地獄

 俺は日の出と共に目を覚ます。

 普段は寝坊助なのだが、なぜか今日は母さんが起こしに来る前に目が覚めた。

 何か大切なことを忘れている気が…… 

 そうだ! エリナさんに頼まれていた塩を渡すの忘れてたんだ! 


 台所に駆け込んで、塩の瓶を一つ持って村の入口まで走る。

 間に合ってくれ! 俺の願いが届いたのか、エリナさんはちょうど村を出るところだった。


「はぁはぁ…… エリナさん! これ! 約束の塩だ!」

「あら、ライトじゃない。ふふ、私もすっかり忘れてたわ。ありがとね」


 エリナさんは大事そうに塩の入った瓶を抱く。


「隊長! 準備が整いました!」


 エルフの商人がエリナさんに報告する。

 もう行ってしまうのか。


「エリナさん、またな」

「ライトも元気でね。次はまた来年には顔を出すわ」


 一年後か。しばらく会えないな。

 この人はこうして各国を巡り、商売をしているんだ。

 小さい頃は、彼女の自由な生き方に憧れたこともあったな。


「このまま交易を続けるのか? 国には戻らないの?」

「国ね…… 大森林にいても面白くないしね。私は一か所にずっといるよりフラフラしてる方が好きなのよ。まぁ女王陛下にこの塩を届けるためにも一度国に帰らないといけないんだけどね」


 え? 俺の塩が女王陛下の口に? 大丈夫かな……? 


「あはは。心配しないで。ライトの塩って評判がいいのよ。他のとこより味がいいって。女王陛下も私が帰る度に塩は持ってきたかってうるさいのよ」


 エリナさんは笑いながら言うのだが…… 

 でも俺の塩がお偉いさんの口に合ってくれて良かったよ。


「それじゃ行くわね。ライト…… 精霊の声なんだけど、悲鳴がよりいっそう強くなった。気を付けるのよ……」

「分かった! ありがとね!」


 エリナさんは振り返らずに出発する。

 さぁ、俺は自分の仕事をするか。

 家に戻り、紙に注意を促すような内容を記載する。

 村では緊急の伝達方法として回覧板を使ってるからな。


 最初は隣の家。年下の女の子、ノアが住む家だ。

 ノアは見た目は可愛いが、どこか抜けている。

 彼女も俺同様、王都に留学する話が出ていたのだが、なぜかノアは断ったらしい。

 何考えてるんだか。


 ドアをノックするとノアが目を擦りながら出迎えてくれた。


「なにー…… あれ? ライトさんか。どうしたの?」

「朝早くにすまんな。これをしっかり読んで隣の家に回しておいてくれ」


「回覧板? どれどれ…… なにこれ? 危険が迫ってるってこと? で、具体的に何をすればいいの?」

「すまんが、俺も人伝に聞いた情報でな。何が起こるか分からない。だが、エルフは精霊の声を聞けるって知ってるだろ? エリナさんが言ってったんだ。精霊の悲鳴が聞こえるってな」


「なんだか恐いね…… 分かったよ。家族に知らせてから次の家に回すね。でさ、ライトさんはこれからどうするの?」

「俺か…… 何もないとは思うが、一応森を見てくるよ。災害が起こる前に動物の動きがおかしくなることが多いからな」


 数年前に地震が起こった。その前日には森から鹿が逃げ出したんだ。

 動物は人より危険察知能力が高い。

 もしかしたら、何か分かるかもしれない。


「そう…… 気をつけてね」

「あぁ。それじゃ行ってくる」


 俺は一人森に向かった。



 ◇◆◇



 ザッザッザッザッ



 森を歩くこと二時間。俺は違和感を感じていた。

 鳥の鳴く声、動物が駆け回る音がしない。

 森は死んだように静かだ。探ってみるか。


 集中する。


 目を閉じてオドを練る。


 俺は魔法はあまり使えないが、不思議な能力を持っている。

 これを能力と言っていいか分からないが、集中することで何故か周囲の生物の息遣いを感じることが出来る。

 効果範囲は百メートルといったところだろう。


 オドが練りあがる。

 これを生活魔法を使う容量でオドを丹田から外に放つ!


 見える。

 後ろの木の洞の中に身を小さくして震えるシマリスの姿。

 十五本先の木の裏に隠れるテンの姿。

 そして夏でもないのにもぞもぞと土から這い上がってくるセミの幼虫達……


 やっぱり何か悪いことが起こるのかもしれない。

 一体何が…… もう少し奥に進んでもいいが、ここは一旦村に戻って父さんに報告した方がいいな。


 俺は踵を返し、村に戻ることにした。


 急ぎ来た道を戻る。早く戻らないと。


 気持ちが焦る。未だかつて感じたことの無い不安が俺を襲う。


 そしてようやく村が見えてき……


 木々の間から黒煙が見える。これは……?


