第47話 わたしだけのお隣さん②
大きな声にクロの耳がピクリと動く。
それでも我慢ならなかった。
今日はもう、帰らない?
いくらなんでも無防備すぎるだろ。
「宇佐美さん、さすがにそれは」
「わたしも......」
「え?」
「わたしも男の人の部屋に泊まる意味くらい、知ってます」
制服の裾をぎゅうと握り締める宇佐美さん。明るい茶色の瞳は少しも揺れていなくて、彼女の決意の固さが伝わってくる。
分かってやっているなら、なおさら悪い。
それとも、俺の理性を試しているのだろうか。
ため息をついて、立ち上がる。
「風呂入ってくるから、もうちょっと、よく考えて。まだ夜も遅くないから」
「......はい」
頭ごなしに否定し、拒否しても、宇佐美さんが傷つくだけ。少し時間を置けば、冷静になるはずだ、と考えたのだが──
「って、宇佐美さん!?」
「お邪魔します」
「なんで風呂に、てか、なんで裸」
「いっしょに入ったほうが、お湯の節約になりますよ?」
「ラビと同じことを......」
雑念を洗い流そうとシャワーヘッドに手を伸ばしたときだった。
浴室のドアが開いたと思えば、俺の背後には宇佐美さんがタオル一枚という姿で立っていた。
もう何度も見たというのに、慣れない。
慣れるはずがない。
しかも、その発言に、ここにいない妹の気配を感じて、無意識に返す声が低くなる。
「まさか、これもラビの入れ知恵?」
「違います」
お風呂に入りたいだけ。
宇佐美さんはそう言って、風呂場の床に腰を下ろす。そしてそのまま、シャワーを浴び、持ってきたシャンプーで髪を洗い始めた。
暴走気味とも言える行動に、最初は唖然としていたが、ふと視線を下に向けて、今度は頭が真っ白になった。
椅子に座っているため、俺は宇佐美さんより頭一つ分、視界が高い。つまり、自然と彼女を見下ろす形になるのだ。
タオルから覗く谷間。
上から見ると、より深く。
流れ落ちるシャンプーが情欲をそそる。
「もう、知らん」
俺は宇佐美さんに背を向け、シャワーを頭の先から被って、全身を濡らした。
火照っているのは、あくまで湯を浴びているせい。そう自分に言い聞かせるため。
だが、交代でシャワーを使い、渡すときに触れた指先が、熱くて。
髪から垂れる滴も。身体のラインに合わせ、張りついたタオルも。俺の理性という理性を刺激し、何度も崩壊の危機へと追いやった。
「怒ってますか?」
「怒ってるよ」
風呂上がり。
ローテーブルで向かい合って座る。
俺は麦茶を、宇佐美さんは牛乳たっぷりの冷たいココアをそれぞれ口に運ぶ。
荒っぽい口調になったが、決して本気で怒っているのではない。
「この間、言ったよね。ゆっくり進みたいって。雰囲気に流されて、感情のまま進むような真似はしたくないって」
「......はい」
「どうしてあんなことを?」
宇佐美さんは濡れた髪の先を弾く。
拗ねた子どものように。
「だって、小鳥遊さん、綺麗だったから」
また小鳥遊の話かと思ったが、宇佐美さんの表情は真剣そのものだった。
宇佐美さんにとって小鳥遊は、自分とはかけ離れた、まさに理想の存在だったらしい。成熟しきった身体に、余裕ある振る舞い。美人なのに気さくで。
本当はそういう大人な女性のほうが好きなんじゃないかと考えたそうで。
それを聞いて俺は、なんだかバカらしくなった。
自分ばかり悩んでいると思っていた。
相手はただ好きでいいかもしれない。
だが、俺は大人だ。
彼女のことを考えてやらなければ。
間違いを犯さぬよう抑えなければ。
ああ、女子高生を想ったばかりに、って。
だが、不安なのは、宇佐美さんも同じだった。まだ恋も愛も分からないのに、好いた相手は自分よりも年上、しかもなかなか好意を示してくれないときた。
そりゃあ、こんなに焦らされて、知らない女性まで連れて来られたら、暴走もするよな。
俺は宇佐美さんに目線を合わせて、ゆっくり口を開いた。
「俺には宇佐美さんしかいないよ」
「......っ」
「結局、言うことになったな」
でも、言うべきだと思った。
宇佐美さんのためにも、俺のためにも。
「俺は宇佐美さんにみだらな真似をして、背伸びをして欲しいわけじゃない。そりゃあ、男だから嬉しいは嬉しいけど。純粋で、下心のない、ありのままの宇佐美さんがいいんだよ」
「犬山さん......」
「もちろん、ときには無防備でも、大胆でもいい。そんな宇佐美さんも知りたい。でも、無理して、自分を偽らないで」
目を潤ませる宇佐美さん。
テーブルの上の俺の手に自分のを重ねる。
この数日間で知ったことだが、宇佐美さんは意外と涙もろい。
当たり前だが、きっとまだまだ知らないことがたくさんあるんだろう。これからも、少しずつでいい。互いのことを知って、関係を深めていきたい。
「欲張りな宇佐美さんも、大人になりたい宇佐美さんも、泣き虫な宇佐美さんも、全部ぜんぶ、大事にして欲しい」
赤くなった瞳から一粒、涙が溢れた。
それは間違いなく嬉し泣きだった。
しばらく見つめ合い、手を繋いだまま、アパートがようやく静かになったころ、俺と宇佐美さんはふたり、ベッドに横になった。
もちろん、そういったことはナシ。
温かな時間だけが流れていく。
ネグリジェ姿で、宇佐美さんは問う。
「犬山さんはわたしだけのものって、そう思ってもいいですか......?」
「......っ」
横になっているのに目眩がした。
いつも予想外のタイミングで射抜かれる。
ズルいなあ、もう。
さっそく顔を出した欲張りな宇佐美さんを、俺はもちろんだ、と抱き寄せた。
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