何もない休日
カポーン
公衆浴場内に桶の音が響きます。
私は一人で湯舟に浸かっています。
今日は火竜日の午前中ということもあり、公衆浴場には人があまりいません。
この広いお風呂を独り占めしているようで少し嬉しいです。
ライトさんが隣にいたら、もっと嬉しいのですが。
ふふ、混浴が出来ないこの公衆浴場でそんなことを考えていても仕方ありませんね。
しっかり温まりつつライトさんのことを考えます。
彼は今、ギルドで仕事をしています。
今日は有給を取ったはずなのですが、ギルド長から出勤依頼が来たのです。
なんでも王都の宰相がギルドを訪れるとかで、屋内を大掃除するとか。
ライトさんの掃除の腕は見事です。
私達が就職した当初は書類が乱雑に積まれ、床にはゴミが散乱し、食堂にはクロウチが這いまわり、裏庭は草ぼうぼうでした。
それがどうでしょう。彼が掃除を始めたら一週間でギルドは蘇ったのです。
今ではアルメリア国内一綺麗なギルドとして知られるようになりました。
「ライトさん……」
思わずライトさんの名を呼んでしまいます。
ふふ、私も変わりましたね。
人ではない私が異性の名など呟いてしまうなんて。
あれ? 私に近付いてくる者がいます。
この人は……
「ふふ。彼氏の名前なんて呼んじゃって。妬けるわね」
「ミルキさん? こんにちは」
ミルキさんです。この人とは数か月前にこの公衆浴場で知り合いました。
私が頭を洗っている時に間違ってミルキさんの石鹼を使ってしまったのがきっかけです。
ミルキさんは私の隣に座り、世間話を始めました。
「フィオナちゃん、久しぶりね。今日はお休みなの? 普段は水魚日と日光日が休みなんじゃなかったっけ?」
「今日は有給を取ってるんです」
「ライト君も?」
「彼は仕事なんですよ」
チクッ
う…… 小さな怒りが胸の中を刺します。なぜこのタイミングで?
そうか。ライトさんと一緒にいられない状況が怒りを産み出すのですね。
感情とは難儀なものです。
その言葉を聞いたミルキさんは一つ提案をしてきました。
「そうだ! ならお風呂を出たら私の店にいらっしゃい! 私も休みなんだけど、今日は棚卸をしなくちゃいけなくてね。それが終わってお風呂に来たのよ。在庫整理をしてたらね、いい物を見つけたの。それをフィオナちゃんに着させてみたくなってね」
ミルキさんってたしか…… 服飾店を経営していたはずです。
王都では有名な店で、かなり高級な服を売っているとか。
でも薄給の私がミルキさんが販売する服を買えるはずがありません。
ここは断る方がいいでしょう。
「ありがたい申し出ですが……」
「うふふ。お金のことは心配しないで。十年前に仕入れたけど、売れなかったのよ。このまま埃を被らせておくのはもったいないしね。服は着る人がいて、初めて息をするのよ。だから気にしないで」
なるほど…… ではミルキさんの申し出を受けるとしましょう。
私達は風呂を出てミルキさんの店に向かいます。
ミルキさんの店は商業区の一等地に居を構えており、とてもオシャレな外観をしています。
鍵を開けて、私を中に案内してくれました。
店内は様々な服が並びます。
服に興味が無い私でも、これらの品が一流の職人の手によって作られた物だと分かりました。
「ふふ。ちょっと待っててね」
ミルキさんは店内の奥にある倉庫に向かいます。
その間、服を見て待っていますか。
私は男性用の服を販売している一角に向かいます。
ダブレット、シャツ、マント、パンツ。
これらをライトさんが着ているのを想像すると……
「んふふ……」
思わず笑みがこぼれてしまいます。
ライトさんに着てもらいたい。
そんなことを思ってしまいました。
ですが値札を見てみると、一着五十万オレン……
高いですね。薄給の私では買うことが出来ないでしょう。
他の服も見ているとミルキさんが戻ってきます。
「これよ。フィオナちゃん、これを着てみて」
「これですか?」
ずいぶん生地が薄いですね。肌が露出する部分が多い……というか、ほとんど裸のようです。
「ふふ。セクシーでしょ? この服はね、獣人の国サヴァント南方の民族衣装なの。踊り子さんが好んで着てる服なの。
私は好きなんだけど、王都の人には受けが悪くてね。これをあげるわ。せっかくだから着てみてくれない?」
この服をですか。いいでしょう。
私は更衣室を借りて、ミルキさんから手渡された服を着ます。
胸が丸見えですね。お尻もです。
着替えはすぐに終わりました。
私が更衣室を出るとミルキさんは驚きの表情で私を迎えてくれました。
「すごい! フィオナちゃん、すごく綺麗よ! そうだ! 鏡の前に座って!」
ミルキさんに促されるまま、鏡の前に座ります。
彼女は何をする気でしょう?
