第11話 会いに行くよ

 母には葵の家に泊まりにいくと嘘をついた。旅行なんて話せなかった。初めて、大きくて罪悪感が残る嘘を吐いた。信じたかは分からないが「迷惑をかけないようにね」と言い、母はそっぽを向いた。

 日帰りで行く予定だった絶海の孤島だが、日程がギリギリになるため俺たちは一日泊まりで行くことになった。ネットで調べてもよかったが、あえて葵の案内だけで探索しようと、前情報を何にもなしで船に乗った。

 唯一の交通手段であるフェリーは、普段は学生の往復や外への買い物のために一日に数回出ていると教えてくれた。今の時期は夏休みのため、学生より観光客の方が船を利用するらしい。船内は大きな鞄を持つ夫婦や、カメラを首から下げる男性など様々だ。

 窓から見える景色に、緑豊かな島が徐々に近づいてくる。夫婦二人は歓声を上げた。住所は日本であるはずなのに、俺の知る国とは違う世界に来たみたいだ。

「懐かしさとかある?」

「全然」

「覚えているわけないよな」

 葵の母親もいるのではないかと期待を寄せるが、葵は捜しに来た様子もない。

 船置き場でこの島を踏むと、古い木板が軋む。随分古く、手入れもほとんどされていない。砂浜では男性たちが地引き網をしていた。本やテレビでしか知らない昭和年代のイメージがつきまとうが、年代で言うとそれよりもっと前かもしれない。そして脇には野生の狐がおとなしく座っていた。悪戯するわけでもなく、人間と生活を共存しているのか、島の人たちも側にいるのが当たり前という態度だ。

 孤島の外側は森で囲まれているが、内側は田舎の町だ。さすがに高層マンションはないが、一軒家が建ち並んでいて、うまく畑が融合している。育つ野菜は大きく、真っ赤な実が太陽の光をたくさん浴びていた。

 葵の案内で、まずは民宿に向かった。大きめの建物に民宿と書かれた看板を掲げていて、看板がなければ一軒家と見間違うだろう。

 にこやかな女性の方が出てきた。俺と葵を見てはさらに目尻に皺を寄せ、部屋に案内してくれる。

「ええ、そうですよ。民宿として建てられた建物じゃないんです。普通の家ですが、民宿業もしておりますよ。わざわざお手紙をありがとうございました。何もないところですが、ゆっくりしていって下さい」

 手紙の相手はこちらの女性だったらしい。夕食は十九時。朝食は七時。好きに観光して結構だが、夜出歩くと野生の生き物たちがうろついているため、都会の人は驚くので止めるべきだとアドバイスを受けた。

「ここに来るまで、狐に出会いました。奈良で人慣れしている鹿は見たことがありますけど、野生の狐って珍しいですね」

「この地では、狐は神であり疫病神でもありますからね」

「疫病神?」

「遠い昔の話です。狐が村中の農作物や生き物たちを食べてしまい、飢饉が訪れたんです。狐は生贄を要求し、村人は泣く泣く男の子を柱として送ると、餓えが嘘のように山にも食べ物が実り始めたんです。狐のせいだ、狐のおかげだ、または男の子を神の化身だと村人の意見は当然割れましたが、今は関係なく仲良く暮らしていますよ」

「伝承は祭りにも伝わっているんですね」

 葵が言うと、女性は微笑み窓に手をかざした。

「鳥居は見えますか? あそこで祭りが行われるんですよ。今日は祭りの日じゃあありませんが、よければ行ってみて下さい」

 女性は俺たちの荷物を置くと、部屋を後にした。

 葵は物珍しげにテーブルにある急須を手に取っているので、ふたり分の緑茶を入れた。この島の名物なのか、狐の形をした饅頭もある。「さっきの話だけど、なんで男の子なんだろうな」

「生贄の話?」

 葵は饅頭を半分に割り、口の中に放り込んだ。中は黒あんで、皮の中にびっしりつまっている。

「こういう伝承って、生贄はだいたい女子が多くない?」

「確かに。でも過去の出来事が祭りに繋がっているんだと思うよ」

「どういうこと?」

「島にはそれぞれ狐の化身、神の化身として島を支えている名家がある。末に生まれた男の子同士が中心となる祭りなんだ。神を狐に生贄として授け、島の反映を祝う。実際は生贄じゃなく、結婚式みたいな祭りらしいけど」

