バクー入国

 獣人の国サヴァント国境であるカラカス川に到着した。ここまで有した時間は僅かに二日。初めてここに来た時は十日もかかったのに。

 スレイプニルのムギンとフニンはまだまだ走れるぞ的な感じで嘶いている。


 いや、君達は大丈夫でも俺が疲れたんだ…… もう目が回りそうなスピードで地面を疾走する馬車を必死に操作するんだもの。

 思った以上に大変な旅になりそうだな。


 今日はここで一泊だ。ムニンとフギンの手綱を解いて遊ばせてあげる。

 さぁ、自由時間だぞ。好きなことをするがよい。


「あまり遠くに行くなよ」

『ヒヒィーンッ!』


 二匹は嬉しそうに駆け回る。君達は元気だな。まだ走り足りないのか。

 それにしても賢い馬だ。簡単な人語は理解している。俺の言い付けをしっかり守っているようで、どんなに興奮して走り回ろうと俺の視界から消えるほど離れることはない。


「あの二匹、ライトさんを主人だと思ってるみたいですよ」

「え? 俺が? 何でかな?」


「あの二匹は女神の加護を受けています。ライトさんは加護と祝福の両方を受けているでしょ。本能でライトさんが格上だと認識しているんだと思います」


 そうだ。スレイプニルは地母神の加護を受けている。昨日初めて見たが、餌を食べている時に足元が薄っすら光っていた。マナを取り込んでいたのだ。

 俺も加護を受ける仲間が出来たことを喜んだ。相手は馬だけどね。


 俺とフィオナは夕食の準備に取り掛かる。今回の旅は馬車を使うことが出来たので食料は多めに持ってきた。乾燥ラーメンと乾燥パスタは特に大目にね。

 今日はフィオナが作るそうだ。食べたいものがあるんだと。


「これは初めてライトさんに作りますね。んふふ。きっと気に入りますよ」

「今日はパスタか? フィオナが作るものなら何でも食べるさ」


 パスタを茹で上げる。その間、フィオナはベーコンを細切りにして炒める。香ばしい香りが漂う。次に取り出したのは卵。あれ? それを白身と黄身に分けるのか。 


「全卵を使う時もありますが、私は卵黄だけを使った方が好きなんです」


 パスタが茹で上がる。フィオナはフライパンにパスタとベーコンを投入。そして卵黄を解いたソースを入れて手早く混ぜる。


「はい、出来ました。カルボナーラです。熱いうちに食べましょう」

「ずいぶん簡単に出来たね。いい匂いだ。それじゃ頂こうかな」


 食卓に着いて食事を始める。今日の献立はカルボナーラと葉野菜と卵の白身を使ったサラダ。


 まずはカルボナーラを一口…… これは!?


「この口当たり! 美味い!」

「ふふ。気に入ってくれたみたいですね。作るのも簡単で美味しいんです。また作りますね」


 夢中でカルボナーラを啜る! すぐに器は空になってしまった。作り方は見ていたのでお代わりは自分で作ってみた。

 本当に簡単に出来た。フィオナはすごいな、こんな美味しい物を知ってて。


 お腹いっぱいになるまでカルボナーラを楽しんだ。

 これも異界の料理か。やっぱりすごいな、フィオナって。

 こんな料理が食べられる世界か。いつか行ってみたいな。



◇◆◇



 ―――パチパチッ



 野営で一番好きな時間は焚き火を眺める時。なんでこんなに心が落ち着くのだろうか? 

 薪が音を立て、火にかけたやかんから湯気が上がる。フィオナが紅茶を淹れてくれた。


「熱いですよ」

「あぁ、ありがとう」


 フィオナは俺の隣に座って紅茶を楽しんでいる。

 俺の肩に頭を預けてきたので、かわいいつむじにキスをしておいた。


「んふふ……」


 今度は顔を合わせてから、そっと目を閉じて……キスをする前にフィオナは何かに思い出したようだ。

 馬車から一冊の本を持ってきて……


「暗いですね。γitefrtel浮遊光!」



 ―――ポワッ



 宙に光の玉が現れ辺りを明るく照らす。気分台無し……


「さぁライトさん! これからの予定を決めましょう! バクーに着いたら最初はファロの町で美人の湯に行きます! 次はヤルタの町です! ここの温泉は鉄が多く含まれていて赤い色が付いてるそうですよ! 貧血に効があります! 最後は首都タターウィンで白い温泉に浸かりましょう! 肌にすごくいいそうです!」

「あ…… はい……」


 フィオナは興奮しながらガイドブックを俺に見せてくる。俺も風呂は好きだがここまでの情熱は無い。本当に楽しみにしているんだな。

 バクーに行くことにして良かったと心から思う。だって今まで見た事がないフィオナの笑顔が見られたんだから。


 そう思うと急にフィオナが愛しくなった。

 だがロマンティックな雰囲気を壊した罰だ! まずはキスでそのうるさい口を黙らせてやる!


