第49話 いつまでもふたりでお風呂②



「なんの話をしてたんですか?」



「クロのこと、かな」



 宇佐美さんのもとへ戻ると、早速聞かれた。当の本人に言うわけにもいかないので、後半部分だけを伝える。


 彼女もクロのことをたいそう惜しがったが、飼い主が見つかったのはいいことだと小さく微笑む。


 たまに様子を見に行くことについては、宇佐美さん同伴であればと、とりあえずの許可も下りた。


 俺と宇佐美さんは、駅構内に入り、当初の目的に向けて電車に乗り込む。揺られること四十分。ようやく大きな駅に着くと、通りにある洋菓子店に足を踏み入れた。



「ここが目的地ですか?」



「いや、違うけど。ここのお菓子、美味しいって有名なんだ。少し買って行こう」



「はい」



 不思議そうな顔をして。

 しかし、店に漂う甘い香りにすっかり魅了された宇佐美さんは手前のケーキ売り場から奥の焼き菓子売り場まで、ぐるぐると見て回る。


 そのうち、一人の店員が声をかけてきた。



「よかったら、お茶をどうぞ」



「ありがとうございます」



 女性が差し出した盆には、白いカップとおすすめの商品。それぞれふたつずつ乗っていて、端の椅子に座って食べていいとのこと。素晴らしいサービスだ。


 宇佐美さんは嬉しそうに、すぐさま焼き菓子を頬張った。俺も茶で喉を潤してから、ひとくちかじる。


 うん、美味い。

 見た目はただのマドレーヌだが、中に柑橘系のジュレが入っていて、ほどよい酸味が甘い生地とよく合っている。上部はチョコでコーティングされており、これなら紅茶好きなあの人も気に入るだろう。


 茶を飲み終わると、ふたりでまた焼き菓子コーナーを見る。


 試食も用意されていて、時々物欲しそうな顔で振り返る宇佐美さん。気になるなら食べればいいのに。


 そう思っていると、宇佐美さんはひとくちサイズにカットされたブラウニーをつまようじで刺し、俺に差し出した。



「はい、あーんですよ、犬山さん」



 共犯者になれってことか。

 しかも、公共の場であーんとは。


 しかし、従わないという選択肢はない。


 俺が口を開けると、宇佐美さんはにっこりして、菓子を入れてくる。


 そして、そのつまようじでまた刺すと、今度は自分の口にブラウニーを運んだ。


 間接キス。

 相変わらず可愛いことをする......



「そろそろ行こうか」



 にやける顔を押さえながら、俺と宇佐美さんはブラウニーと先ほどのマドレーヌを一箱購入し、店を出た。


 目的の場所はここからそう遠くはない。

 からりと晴れた空の下を、ふたりでゆっくりと歩いた。



「犬山さん、どうして......」



「ラビに聞いたんだよ」



 そうして着いた場所を見て、宇佐美さんは目をまるくする。


 途中から不安そうな顔をしていたが、予想が当たって、かなり焦っている様子。当然といえば当然だ。



「少し話そうか」



 俺はすぐ近くの公園を指差し、ベンチまで行って、宇佐美さんに座るよう促す。宇佐美さんは周りをきょろきょろと見回し、不意に笑みを浮かべた。



「この公園、久しぶりです」



「よく遊んだの?」



「はい、ラビといっしょに」



「ふうん」



 あのブランコも、あの砂場も、と宇佐美さんは昔を懐かしむ。


 幼いころの宇佐美さんはどんな少女だったのだろう。今より活発だったろうか。よく泣いたのだろうか。甘いものは......変わらず好きだったのだろう。


 俺は小さな女の子を思い浮かべながら、口を開いた。



「俺は今まで宇佐美さんから逃げてた」



「......」



「気持ちに気づいてて、知らないフリをしていた。年齢のせいもあると思うけど、一番は自分に自信がなかったから。こんな可愛い子が俺に本気なわけないって」



「そんなこと......」



「もちろん、違うって今は分かってる。だからもう誤魔化すのはやめようって。想いに向き合って、進もうって決めたんだ」



 今日ここに来たのはその一歩目。

 俺なりのけじめとして。



「宇佐美さん」



「はい」



「俺とずっといっしょにいてくれないか」



「......っ」



「こんな冴えない男だが、宇佐美さんを大事にしたいと思ってる。いっしょにご飯を食べたり、買いものに行ったり、カフェに行って愚痴を言い合ったり、楽しいことも苦しいことも共有して、そしていつかは隣で目覚める日々が送れたら、と」



「それはプ、プロポーズ、ですか?」



「いや、プロポーズでは」



 内容としてはそうだが、宇佐美さんのこれからを縛るつもりはない。


 だが宇佐美さんが、俺と同じように関係を深めたいと思ってくれているなら──



「まあ、でも、そうなるのかもしれないな」



「......っ、嬉しいです」



 宇佐美さんはまた瞳を潤ませて。

 ほんとに嬉しいと目を細める。



「どう、かな?」



「こんなわたしでよければ」



 そう言って、手を差し出す。

 俺はその細い手を優しく握る。


 小さく震えているのは、喜びからか。

 温もりが手のひらから伝わってくる。



「末永くよろしくお願いします」



 聞くが早いか、俺は彼女の腕を引き、強く抱き締めた。感謝の意味を込めて。


 どくんどくんと、互いの心臓の音が聞こえる。感情に合わせ、激しく打つ鼓動。


 なぜだろう、何度も抱いたことがあるのに、今日に限って緊張している。でも不思議と、宇佐美さんとならずっとこうしていたい。触れていたいと思えるのだ。


 しかし、もういい時間だ。

 そろそろ覚悟を決めなければ。



「じゃあ、お義母さんに挨拶に行こうか」



「......はいっ!」


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