「へえ! 祭りの日に参加したかったなあ」

 俺は未熟だし弱虫だ。言葉を待つばかりで来年も来ようと誘えない。

 葵の手を握ると暑いのに手はひんやりしていて、汗でしっとりと湿っていた。

「葵? 体調悪くないよね?」

 返事の変わりに鞄からポーチを出し、薬を一錠口に入れる。見覚えのある薬は、葵の家の冷蔵庫の中にある、瓶に入ったカプセルだ。

「さあ……行こうか」

 大事な日々は瞬く間に過ぎていく。しっかりと繋ぎ止めたい。

 思えば、薄々気づいていたのかもしれない。葵との別れが、すぐそこまでやってきているということに。

 ふたりで手を絡ませても、驚くのはすれ違う観光客だけで、島の住人は特に反応を見せなかった。聞いてもいないのに神社への近道を教えてくれ、感謝の言葉を述べる。それに対し、俺も感謝のありがとうを口にする。

 葵は家族探しをしないのだろうか。ここにいられる時間は今日と明日しかない。

「葵の家族って……ここにいるのかな」

 勇気を出して聞いてみた。あと少しで鳥居を潜る直前で立ち止まる。

「リンと旅行したくて来たんだ。見つかったとしても、どんな理由であれ俺を捨てた人たちだ。血は途切れなくても、親子関係はないよ。それに……親はここにはいない」

 葵に引っ張られながら鳥居を潜ると、狐たちが出迎える。俺たちの回りをうろつき、匂いを嗅ぐと、ついてこいと言いたげに先を歩く。

 広い境内の中は掃除が行き届いているおかげで、ゴミが一つも落ちていない。足音は俺たちと二頭の狐のみだ。人の気配がまったくない。

 境内は横の広さだけでなく奥まで続いていて、狐は俺たちの速さに合わせてくれているようだった。

 本殿から森の中に入り、小道を通っていくと本殿よりももっともっと小さな建物があった。狐は並んで座り、目を瞑って寝る体勢に入ってしまった。撫でると目を開けるが、気持ちが良いのか再び目を閉じた。

「入っていいのかな? 開けてみようか」

 物音も聞こえず、葵は入り口に手をかけた。横引きの扉はすぐに開き、思ってもみなかった様子に俺たちは驚愕する。

 線香のような心臓が縮こまる匂いと、真っ白な布団が隙間なく並べられていた。

「これが祭りの正体みたいだね」

「なっ……え……」

「神子と狐の結婚なんていうのは観光客を集めるための口説き文句で、実際は男性同士の生贄……初夜を行うんだと思う」

「俺たちが手を繋いでいても村の人たちが変に思わなかったのも、男性同士の恋愛は見慣れているから……?」

「そういう文化がひっそり残っていたんだよ、きっと。ちょっと休んでいこう」

 狐は相変わらず寝ている。警戒心もなくここまで案内してくれたのは、俺たちをそういう目で見ていたからだろうか。

「リン」

 ふたりきりの世界で呼ぶ声。リン。何度も呼ばれてきたのに、違う世界で呼ばれていたような不思議さがある。

 そっと伸ばした手は葵の頬に触れ、けれど暖かみは感じない。人間ではない別の生き物に触れているかのようだった。

「俺は間違いなくここで生まれた。何度もやり直して、ようやく分かったんだ。母も父も島にはいない。今はどこにいるのかすら分からない」

「な、なに……何言ってんの……? 何度もやり直すって……?」

「薬が残り少ないんだ。だから話せるだけ話してしまう。リン、俺はね、違う世界線からやってきた。リンに会いたくて、死に向かって進んでいるリンを止めたくてキミの元に来た」

