第7話 真実には光がない

 放課後、先にクラブで待っていると、葵からメールが届いた。

──否定を貫き通してほしい。それとも、キミは仁義を貫く?

 訳の分からないメールだ。ちょうど扉の前で誰かが立っていたので、端末をしまい入ってくるのを待った。足音からして、葵ではない。

「ここで活動しているのか?」

「は、はい……」

 待ち人でもなく、依頼者でもなく、ホームルーム以来の担任だった。即座に、あの妙なメールとの因果関係を探る。ど素人とはいえ、俺だって探偵の端くれだ。

「ちょっといいか?」

 返事をするより先に、担任は俺の前の席に腰を下ろした。

「杉野のことなんだが……」

 すぐにピンときた。メールの内容と合致するが、否定か仁義かすぐに答えは出せない。まだ猶予はある。焦ったら駄目だ。探偵は会話術も秀でていなければならない。

「最近、杉野君は来てないですけど何かあったんですか?」

 知らないふりをして尋ねた。

「先生は何も言わないし、クラスメイトも不審がってますよ」

「家庭でいろいろあったみたいなんだ」

 担任はどこまでもしらを切るらしい。しらを切らなくても、俺は事情を知っている。

「単刀直入に聞きたいんだが、杉野と何か揉めたりは……」

「揉め事? そもそも俺と杉野が話しているときなんて見たことはあります? 名前すら呼ばれたことはないのに」

 事実であれば、堂々と話せる。嘘は声に違和感が出る。俺は詐欺師に向いていないとはっきり分かった。

「なんで俺ですか? もっと仲が良い人いるのに」

「いやあの……杉野がお前たちの名前を出したんだ。詳しいことは知らないんだが、喧嘩でもしたのかと思って」

 担任はしどろもどろになり、何も知らないならいいと告げる。はっきりしない素人の事情聴取が終わると、席を外した。入れ違いに葵がやってきて、先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろす。

「椅子が生ぬるい。誰か来た?」

「生ぬるいってなんか嫌な言い方だなあ。担任が来た」

「やっぱり?」

「葵も何か聞かれたんでしょ?」

「まあね。どうして分かったの?」

「先生が『お前の名前を出した』って言ってたから。仲良いの葵くらいだし。それに、なにあのメールは」

「ふふ……俺が先に呼び出されて、次はリンにも聞くだろうと思って。その様子だと否定を貫き通したみたいだね」

「葵からのメールがあったっていうより、あの状況だとそうするしかないでしょ。杉野が俺たちの名前を出したってことは、警察に通報したのばれてるのかな」

「通報したのは俺ね」

 余計な一言は俺を不安にさせる。まるでひとりで冤罪を被ろうとしているみたいだ。

「ところで、北野さんと何話してたの?」

「この件だよ。先生と同じこと聞いてきた」

「本当にそれだけ?」

 なぜこう、妙なところが鋭いのだろう。彼は俺より何倍も人生経験を積んでいる。

「……葵に付き合ってる人や好きな人がいるのか聞いてって言われただけ。答える気ないからな。言いたければ自分で言えばいい」

「なぜむくれているの? 一番時間を過ごしているのはリンなのに。そんなに嫉妬しなくていいよ」

「…………うん」

 楽になれる方法は、素直になることだ。一か月あまり一緒に過ごしてきて、俺は確実に葵に惹かれている。それがどんな意味なのかまだはっきりしないけれど、葵が他の生徒と仲良く話しているのを見ると、嫉妬で焼け狂いそうだ。これが俺の悪い癖だ。相手はものではないのに、ずっと側にいてほしいとさえ思う。

「ねえ、キスしてみない?」

「…………は?」

 何を言っているのだ、この男は。

 葵は微笑み、前に座る俺の手に悪戯をしてきた。指文字で何か書いている。意味が分からず首を傾げるが、たった二文字の文字だった。

「よく簡単に言えるよね……自分が何言ってるのか分かってる?」

「うん、好き」

「話がかみ合わないな」

「なら手にしてもいい? リンに嫌悪感が出るか試したいんだ」

 握る手は震えていて、自信満々の口調とは大違いだった。葵はよく分からない人だ。嘘や真実が顔に出ないタイプ。けれど手の震えは隠せない。

 肯定と取ったのか、俺の手を握ると迷いなく手の甲に口づけた。震えていたくせに、今はもう止まっている。

「ときには駆け引きも必要だよ、リン。俺にキスされてどう思った?」

「駆け引き……? 別に嫌じゃないけど……初めてされたから驚いてる」

 二度目は許可していないのに、葵はまたもやキスをした。今度は手首。そういえば、キスをする場所によって意味合いが変わるらしい。どんな意味だろう。

 探偵どころか、今日は手遊びをしているだけで終わってしまった。けれど濃い一日だ。人生の岐路に立たされたみたいに瀬戸際まで追い込まれて、答えを出した。仁義を通すだけが正解ではないと学んだ。一度は経験があるだろう、嘘を吐くことはどうかという道徳教育は誰もが通る道だが、今ならはっきり言える気がする。

