第8話 嘘の先の末路

 育ちざかりのふたりで大量にあった鍋を平らげ、残ったご飯でしめをした。それでもまだ残ったので、深めの皿に盛って明日の朝食用にした。

 葵はお嫁さんにほしいなどと言ったので、だんまりを決め込んだ。

 しきっぱなしの布団の上に座り、コーラで乾杯をしながら、今日の出来事について重い口を開く。

「杉野の母親が? わざわざ来たんだ」

「俺目線の話だけどさ、めちゃくちゃ汚いこと言うけど、自分の息子が万引きしたことは認めてないけど、俺や葵はしたって疑いの目で見られてる気がして。今思うと、担任も俺たちに聞き取りした理由が万引きを疑ってたのかなって……。一番つらいのは、お母さんが怯えた顔をしてたのがつらい。ほんのちょっとでも疑問を持ったのかな」

 声に気持ちを乗せただけでも、濁った心が澄んでいった。吐き出すことは大事だ。

「うちの子がそんなことをするはずない、うちの子はしない、そんな風に現実を見ずに上辺だけを見ている大人は多いよ。その点、リンのお母さんはちゃんとリンのこと見ていたじゃない。先を見据えて、たらればの後のことも考えた反応だったと思うよ」

「そっか……そういう風にも捉えられるのか……」

 目から鱗だ。気持ちに余裕が持てなくて、自分の感情ばかりを優先しすぎていた。ショックだったのはどうしても拭い切れないけれど、母とちゃんと話し合おうと思う。

「この手はなに?」

「え?」

 すっとぼけた声が憎らしい。背中に回っていた手は何も言わなかったが、お尻を撫でて今はわき腹にきている。変な声が出そうだ。

「布団にいて、俺が何もしないと考えたの?」

「真剣な話をしてたのに……俺お風呂入ってないよっ」

 葵の手が微動だにしなくなった。

「それって、身体を綺麗にしたらオッケーって意味に捉えていいの?」

「よくない! 違う! あっ」

 布団に押し倒され、上半身に手が這い回る。くすぐったさと重苦しい息に思考が追いつかない。手は制服に伸びていて、長い指が次々とボタンを外していき、下に着ているシャツにも手が伸びる。ズボンに触れられたところで、上から握った。葵の手は熱があるのではというほど熱かった。

「下は駄目なの? 分かった」

「上もダメ、恥ずかしい……ってかなんで上はいいことになってんのさ……」

「駆け引きも必要ってこと」

「クラブでも言ってたけど、何のこと?」

「唇にキスさせてと言うと、リンは断る。でも引き下がりつつ手の甲にさせてと言えばオッケーしてくれるでしょ?」

「……そういうことか」

「ネタばらしをしたついでに言うけど、ちょっとだけ大人の階段上ってみない? もちろん嫌がることはしない。キスも、リンが嫌ならしない」

「別に……嫌ってわけじゃ……恥ずかしいだけだし」

 本当は、本当は……唇にキスしたいって、風呂上がりの葵を見て思った。今までにない感情が沸き起こっていて、身体の中心がむず痒くて抑えろと暗示をかけていた。葵にはとっくにばれている。絡み合う足に当たって、膨らみかけなのは興奮の証。なのに変にからかったりしないでそっとしてくれるあたり、やっぱり彼は大人だ。

