第12話 無量の夢
途方もない夢を見た。見知らぬ土地を冒険して、野生にしか存在しない生き物と触れ合い、山の幸を堪能した。一言で言うなら、幸せだった。
外からは、オレンジ色の光が差している。どこかで見た光景に似ているが、眠りから覚めない頭では深く考えられなかった。窓に映るのは、浴衣を着た女性が男性の腕に絡み、駅の方角へ向かっている。家族連れも、一人で歩く女性も、みな同じ方向だった。
「ちょっと鈴弥……まさか寝ていたの?」
「え、あ、うん……」
「お母さんとお父さんの知り合いが来るって言ってたでしょう? 鈴弥も彼女と出かけるんなら、早めに支度しなさいよ」
そうだ、今日は花火大会だ。どうりで浴衣の人が多いはずだ。
着替えて一階に下りると、寝癖がついていると母親の眉毛がハの字になる。
インターホンの音にリビングに行くと、母はいつもより甲高い声で客人を出迎える。俺も一揖して挨拶だけをすると、着替えて準備を済ませた。
「あら、もう行くの?」
「うん。帰りは遅くなるから」
「聖子ちゃんによろしくね」
いざ、名前を出されると背中がこそばゆい。ああーうん、なんて曖昧な言い方で場を濁して、家を出た。
太陽は沈みかけといっても、めいっぱいに放たれた熱はアスファルトに残り、靴から熱が伝わってくる。横を歩く浴衣姿の女性はうちわで扇ぎながら、暑い暑いと漏らしている。
駅は人でごった返し、いつもの三倍以上の人で賑わっていた。
「鈴弥君」
手を振って小走りで寄ってくる彼女も、すでに顔が赤い。
高校生になって初めてできた彼女は、北野聖子さん。俺が高校で探偵クラブを設立し、初めて依頼をしてくれた人で、いろいろあって付き合うことになった。いろいろの内容は、実はよく覚えていない。曖昧になった記憶に問いただしてみても一向に答えてくれなかった。
「鈴弥……」
「あれ? 名前で呼ばれるのまだ慣れない?」
「うーん……うん、なんか変な感じ」
首を傾げる彼女は、可愛い。本当に可愛い。クラスメイトに羨望の目で見られるほどに。
絡められた指を思わず離すと、北野さんは目を細めてまっすぐに前を見た。同年代くらいの男女が手を繋ぎ、肩をぶつけ合っていちゃついている。
「そんなに手繋ぐのいや?」
「まさか! 今日は暑いし、北野さんも汗かいてるしさ」
会場内までの途中には、屋台が並んでいた。北野さんはいちご飴を指差して食べたいと言う。お詫びの印に、買うしかない。
パリパリと美味しそうな音を立てながら頬張る姿は、彼氏特権でなくても綺麗な人だと思う。鼻が高いのに、心がざわつく。遠足前のわくわく感の中に、事故を予知できる能力が備わったような不安が付きまとう。そんな力があったら、きっと何をしても楽しくないだろう。
「うわあ、やっぱり人すごいね。そこの小道に入ろう」
袖を引っ張られるままに入っていくと、整備されていない道と誰かが食べた後のたこ焼きのパッケージ。楽しい祭りの後の残骸だ。
「ふふ……やっぱり誰もいない。どうしたの?」
「……こんなところに神社があるなんて知らなかった」
「寂れちゃってるけどね」
鳥居を潜ると、頭だけではなく全身に衝撃が走った。息苦しくなった後に冷たさと熱さが同時に襲ってきて、息苦しい。俺の回りから酸素が消えてしまったみたいだった。
「……初めて来たっけ?」
「初めてよ。ねえ、ほんとにどうしちゃったの? もしかして具合悪かった?」
具合が悪い。そう言われて、そうなのかもしれないと思い始めた。
「もう帰る?」
心配そうに見つめてくるが、目は行かないでと訴えていた。彼氏としては、彼女の要望に答えたい。なのに、体調の悪さと何かが邪魔をして家が恋しくてたまらなくなってきた。
「花火はやめて……どこかで休んでく?」
「大丈夫、ここにいるよ。側にいる」
「うん、ずっといてね」
北野さんは微笑み、俺にもたれかかった。
花火は最後まで観たが、あんなに美しいのに何かが足りない気がして、俺は早く終わるのをずっと待った。
北野さんを家まで送りたかったが、情けないことに俺が送られてしまった。気にしないで、と繰り返す彼女に何度も謝り、夜遅くのデートは幕を閉じた。
リビングは綺麗に片づけられているのに、お酒の臭いがした。アンバランスな部屋を通り過ぎて自室に戻る。自分の匂いというものは分からなくても、この部屋がやっぱり落ち着く。ベッドに横になると、何か固いものが頭に当たった。
「いたい……」
正体は本の角だ。昨日の夜、読んだはずはないのに、なぜか布団の下に挟まっていた。最後のページらへんに、何かが挟まっている。
「お守り……?」
狐の顔が浮かび、なんだか不気味に思えた。誰かからもらったこともないし、自分で買った記憶もない。明日、母に聞いてみようと、目を閉じた。
翌朝、すっきりしない目覚めのせいか、頭が痛い。鏡には目の下を黒くさせた俺の姿が映った。
