわ……」
驚かせてごめんな。でも気持ちが抑えられない。するとフィオナも俺と一緒に少女を抱きしめる。
フィオナの目にも涙が浮かんでいた……
「ぶぉ~ん、おんおん…… ぶぉ~ん、おんおん……」
いや、フィオナ。その泣き声はどうかと……
少女が怪訝そうな目をしてフィオナを見つめていた。
フィオナは哀しみの感情に目覚めてからよく泣くようになった。でも他人に同情して泣くのは初めてかもしれない。
ふふ、本当に変わったな。変な泣き声だけど。
少女は最初は抵抗していたが、次第と力が抜けていく。その顔は…… 笑顔だった。
俺は涙を堪えて少女に話しかける。
「少しの間かもしれないけど、俺達と一緒に旅をしないか?」
「旅? またごはんを食べさせてくれるの?」
「ははは、もちろんだよ」
俺の言葉を聞いて少女は安堵の表情を浮かべる。よかった。断られることは考えていなかった。
また美味しいごはんを作ってやるからな。
「ぶぉぉ~ん…… ライトさん、この子に名前を付けてあげないと……」
フィオナが謎の泣き声を出しながら提案してきた。
そうだな。名無しのままじゃあまりにもかわいそうだ。それにしても名付けはこれが四回目か…… どんな名前がいいだろうか?
腕の中にいる少女の顔を見る…… 落ち着いて見るとかなりの美少女だ。この容姿に相応しいかわいい名前を付けてあげないと。
この子の特徴は…… 青色の髪も綺麗だが、それよりも瞳が特徴的だ。鮮やかな緑色の瞳…… これをベースにして考えよう。
緑…… リーフちゃん? なかなかいいんじゃないか? でもこの子の瞳の緑って自然の緑とは少し違う色なんだよな。まるで宝石のような美しさだ。
緑色の宝石……
「もしよかったら君に名前を付けたい。君の綺麗な瞳の色から考えたんだけど、
「おじさん、わたしに名前をくれるの? チシャ…… それがわたしの名前?」
「そうだよ。もし君が気に入ればだけどね」
「チシャ…… チシャ! すごくかわいい名前!」
少女は俺の腕の中で満面な笑みを浮かべる。よかった。気に入ってもらえたようだ。
「じゃあ、チシャ。もう一回自己紹介しようか。俺はライト。よろしくな」
「ライ!」
「違うよ。ライトだ」
「ライ!」
「もうライでいいや…… こっちのお姉ちゃんはフィオナだよ」
「フィオナ!」
フィオナはちゃんと言えんのか。なんで俺はライなんだ? 最後にトを言うだけなのに……
ふふ、まぁいいか!
「じゃあ、君のお名前は?」
「わたしはチシャ! よろしくね、ライ! フィオナ!」
かわいい旅の仲間が増えた。しばらくはこの子と一緒だな。
ファロの町までもう少しだが、辺りはすっかり暗くなっている。今日はここで一泊だな。簡単に夕食を済ませキャビンの中で横になる。一つの毛布で三人一緒に寝ることにした。
真ん中はチシャだ。フィオナがチシャを抱いて寝ている。その顔はとても幸せそうだった。
チシャからはすえた匂いがしてくるな。今まで清潔にしていなかったからだろう。
しかしここは温泉の国バクーだ。チシャを温泉に浸からせてあげよう。きっと綺麗になるに違いない。
新しい楽しみを胸に俺は眠りへと落ちていった。
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