「んっ……んむ……」

 風呂上がりだからか、葵の唇は熱かった。石鹸と体臭の混じった香りは欲をかき立て、舌を入れると驚いた葵は一度引っ込めるが、すぐに蠢く欲を絡ませてくる。

「はっ、は……ふ……っ」

 シャツの中に手が入ってくる。葵以上に俺の身体に熱が溜まりすぎて、拒むことなんてできなかった。

「リンでめちゃくちゃ抜いてたからさ、現実になって嬉しい」

「それ本人に言うのか? まあいいけど……んっ……」

 むにゅっと唇が当てられ、吐息すら吸われていく。

「どうしよ……気持ちいい……」

「いろいろ熱くなっちゃうね。もっとしよう」

「うん……」

 見つめ合って数秒、吹き出しそうになる直前でまた塞がれた。

 手は身体中を這い、反応する箇所を中心に指で悪戯をする。

「本当に上だけでいいの?」

「う……トイレ貸して」

「あ、そう言っちゃう?触りっこしよっか? このままリンを家に帰せないよ。可愛い妹さんもいるし」

 悪魔の囁きに、俺は迷う振りをして頷いた。自分から誘うのは、恥ずかしい。

 葵は堂々とズボンと下着を脱ぎ捨てると、重そうにどっしりとした性器が顔を出す。へそにつくほど反り上がっていた。ベルトを外して脱ごうとするが、先に葵が俺のズボンに手をかけた。

 その後のことは、あまり覚えていない。余裕そうな顔は見せかけだけで、握って上下に揺する手はちっとも余裕なんかない。かく言う俺もたくましい肉棒を握って、絶対に俺より早くいかすんだって気持ちで擦った。なのに呆気なく敗れた。葵の手は的確についてきて、数分ももたなかった。

 帰りは葵が送ってくれた。どちらからともなく手は繋がれ、何を今さらというほど自然だった。明日の朝ご飯が楽しみとか、横切る猫の話から動物園に行きたいなど、たわいもない話が楽しくて仕方ない。

 あんなことをしておいて本人には伝えられていないけれど、葵への気持ちがはっきりしない。キスも、手でするのも嫌ではなかったのに、友達とも恋人とも違う。

「名前のつけられない関係は、それはそれで愛おしく感じるよ」

「俺の心をまた読んだだろ?」

「読まなくても顔色を見ていれば分かるよ。ちょっと読んだけど」

 どこまで嘘で本気なんだか。代わりに握る手におもいっきり爪を立ててやった。

 後少しで家だというのに、葵は一向に手を離さなかった。母親が外にいて、辺りを見回している姿が目に映る。離すより先に母と目が合い、安堵の顔も束の間で、驚愕で硬直している。

 直前になる前に手を離し、葵は深々と頭を下げた。

 このたびは誤解を招いてしまい申し訳ございません。万引きは絶対にしていません。していない証明はできませんが、した証明もできません。それと息子さんを夜遅くまで連れ回してしまい、ご心配をおかけしました。出るわ出るわ、大人でも驚くほど口がよく回る。

 呆気に取られた母も腰を曲げ、壊れた人形のように二人して頭を下げ続ける様子を、俺は黙って見つめていた。

 葵を小さくなって消えるまで見送り、母と共に家の中に入る。妹はとっくに寝ていて、父は外の話を聞いていたのか母から聞かされたのか、早めに寝ろとしか言わなかった。

 父が寝室に戻り、母はホットミルクを作ってくれた。蜂蜜入りでとても甘い。

「あのさ、お母さん。そういうことだから。俺たち、探偵クラブやってて、諸々あって杉野を追ったんだ。そしたら本屋で万引きしてるところを見かけて、匿名で警察に話した。杉野は俺たちも本屋にいるところを気づいていたみたいで、今日の事案に繋がったんだ」

「鈴弥に勘違いされたんだって思ったら、母として情けなく思ってしまったの。お母さんは最初から鈴弥がしたなんて思っていないわ。もちろん……葵君も信じているからね」

「うん……」

 俺の気持ちなんてお見通しで、葵のフォローも入れてくれた。手を繋いでいたことは、何も言ってはこなかった。

 今日はいろいろありすぎて、なかなか寝つけなかった。


 蝉の大合唱と共に目が覚めた。目覚まし時計より先に優勝してしまった。嬉しくないし、もったいない。目覚めは最悪で、頭の最奥でずっと地響きがしていた。

 何かおかしな夢を見た気がする。SFのように世界がまだら色になり、次々と高層ビルが崩れ落ちる。ここ最近はずっと夢を見続けているのだ。なぜか杉野の夢を見たときもあった。杉野がストーカーと化して、俺に背後から刃物で心臓めがけて突き刺してくる。葵に話したら笑われてしまった。あいつにそんな度胸はないとばっさり切り捨てた。杉野といえば学校は退学となり、彼の母もあれから音沙汰がない。平和なのは良いことだが、良からぬ前の前兆のようで気味が悪かった。