「違う世界線って……俺たち高校生でしょ? ここで生まれたんでしょ?」

「リンは高校生の年齢で何度か亡くなっている。一つ目は幽霊屋敷の瓦礫に挟まれて。二つ目はクラスメイトに刺されて」

 恐ろしいことに、信じたくないが、俺は夢の内容を思い出した。幽霊屋敷では、庇った葵の手が冷たくなる恐ろしい夢だった。もう一つは、万引きで捕まった杉野に襲われる夢。

 手が震え、葵と同じように手のひらに汗が沸く。

「葵から本をもらったけど、あれは……? 最初のページに平仮名であおいって書いてあった」

「元々の持ち物はリンのものなんだ。幽霊屋敷ができる前、あそこには施設があった。そこで俺とリンは出会ってる。窓の向こう側からじっと見てくる可愛い子がいて、声をかけたら寄ってきた。持っていた飴をあげたら、すっごく懐いてくれた。年齢差はあってもリンは俺と友達になってくれて、あの本を俺にくれた。人生に絶望していた俺にいつも笑顔で話しかけてくれて、明日を待ち遠しいと思ったのは初めてだった」

「施設はなくなって、葵はどこに行ったの?」

「幽霊屋敷の人が子供たちを引き取ったんだ。俺も含めてね。でも本当の理由は、人身売買が行われていた。少しずつ子供たちを海外へ売り払って、当然俺も例外じゃなかった。アメリカのとある施設で、俺は人体実験にされた。元々髪の色はこんな色じゃなくて、実験の影響でこうなってしまった」

「そうだったんだ……」

「時空を越える機械を開発した組織は、俺を第一号として実験体にすることを決めた。俺のような出身もろくに分からないような子供は、都合がいいからね。俺は日本に行きたかった。人として扱ってくれ、俺と友達になってくれた子がどうしても忘れられなかった。せめて一目見て元気でやっているか、どんな子に育っているか知りたかったのに……リンは生きていなかった」

 背中に氷を当てられた気分だ。嘘のようで本当を語る葵は、怯えた目を伏せ長い睫毛が揺れる。

「回避の方法は、俺がリンを守ること。でもそれだと俺が死んでしまい、消える。口頭で注意もしたけれど、リンはなかなか言うことを聞いてくれなかった。幽霊屋敷に行ったり、杉野の家に行ってみたり……結果は散々なものだった」

「ありがとう。たくさん……俺を生かすために動いてくれたんだな」

「……こんな気持ちの悪い話を信じてくれるの?」

「気持ち悪くないって。身に覚えがあるんだ。変な夢は見るし、葵はなかなか自分のことを話してくれなかっただろ? あの薬はなんなの?」

「次元の異なる場所では、おれの身体ははちきれるくらいに痛みが出る。それを抑えるためのものだよ。薬を飲まなければ、身体中に激痛が出て、俺は死ぬ」

「もう……ほとんど……」

 気味の悪いと思っていた薬は、葵を生かすためのものだった。もし無くなってしまったら? 喉まで出ても、現実を受け止めたくなくて、喉の奥に引っ込んでいく。

「昔……俺に優しくしてくれたお兄さんがいたんだ。あまり記憶に残ってないんだけど。名前も分からなくて、でも幸せだった記憶は脳に染みついてる」

「……うれしい。リンを中心に何度もやり直したから、リンの記憶はいろんな世界線のものが交差している。副作用でおかしい夢を見るだろうし、……俺の記憶も忘れていく。俺が元の世界に戻ったら、クラスメイトや先生、リンの家族、リンも例外なく俺を忘れる。そう出来ているんだ」

「俺……俺……、何度出会っても、葵を好きになるよ。子供の頃だって、優しかったお兄さんが大好きだったんだ。俺の初恋で、顔も名前も忘れてしまったけど、そういう人がいたって記憶は残ってた。だから葵も絶対に残る」

「ありがとう、リン。リンが成人を迎えて探偵になったとき、俺は必ずリンの元へ現れる。また出会って、そのときはリンの片腕として、恋人として、一緒に働きたい……泣かないで」

 神様は残酷だ。もし本当にいるのなら、一言文句を言ってやらないと気が済まない。

 葵は布団に倒れ、俺の腰に手を回す。俺も横になり、葵の額に口づけた。

 抱いてほしくてたまらないのに、葵は俺の顔にキスをするだけで、何もしてくれなかった。愛してるの言葉もない。俺が言おうとするとキスで塞ぎ、ごまかしてくる。

「リン……ずっとずっと大好きだから。俺を忘れないで。ずっと覚えていて」

 葵の頬に触れると、わたあめのように柔らかく、鉛のように冷たかった。

 外では狐が声を上げている。中にいる俺たちか、またはどちらかを警戒するように、敵意をむき出しにして吠え続けていた。

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