ミルキさんはクシを持って、私の髪を結わえ始めました。
「出来た! やっぱりこの服にはこの髪型よね! フィオナちゃん、立ってみて。自分の姿を見てちょうだい!」
私は立ち上がり、鏡に映る自分の姿を見ます。
これは…… まるで私ではないようです。
この私をライトさんが見たら……
想像するだけで胸が温かくなります。
自然と笑みが溢れました。
「ふふ、その笑顔。気に入ってくれたみたいね」
「はい…… でも本当にこの服を頂いていいんですか?」
「もちろんよ! ほら、早く帰ってライト君に見せてあげて! ふふ、ライト君きっとイチコロよ!」
イチコロ? この服にそんな攻撃力があるのでしょうか?
不思議な力を持っているのかもしれません。
ライトさんに見せる時は注意しておきましょう。
「ミルキさん、ありがとうございます」
「ふふ、いいのよ。それじゃまたお風呂で会いましょ」
私はミルキさんにお礼を言って家路につきます。
その間、すれ違う人が私を見ていたのが気になりました。
私の顔に何か付いていのでしょうか?
宿に着いてライトさんの帰りを待ちます。
もうすぐ六時ですね。そろそろでしょうか。
トントン
ドアをノックする音。ライトさんですね。
私はドアを開けて彼を迎えます。
「あー…… 疲れ……?」
「お帰りなさい。あれ? どうしたんですか?」
ライトさんは私を見たまま動きません。
そのままドアを閉めて出て行ってしまいました。
どうしたというのでしょうか?
少しするとライトさんは戻ってきました。
あれ? スッキリした顔をしてますね。
「フィオナ…… その服どうしたんだ?」
「貰いました。どうですか? 似合いますか?」
私はその場でクルクルと回ってみます。
ライトさんは気に入ってくれるでしょうか?
ガバッ! ドサッ!
私の期待とは裏腹にライトさんは私を抱きしめ、ベッドに押し倒します!
「ひゃあん!? ライトさ……ん……」
ライトさんは私にキスをしました。
口に。頬に。おでこに。
顔中にキスをしてくれます。
んふふ。もっとして欲しいです。
どうやらライトさんはこの服を気に入ってくれたみたいですね。
なるほど、ミルキさんが言っていたイチコロとはこのことだったのですね。
その後、ライトさんは私を見つめ続けます。
喜びが胸から溢れてしまいそうです。
「フィオナ…… またその服を着てくれないか?」
「はい!」
口角が上がります。
ふふ、私はきっと笑顔なのでしょうね。
後日、ミルキさんにお礼を言うために服屋を訪れたましたが、ミルキさんの店は大盛況で入店出来ませんでした。
後で聞いたのですが、私が着た服を求めて王都の富裕層が店に押し掛けたようです。
ミルキさんには悪いことをしました。
今度改めてお礼を言わないといけませんね。
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