リリアの町
「フィオナ、行くぞ!」
「はい」
こういう時はもう少し元気良く返事をしてもらいたいなぁ。
それをトラベラーに求めても無駄か。
カラカス川を渡り、獣人の国サヴァントに入る。ここからリリアの町までは七日間。そこには犬氏族の生き残りが拠点を構えているはずだ。
宰相閣下である俺の元ペットのカイルおじさんもいる。目立たずにヤツと接触出来ればいいのだが。
まぁ、獣人フェロモンと犬耳、尻尾の魔道具があるのでそうそう俺達の存在が知られることはない……と思いたい。
もし俺達の情報が
自由に動けないことがこんなにストレスだとは思わなかった。
◇◆◇
旅は順調に続きリリアまで後一日ってところか。最初はのどかな風景が続いていたが、ここにきて少し匂いが変わってきた。
僅かに空気の中に焦げたような匂いが混じる。想像したくはないが、やはりここは戦地なんだよな。
「ライトさん、来ます」
「来る? って、隠れろ!」
遠くから土煙が立ち上がるのが見える。何かが近づいてくる。
馬だ。千里眼を発動し何が来るのか確認……
乗ってるのは…… 猫氏族! エセルバイドだ!
身を隠す場所は…… あった!
ガササッ
俺はフィオナと二人で茂みの中に身を潜める。小声でフィオナが話しかけてきた。
「どうしますか……? 私は先制したほうがいいと思いますが……」
フィオナの言うことは分かる。でも無用な戦闘は避けたい。可能な限りな。
相手は国だ。ここで勝てても圧倒的な物量で攻めて来られたら対応出来るはずもない。
「ここは様子を見る…… このまま待機だ……」
「はい……」
息を殺して猫氏族が去るのを待つ。早く行ってくれ……
奴等は何かを探すようにうろつき始める。兵士の一人がこちらに寄ってきた。
マジかよ…… 仕方ないか。
―――チャッ
俺はダガーを抜く。フィオナが杖を構えた瞬間……!
「おい、時間だ。行くぞ!」
「はっ!」
上官らしき男の一声で猫氏族は撤退を始めた。馬に跨がり、土埃を立て去って行く…… よかった。戦いは避けられたか。
しばらくすると猫氏族が見えなくなる。
ふぅ、焦ったよ。思わぬ所で時間を食った。
それじゃ行くかな。俺達は再びリリアの町に向けて歩き出す。
休憩を取り、夜が来て、そして再び朝日が東の空を明るくする頃……
「ライトさん。あれを」
「あぁ……」
フィオナの指差す方角に町が見える。ようやくだな。
俺は鞄から犬耳カチューシャと、シッポのアクセサリーを装着する。フィオナも……いや、フィオナは旅が始まってからずっと犬耳を着けてたな。
最後に獣人フェロモンを首に塗って……
「これで準備出来たな。行こうか」
「はい」
太陽が俺の真上に位置する頃、俺達はリリアに辿り着いた。目の前に広がるのは町ではない。テントだらけだ。
テントの前ではやつれた表情で煮炊きをしている親子の姿が見える。嫌な臭いがする。衛生状態が良くないんだ。スラムで嗅いだのと同じ臭い。
これは難民キャンプってやつか……
「おーい! お前らも逃げてきたのか!」
「え? は、はい!」
警備の兵が俺達に話しかけてくる。大丈夫、人族だとはバレることはないだろう。犬耳、尻尾は装着済み。フェロモンもしっかり塗ってきた。でも緊張してしまうな。
「よく来たな同胞よ! 辛い旅路だっただろ!? ここにいればもう安全だからな!」
「あ、ありがとうございます……」
兵士は尻尾を振って俺達を労ってくれた。俺達を犬氏族だと思っているんだな。
続いて兵士は町の説明を始める。寝る場所、トイレ、伝言板の場所など。そして最後に……
「申し訳ないが配給は一日一回だ。なんとかして食料を調達したいのだが、補給線はエセルバイドに全て押さえられてしまってな……」
と悲しそうな顔をする。
一日一回か。難民の中には食べ盛りの子供もいるだろうに。戦争が起きれば真っ先に被害を被るのは民なんだ。
何とかしてあげたいが、今の俺の状況では何もしてやれることは無い。出来るのはさっさと王様を助けてこの状況を打破することだろう。
さて、そのためには協力者が必要だ。行動を起こすか。俺は悲しい表情を作り……
「すいません…… 俺、親戚のおじさんを探していて。見つけること出来ませんか……?」
耳をへにょらせ尻尾を力なく垂らす。ションボリを演出して兵士に訊ねてみた。
「人探しか。お前、名前は?」
「ライト デる…… デレハ バルデシオンです。探し人はカイル デレハ バルデシオン……」
やば。噛んじゃった。クソ犬のくせに長い名前しやがって。
その名を聞いて兵士は驚いたように……
「何!? 宰相閣下だと! 確かに閣下はここにいるが…… お前、何者だ!?」
「おじさんがいるんですか!? 会わせてください! カイルおじさんは遠縁に当たります。俺はおじさんの推薦で王都に留学していました。ラーデで起こったクーデターの話を聞いて、矢も楯もたまらず帰郷したんです。
おじさんは俺のたった一人の血縁なんです。おじさんがいなくなったら俺は一人ぼっちになっちゃうし……」
ふふ、中々いい設定だろ。こういうこともあると思いシミュレーションをしておいたんだ。だが兵士は腕を組んで考えている。
「すまんがいきなりは会わせられん。仮に今の話が本当だとしても、まずは君の身元を確認しないと。何か身元を証明するものは持っているか?」
なるほどね。そうきたか。だがこれは想定内だ。次の一手!