 活動の後はまっすぐ帰宅すると、玄関に見慣れない靴があった。小さなハイヒールで、履き慣れたイメージが沸く靴だ。

 リビングに顔を出すと、知らない女性が座っていた。挨拶を交わすと、相手も立ち上がって俺に頭を下げた。

「鈴弥、おかえりなさい。こちらの方はね、杉野誠一君のお母さんよ。鈴弥に話があるからって来てくれたの」

 十中八九、杉野のことで、逃げたくて仕方がなかった。

 母に目でたしなめられ、横に座るしかない。制服すら着替えさせてもらえない。

「うちの子が学校に行っていない理由は、鈴弥君なら分かると思うんだけど……」

「知りません。今日担任にも呼ばれました」

「……うちの子ね、万引きをして捕まったの。警察の方もいらして、学校にも行かせてあげられなくて……」

 行かせてあげられないというのは、親心からくる愛情だ。ただのクラスメイトの俺からすると、犯罪者を正当化しようとしているだけの現実逃避。

「本人も口を割ろうとしなくてね。鈴弥君もそのとき一緒にいたんなら、ちょっと状況を教えてもらえないかなって……」

 母ははっと顔を上げ、子ではなく悽惨な生き物を見るかのような目だ。なぜそんな顔になるのか瞬時に判断できなかったが、気づいたときは声を張り上げていた。

「俺まで万引きしたみたいな言い方止めて下さい! 俺はそんなことしてない!」

「ごめんなさいね……そんなつもりじゃないのよ」

 申し訳なさそうに、意思の固そうな声で謝罪をする。なぜか彼女が悲しげに顔を歪ませる。

 まさか。まさかとは思うが。

 担任までも俺が万引きしたと疑っていたのか。警察に何か言われ、犯罪を犯す人間だと先入観を持ったままクラブの空き部屋に訪れたのか。

「お母さん……俺……そんなことしてないよ……」

「分かってるわ。分かってる。そんな顔しなくていいのよ」

 今になって、お小遣いをあげてほしいだの禁止なのにも関わらずバイトしたいだの言っていたことを後悔する。

「一緒にいたって言いましたが、そんな証拠はあるんですか?」

 相手の怒りを誘うと、つい本音が出てしまう。無意識のうちに彼女がしようとしている。乗っては駄目だ。ここは冷静に判断しないと。

「赤い髪のクラスメイトの子と一緒にいなかった? 鈴弥君はそうでもないけど……ほら、彼は目立つから」

 確信があって、さらに言うと彼女が見たわけではない言い方だ。誰かに聞いたか、杉野が見たか、曖昧で確定できない。

 母は消え失せるほどの声で葵君と口にした。

 止めてくれ。俺だけならともかく、葵までそんな目で見られるのは耐えられない。

「ごめんね、何が言いたいのかと言うと、うちの子が本当にやったのか知りたくて。息子も曖昧なことを言っているから」

「知りません。杉野が本当のことを話せばそれで済む話です」

 俺は立ち上がり、鞄をひっつかんで外に飛び出した。

 出ていったって、行く場所なんてどこにもない。頭をよぎるのは、幽霊屋敷だ。葵と行かないと約束を交わして、俺は律儀に守り続けている。

 慣れた道をさ迷っているように見えて、実際は本能の赴くままに進んでいた。二度目の訪問は一度目よりもひどく緊張するもので、インターホンを押せずにいる。

──家にいますか?

 敬語になってしまった。やましいことがあるせいだ。

──お風呂上がりだよ。

──家に行ったら怒る?

──怒らないよ。入っておいで。窓からキミが来るのが見えた。

 ばれているのなら遠慮なくインターホンに手を伸ばした。

 中で物音がし、ドアが開いた。まだ髪の濡れた葵は、首にバスタオルをかけて頬を赤く染めている。ラフな格好に見ていられない。同じ高校生とは思いたくないほど、色気がある。

「散らかってるけど、どうぞ」

「どうせ散らかってなんてないくせに」

 また何かされるのではと身構えるが、葵は鍵をかけておいて、とだけ言い、すんなりリビングへ行く。

 俺が来るまで鍵はかけていなかったのか、先ほどは解錠する音はしなかった。まるで犯罪者ではないまっとうに生きた人間がやってくると、受け入れてくれたみたいだ。

 散らかっていないと思っていた部屋は相変わらず何もないが、台所が散乱としていた。マットにエノキの欠片が落ちている。

「どういう風の吹き回し?」

「……今だけ」

「だけは嫌だなあ」

 エノキが落ちていようが包丁がむき出しだろうが、俺は構わず後ろから抱きついた。

「なんで今日は抱きしめてくんないのさ?」

「ん? 今日は?」

「学校で、クラブのときに勝手にしてくるのに」

「ふふっ……寂しかったんだ?」

 返事はしない。悔しい。

 腹部に回した俺の手に重ねて、葵はまた何か指文字で書いている。手の甲だと少しも分からない。

「鍋作ってたのか?」

「うん。リンにご飯を作ってもらって、ちゃんと作ろうって影響を受けたんだ」

「なんか安心した。葵にもできないことってあるんだな……」

「ひどくない? 俺を完全無欠なサイボーグとでも思ってた?」

「……なんで米と野菜入れてるの?」

「鍋の中に一緒に入れたら一石二鳥かなあって」

 鍋ではなくアイデアを駆使した別の何かを生みそうだ。

 鍋から米を取り除いた後、米は米で炊くことにした。

 野菜はもう切ってあるので鶏肉を一口大にし、レトルトの素を注ぐ。これで煮込めばいい。

「鍋の素って美味しいの? これ入れれば他には何もいらないって書いてあるけど」

「美味しいよ。食べたことないの?」

「ない」

「リンのお母さんは全部手作りしそうだもんね。食べ終わったら、なぜ制服のままやってきたのか教えてね」

 すっかり忘れていた。空腹で苛立ちもあったので、きっと食べ終わる頃には落ち着くだろう。その方が落ち着いて話せそうだ。

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