シャワーを浴びれば少しは頭で考えられるようになった。用意されていた朝食は、先を読んだかのように大根の葉を使ったお粥と卵焼きだった。
「お父さんも昨日飲み過ぎてね、どうせ食べられないと思って簡単なものにしたわ」
「助かる……俺も寝不足」
「昨日は何時に帰ってきたの?」
「二十三時頃だけど、どこにも寄らずにまっすぐ帰ってきたよ。帰り道が混んでて、遅くなった」
言い訳がましく、けれど誤解されたくないと必死になってしまった。本当だ。彼女とは何もしていない。……キスも。
「そうだ、これ知ってる?」
ポケットに入れていたお守りを母に見せる。
「本に挟まってたんだよ」
「何の本?」
「……何の? えーと……」
何の本だったか。内容はよく思い出せない。そもそもベッドに置いた記憶もないのだ。寝ぼけて置いたのかもしれない。
お粥はほんのり塩味が利いていて、葉物の甘みを際立たせていた。
「さあ……お母さんがあげたものじゃないし、誰かからもらったんじゃないの?」
「どこのお土産かなあ」
「得意のSNSで聞いてみたら?」
「……若者がみんなSNS得意と思った?」
「将来は探偵になるんだから、それくらいできるようにならないと。写真一枚から人捜しをしたりするんでしょ? 聖子ちゃんと一緒に事務所を立ち上げるって張り切ってたじゃない」
「そう……だったかな」
残念ながら記憶がない。母も嘘を吐いているようには見えなかった。
朝食後、スマホで撮影した画像を載せ、ついでに拡散希望、神社好きの方へ届けと願いの文字を打った。
あらためて本をめくると、平仮名で『あおい』と書いている。崩れた文字で、子供が書いたとあきらかだ。
SNSに返信はあるが、ほとんどが頑張ってと応援のコメントばかりで、嬉しくなった俺はパソコンで片っ端からお守りを調べた。日本語でお守りと書かれていても、見つからなすぎて日本のものではないのではと疑いを持ってくる。
SNSのやりとりと同時進行で調べていると、次々とメッセージが届く。目を引いたのは具体的なことが書かれている内容だったからだ。
──狐と神子のお祭り。
どこの神社かは記されていないが、今までの返事からすると、かなり具体的だ。
「……過去を見据える観測者?」
アカウントの名前が『過去を見据える観測者』。狐や神子より、名前が気になってしまった。
──ありがとうございます。観測者さん。
──ふふ、こちらこそ。キミなら、きっと素敵な探偵になれると思う。
なぜ知っていると思うより先に、アカウントのプロフィールに将来の夢をでかでかと書いていたのを思い出した。放置しすぎて忘れていた。
探偵を全押しされて応援してもらったために、も具体的な話は聞くに聞けない。狐と神子という、大ヒントまでもらえたのだから、探偵の卵として調べるしかない。大丈夫、俺ならできる。
案外、それだけのヒントでも簡単に調べることができた。けれど情報が少なすぎる。京都や東北の有名な祭りで隅っこに追いやられた祭りは、ひっそりとした人気があり観光客も押し寄せるとネット情報だ。
名産物は狐の饅頭や煎餅。孤島に行く術は、船しかない。そもそも電車が通っていない。
島の写真を見ているうちに、急に内蔵が締めつけられたような鈍痛が起こる。これは、北野さんと花火を観賞したときにも似た苦しみが襲ってきた。
「俺は……行ったことがあるのか……?」
記憶は少しもないのに、懐かしい感じがした。孤島から眺める海、木に張りつく二匹のカブト虫、畑に実る大きな野菜。
実は俺は捨て子で、本当はここの出身なのではとバカなことも考えてみる。母親に顔が似ていてあり得ない。
「お兄ちゃん、入ってもいい?」
返事を待たずに妹が入ってきた。勝手にパソコンを覗き、写真を眺める。
「見るなよ」
「ここどこ? 旅行でも行くの?」
「…………行く」
妹に後押しする形で、嘘を吐いてしまった。行く予定なんてない。でも行く。今、決めた。
「へえ……お兄ちゃんもそういう年頃かあ」
「なんだよ年頃って」
「聖子さんと行くんでしょ?」
頭にもなかった。言われてから、そういう選択肢もあるんだなと冷静に考え、それでも一緒に行く選択は頭に入れなかった。
妹が部屋から出ていってから、お守りと本を机に並べた。たった一つのお守りで、今朝から怒濤の日々を過ごした気分だ。
何か大事なことが頭からすっぽり抜け落ちた気分で、それは北野さんと花火を観に行ったときからずっと心に残っていた。一度決めたら止まらなくなり、一人旅行まで計画してしまうものだから、お守りには不思議な力があると信じてしまう。
ついでにお守りの中は開けていいのか検索すると、効果がなくなると載っていた。お守りは一年で効果がなくなるとも書いている。
何年前のものかも、誰がくれたものかも、調べれば調べるほど謎を呼び込むお守りだ。
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