「すいません…… ここに来る途中エセルバイドに襲われてしまって。何とか逃げることが出来たんですが、荷物は全部置いてきてしまいました……
そうだ! おじさんにライトが来たって伝えてください。俺のいたずらの話をすれば分かると思います。おじさんが寝てる時、背中の毛を全部逆なでブラッシングしたこと。耳を裏返して息をふきかけたこと。足の肉球に絵を描いたこと。玉ねぎを無理矢理食べさせたこと。
まだまだありますが、これを伝えればライトが来たって思ってくれるはずです!」
「お前、親戚とはいえ、宰相閣下に何てことしてんだ……」
兵士はひくついていた。全部犬が嫌がることだからな。まぁいいじゃない、ペットと幼い飼い主のかわいいコミュニケーションじゃないの。
「と、とりあえず、ついてきてくれ」
「はい! ありがとうございます!」
兵士は俺達を町の中央にある役所の中に案内してくれた。二階に上がり、備え付けのベンチに座るよう促される。
目の前には両開きの大きな扉が。この中にいるのだろうか?
「今は会議中だから、ちょっとここで待っててくれ。会議が終わり次第宰相に報告に行くから」
俺達は会議室の前のベンチで待機だ。中から白熱した議論が聞こえてくる。
『閣下! ここは総力戦です! 兵站は乏しく後一月も持ちません! 今動けるうちに戦いましょう!』
『ちょっと! 落ち着いて考えなさいよ! 今動けばクヌート様の命はどうなるの!? 王を見殺しにするのがバルデシオンのやり方なの!?』
『ふん! そんな弱腰だからウィンダミアから王が出ないのだ! 我が君は死を恐れない! それよりも国家の安寧を願っているはずなのだ!』
『聞き捨てならんぞ! そもそもバルデシオンが国家運営出来ているのは、我がウィンダミアの大臣が王を助けているからではないか!? 我が氏族からどの程度大臣を輩出しているか分かっているのか!? 現政権の七割だぞ!』
『うるさい! ちょっとは落ち着け! ここは会議の場であって喧嘩の場じゃないんだ! 会議は一旦中止だ。三十分後に再開する。全員頭を冷やしてこい!』
『…………』
おじさんの声だ! 相変わらず声でけーな。元気そうだ。よかったよ……
ぞろぞろと獣人達が会議室を出てくる。その一人と目が合った。
「あら? 貴方は……」
紫がかった黒髪のショートボブ。仕事が出来る感じの美人だな。垂れ耳の犬氏族だ。
彼女は俺達に気付き、声をかける。
初めて見るタイプだな。この人がウィンダミアの氏族か。この人もグウィネと同じ人族タイプの獣人だ。
「ふふ、またね」
「…………?」
特に何を言うわけでもなく彼女はそのまま立ち去った。美人だけど、なにか冷たい感じがする人だったな。
ここまで案内してくれた兵士が立ち上がる。上手く言っておいてくれよ?
「では今のうちに閣下に報告してくる。そのまま待っていてくれ」
「はい! よろしくお願いします!」
兵士は会議室に入っていった。そういえば名前を聞いてなかったな。後でお礼もしなくちゃ……
いや、やめておこう。今はなるべく目立たないようにしなくちゃ。名前を聞けば情が湧く。そこから何かしらボロが出るかもしれないからな。
中から声が聞こえてきた。頼んだぞ!
『閣下! 失礼します! 面会希望者を連れてまいりました!』
『誰だ? すまんが今が誰とも会う気になれん。適当に理由をつけて追い返してくれ……』
おいおい!? なに言ってんだこのクソ犬! 全身の毛を引っこ抜くぞ!
『それが…… 閣下の遠縁と言っております。名はライト デレハ バルデシオン。閣下にやったいたずらを言えばわかると…… ゴニョゴニョ……』
いたずらの話は小声なのか、よく聞こえなかった。変なことを言わせてすまん。
だが、今度は中から聞こえてきたのは笑い声だ!
『がははは! ライト、そこにいるな! さっさと入ってこい!』
はは、分かってくれたようだ。おじさんが協力してくれれば何かしら活路が開けるかもしれん。でも今はお互いの無事を祝うとするか。
おじさんがいる会議室に入り、全身の毛をワシャワシャ撫でまわしてやった。
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