「ん…… もう、せっかく旅行の計画を立ててるのに……」


 旅行じゃないのだが…… はは、まぁいいさ。


「お姫様、夜も冷えてまいりました。馬車の中に行きませんか?」


 なんて、キザったらしく言ってみる。

 するとフィオナは……

 

「んふふ、それでは騎士様。私を連れてってくださいませんか?」


 ははは、フィオナがこんな返しをしてくれるとは。ほんと変わったな。


 フィオナをお姫様抱っこして馬車に向かう。


 窓からは月明かりが入ってくる。


 フカフカの絨毯の上にフィオナを寝かせ服を脱がせる。


 優しい月明かりにフィオナの白い肌が映える。


 綺麗だ……


「よろしいでしょうか?」

「来てください……」


 フィオナは俺を抱きしめる。辺りにフィオナの嬌声が響き渡った。それに呼応するかのようにフギンとムニンが嘶いた。



◇◆◇



 旅は順調そのものだった。俺が馬車の操作に慣れたってのが大きいかな。サヴァントを抜け、岩の国バクー国境付近まで到着した。

 ここまで二週間だ。予想より三日早い到着だ。浮いた時間を温泉で過ごすってのもいいな。


 装備でどのくらいかかるか分からないが既に換金は済ませてある。エリナさんは最低でも二億オレンって言っていた。

 だが宝石商に持っていったら三億オレンで取引が成立した。これでもかなり値切られたようだが。


 ふふふ。今の俺はちょっとしたお金持ちなのだ。多少贅沢しても問題無いだろう。

 しかし俺は一小市民に過ぎない。贅沢といっても宿で好きなだけ飲み食いする程度の贅沢しか想像出来ない。

 残りの金は全部装備に回せばいいかな。


 サヴァントとバクーの国境を抜ける。最初の目的地、ファロの町まであと一日だ。山に続く街道を抜ければファロに着くはずだ。

 隣に座るフィオナはウキウキして……いない。険しい表情をしている。


「どうした? トイレか?」

「馬を止めてください…… 近くで誰かが争っています。千里眼を使ってください」


 千里眼を発動する。索敵範囲を一キロ四方まで広げると…… 

 いた! 街道の先で野党が馬車を襲っているのが見える! 野盗は人族だな。二十人はいるか。被害者はドワーフだ。

 俺とフィオナは御者台から降りる。


「フギン! ムニン! ここで待ってろ! フィオナ、結界を頼む!」


 フィオナに馬車が被害に会わないよう結界を張ってもらった。王様からお借りした大事な馬だ。無傷でお返ししないといけないからな。

 俺は千里眼を発動しながら走る。野盗はドワーフを襲い続けている…… 生き残りは二人か。間に合ってくれよ!



 何とか現場を目視出来る所まで辿り着くことが出来たが…… 

 くそ、全滅か。千里眼で確認するとドワーフは全て躯となっている。人族の面汚しが……


「フィオナ、行けるか? もしかしたら息があるドワーフがいるかもしれない。範囲魔法は使わないようにしてくれ」

「分かりました。いつでもいいですよ」


 身体強化術を使うまでもない。俺はマナを取り込み無属性の矢を創造し、フィオナはオドを練り始める。


「行くぞ!」

valtiasantζa石槍



 ―――ドシュッ

 ―――グサァッ



 マナの矢は野盗の頭を貫いた。自分の死に気付くことなく一人が倒れる。

 それを見た野盗が剣を構えた瞬間、頭が弾け飛んだ。フィオナの魔法だ。


「敵襲! 警戒しろ!」


 気付いたか。でももう遅いよ。俺は一度に撃てる最大限のマナの矢を創造する。その数十本。それを同時に放つ。

 こちらに向かってくる野盗を数人残し十人が躯と変わる。仲間の死に怯んだ生き残り三人が足を止める。


maltavaltiasantζa多重石槍



 ―――ドシュシュシュッ



『ぎゃぁぁ!』

『ぐぉっ!?』


 フィオナの魔法で、地面から生えた尖った岩が野盗を串刺しにする。残り五人か。

 だが多数の仲間を突如失った野盗は踵と返して逃げていく。


「どうしますか? 追うのでしたら……」

「いや、止めておこう。今はドワーフの生き残りがいないか確認しないと」


 酷い有様だ。倒れたドワーフの首に指を当てる。脈はない。くそが……


「ライトさん、こっちに来てください」

「どうした!? これは……?」


 フィオナが指し示す先には倒れた馬車が。その中には檻に入れられた一人の少女がいた。

 青色の髪。四、五歳だろうか。額が割れて出血しているが、胸が動いている。よかった、生き残りがいたか……


 フィオナが鍵を壊して少女に回復魔法をかける。


「この子ドワーフじゃありません。このオドは…… この子半分妖精ですね」

「え? どういうことだ?」


「言った通りです。多分母親の胎内にいる時に妖精が悪さをしたのでしょう。この子は人間と妖精のハーフです」


 ドワーフが野盗に襲われていた。馬車には少女がいて、檻に入れられていた。

 どういうことだろうか? 話が見えない。


 とにかく今はこの子を保護しなくては。青い髪の少女を抱きかかえて、俺達は馬車へと戻っていった。

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