 枕元の端末にはメッセージが一件入っていた。葵からで、夏休みの日程について質問を投げかけられている。今日どうせ会うのに、我慢できなかったのか。ちょっとおかしくて朝から声を上げた。会いたいと返した。

 朝食を食べていると、母もようやく席についた。父と何か目配せをしている。何か大事でも言いづらい話があるときだ。俺は知らないふりをして、目玉焼きに醤油をかけた。

「鈴弥、ちょっといいか?」

 こういう場合はいつも父からだ。俺は視線を父に向けた。

「夏休みの花火大会は、予定があるか?」

「……分かんない」

 下手な返し方すぎる。これから誘うと思っていたところだったので、良いタイミングではなかった。

「分かんない? 誰か誘う人でもいるのか?」

「うん……」

 夏のせいで、七月の気温のせいで首も顔も熱い。おまけに熱々のみそ汁を飲んでいるせいだ。

「お兄ちゃん知ってる! 葵さんでしょ? この前アイス奢ってもらっちゃった」

「は? え? なんで? どこで?」

 そんなこと、葵は一言も言っていなかった。

「コンビニでばったり会って、いつもお兄ちゃんと公園でアイス半分こしてるでしょって話したら、一緒に食べようって誘われちゃった」

 父の目が痛い。母の目も痛い。手繋ぎ事件から、俺は葵の話を極力控えるようにしていた。母は俺が友達ができたと喜んでくれたのに、今は腫れ物扱いだ。

 葵とはあの日以来、プラトニックな関係でいる。エッチなことは一切ないが、たまに葵はそういう目でじっと見てくるときがある。俺はたまらなくて、いつも逸らす。代わりに、お互いの指先を擦ったり手のひらをくすぐったりして返事をする。

「花火大会がとうしたの?」

「知り合いの家族がうちに来たいって言ってるんだが……いいか?」

「親戚?」

「いや、昔お世話になった人なんだ。母さんと共通の知り合いでな」

「ふうん」

 ぬるくなるまで残しておいたみそ汁をかき込み、箸を置く。

「別にいいんじゃない? 俺は家にいないかも」

 予定がなければ、曖昧に濁すのが一番だ。

 学校への通学路も蝉の鳴き声が止まらず、歓迎されているのか縄張り意識なのか、どちらにしても俺はあまり好きな音ではない。

 クラスには葵がすでに来ていて、女子と談笑していた。

 聞きたくもないプールや花火大会の誘いに、葵はにこやかにお断りしている。女子たちは俺を一瞥すると、何も言わずにまた葵と話し始めた。

「じゃあさ、佐藤君も一緒だったらいい?」

 取り巻きの一人が甲高い声を上げる。このクラスの佐藤は俺だけだ。というか、俺の名字知っていたんだな。

「葵君は佐藤君と仲良いでしょ?」

 意地でも後ろを振り向かず、黙って借りた本を机に置く。葵の含み笑いが聞こえるが、ここは無反応でいいだろう。

「ごめんね、花火大会もプールもリンと行くことになってるんだ。ふたりで行きたい」

「ええー、女子も一緒の方が楽しいでしょ? 特にプールなんかは」

「いやいや、リンの裸見てる方が楽しいって」

 未だかつて、こんなにも本の角に頭をぶつけて死にたいと思ったことはない。母に葵との手繋ぎを見られたときも、こんな気持ちにならなかった。

「ちょっといい?」

 女子たちの叫び声に耳を押さえたくなるも、俺は葵の腕を掴んで立たせたものだから、さらに耳が壊れそうになった。

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