 俺は走って森を抜ける! 次第と様々な音が聞こえてくる。


 木々が爆ぜる音。家が崩れ去る音。


 友人達の悲鳴。



 そして俺が見た光景は…… 


 


 ――――地獄だった。




 村が燃えていた。

 何も考えられなかった。

 夢の中にいるかのようだった。空を見れば鳥のような魔獣が誰かの腕を嘴に咥えながら飛んでいた。狼のような魔獣が口から腸を垂らしながら村人を食い殺していた。身の丈五メートル以上はあろう一つ目の巨人がニヤニヤ笑いながらフワル姉ちゃんをこん棒で叩き潰していた。カマキリのような魔獣が鍛冶屋のバートンさんを切り刻んでいるのが見えた。幼馴染のクロンがトレントに捕まり目や口に枝を突き刺されてなぶり殺されている。父さんが家の前で剣を握りしめて倒れていた。下半身が無かった。どこかに忘れてきちゃったのかな。父さん意外とおっちょこちょいだからな。骸骨の魔術師だろうか。カタカタと詠唱をしている。体の前に魔法陣のようなものが現れ、その中から炎が噴き出す。炎の先には母さんがいた。母さんと目が合った。口元が動いたのが分かった。声は聞こえなかった。逃げてと言っているようだった。母さんは炎に包まれた。いっしゅんではいになったのあがいたくびだけだったおまえからだどこにやったんだよそんなんじゃよめにいけないぞのあのくびをひろうきょうふにゆがんだかおにはなみだのあといきのこったむらびとがきょうかいにあつまってるシンプサマガイノッテルソコニリュウガトンデキテホノオヲハクアレガブレスッテイウノカナアレナニコレワカラナイリカイデキナイなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?


 


 目眩がした。地面がぐらぐら揺れている。立っていられなかった。



 ――――ゾクッ



 悪寒がした。全身の毛が逆立つのを感じる。

 後ろを振り向くと……



 俺の前に誰かが歩み寄ってきた。



 その姿は神話に出てくる悪魔そのものだった。



 逆立つ黒髪。

 頭から生える山羊の角。

 ウロコに覆われた身体。

 赤黒い皮膚。

 トカゲの尾。

 猫のような目。



 他の魔獣に比べ、知性を感じられた。

 ニヤニヤ笑っていた。

 恐らくこいつが親玉なのだろう。



 腰に差すダガーを抜き、身体強化術を発動する。

 バカ犬に教えてもらったことの一つで、決して試すなと言われていたことがある。

 身体強化の禁術と呼べるものだ。


 いわばリミッターを外し、己の命と引き換えに爆発的な力を得るというものだ。

 優れた肉体を持つ獣人でさえもこれを使えば命が無い。

 術が解けたら心臓が爆発し、体の穴という穴から血を噴き出して絶命するのだと言うが……






 コロス






 ただその一言だけが思い浮かぶ。

 俺はダガーを構える。

 渾身の力で柄を握る。

 視界から一つ色が消えた。

 更に力を込める。

 視界からもう一つの色が消える。

 腕の筋肉が肥大する。



 メキョッ ピシッ



 更に力を込めるとダガーの柄にひびが入るのを感じる。

 心臓の鼓動が早くなり、視界から色が完全に消え去った。

 目の前にあるのは白黒の世界。

 脳が揺れるのを感じた。


 これが身体強化術の最終段階。

 つまり俺は術が解けたら死ぬことになる……


  

 知ったことか。



 目の前にいるこいつさえ殺せればいい。

 全身の隅々から殺意が沸き上がる。

 かつてないほどの力が漲る。

 理解した。人族である俺がこの能力に耐えきれる時間は数分だろう。

 悔いの無い人生だと言えば嘘になる。


 だが…… 目の前にいる仇を殺さずに生きていけるわけがない。

 俺の大事なものを奪ったこいつは刺し違えてでも殺す。


 俺は右手で抱えていたノアの首を置く。

 ダガーを使用する際、最も殺傷力の高い攻撃は刺突だ。

 その際両手でダガーを持ったほうが一撃に賭けられる。



 より早く。



 より正確に。



 より力を込めて、喉元に向け最速の一撃を放つ。



 俺が人生を掛けた最高の一撃は……



「うぉぉぉぉっ!」



 悪魔は避けなかった。

 人型である以上、急所も人間とさほど変らないはずだ。

 防御することもなく奴は喉で俺の一撃を受けた。



 ズッ 



 僅かだがダガーの刃先が奴に刺さるのを感じた。


「うおぉぉぉぉぉ!」


 更に力を込め両手でダガーを押し込むとさらに刃先が喉に入っていく。

 馬鹿め、人族と思って油断したか! 

 このまま貫いてやる!



 ニヤリッ

 ゾクッ



 悪魔の表情が変わる。

 痛みに歪む顔から不気味な笑顔に変わった。

 全身に悪寒が走る。

 


 ブォン! ガシィッ!



 奴の右腕が風のような速さで俺の顔を掴んだ。

 なんて力だ!? 身体強化の禁術を使ったことで俺の力は人族を遥かに凌駕するはず。

 恐らくは大型の魔獣と同等の腕力はあるだろう。

 なのに全く動くことが出来ないだと!?



 ドクッ ドクッ ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク



 やばい! 心臓の鼓動が早くなる! 

 もう俺の体はもたない! 死にたくない! 

 皆の仇を取ることなく死ぬなんて嫌だ!



 ――――ドクッ ドクッ ドクッ……



 無常にも時間が過ぎていく。

 俺の寿命はカウントダウンを迎えたようだ。

 心臓の鼓動が次第と速度を落としていき、今にも止まりそうに…… 


 現実は無情だ。悔いの多い人生だった。

 仇を取ることも出来ず、返り討ちにされる。

 なんて情けない……


 ちくしょう…… 父さん、母さん…… 



 グチュッ



 飛びそうな意識の中、悪魔が突然俺の右目に指を突っ込んできた。


 痛みは無い。

 死ぬ前だから痛覚も麻痺しているのだろうか。

 奴の指がさらに伸びるのを感じる。

 指が脳に達する感覚を覚える。まだ痛みはない。


 悪魔の指が眼窩の中で動き回る。

 

 そこで視界が暗転する。


 俺の意識は虚空へと消え去った。



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